とある女騎士団長の苦悩
晶たちが迷い込んだ国、魔法国レブナントには王立の図書館がある。
ダンジョン探索と訓練のかたわら、晶はその図書館で文字を習っていた。
複雑に発展した魔法社会において、読み書きのスキルは死活問題である。過去にこの異世界に紛れ込んだ過客の中には、詐欺師が出したうかつな契約書にサインして人身売買させられたケースもあるという。
そういえばこの世界に来た際、晶はサフィーリアの説明の元で様々な書類にサインをした。それは騎士団入隊のための誓約書であったり、今暮らしている住居の家賃や禁足事項であったり、王都に住む人間が必ず持たなければならない身分証明書と滞在ビザなどであった。
サフィーリアの説明は分かりやすく、嘘や隠し事がなかった。
つくづくいい人に知り合えたな、と晶は思う。自分は、いや、自分と沙夜香は運が良かった。
そんなわけで今も、晶はサフィーリアから文字を教わっている。勉強はいい。文字を体得し、文章を扱えるようになり、さらに極めれば魔法も使えるようになるらしい。ただし魔法を使うにはそれなりの才能も必要とのことだが。
勉強は嫌いではない。そして、機智に富んだ年上のお姉さんに教わるのは特に楽しかった。
「それで、アヤカ殿と言ったか。新しい家族との生活はうまくいっているのか?」
サフィーリアが聞いた。
彼女は、図書館に来る直前まで警備任務をしていたらしい。
胸元が大きく開いた魔導鎧を着ており、形のいい胸が水着のような形状をした胸当てに包み込まれている。アイスブルーの輝きを宿す切れ長の瞳。豪奢な金髪を動きやすいようポニーテールに結わえ、こちらを見る姿は神話のワルキューレのようだ。
「ええ。もともと、一緒に暮らしていた妹ですから」
サフィーリアの魅力的な姿にどぎまぎしつつ。慌てて胸から視線をそらして晶は言った。
「うむ。ならばよかった。何か困ったことがあれば遠慮なく言ってくれ」
「困ったこと、困ったことですか……」
「どうした?」
「あの、部下と上司としてではなくて、人生の先輩としてというか年上の人のアドバイスがすごく欲しいんですが」
「な、何かな?」
「誰にも言わないと約束してもらえますか?」
「わかった。剣に賭けて約束しよう」
サフィーリアが相好を新たにした。
顔が引き締まり、蒼い瞳がまっすぐに晶に注がれる。
「妹達に好意と性欲を抱いています。沙夜香にも綾香にも。そして二人とも僕に好意と性欲、というかたぶん性的な好奇心を抱いていて、このままだと近いうちに歯止めがかからなくなるのが目に見えていて……どうしたものかと」
「……そう、か……いや、うすうす気づいてはいた……が」
うつむき、つぶやいたサフィーリアの表情には。
明らかな落胆があった。
やはりそうか、と晶は思う。
気づいていた。彼女が自分に好意を抱いてくれていることに。それでもなお、いやだからこそ、彼女に相談した。自分の優先順位の一番上には、誰がいるのかをはっきりとさせておくべきだと感じていたから。ほかでもないサフィーリアのためにも。
「ようはその……性欲処理の問題で困っている、といったところなのか?」
「ええ、まあ、恥ずかしながら」
「では……いや、例えば、の話だが」
何かを言いかけ、言いよどむサフィーリア。
アイスブルーの瞳が揺れている。
「例えばの話だ。私がもし、アキラ殿の性欲処理をしたいと言ったら……例えば、だ。アキラ殿は不快に思ったりはしないだろうか?」
「……」
「アキラ……殿?」
身を縮こませて、サフィーリアは晶の顔色をうかがう。うつむき気味のその表情は、告白の返答を待つ少女のように不安と期待とがないまぜになっていた。
「いやその、え、そう来ますか」
「やはり迷惑だろうか」
「前にも言ったと思いますけど、サフィーリアさんの事は好きですよ。さらに正直に言えば目の前にあるそのけしからない胸を揉みたいと思ったことも一度や二度じゃありませんし、ごめんなさい今まで不埒な目で見てました」
「ほ、本当か!? アキラ殿が相手ならば、見るだけではなく好きな時に触ってくれて私は構わないぞ」
がたっ、と席から立ちあがるサフィーリア。
「落ち着きましょう」
「う、うむ」
がたっ、と音を立て、座るサフィーリア。
「殿方と接した経験すらほとんどないのだ。どうしていいかわからぬ。済まぬ」
己のはしたなさを自覚してだろうか。顔が赤くなっていた。
「僕だってこういう時にどういう態度をとればいいかなんて分かりませんよ」
「そうなのか。アキラ殿のことだから、今までいろいろな女に言い寄られたことがあるのだろう?」
「そりゃない……とは、いやあったかな。どうだろう。でも恋人になって欲しいじゃなくて性欲処理をしたいって言われたのは団長が初めてです」
「うう……恥ずかしい」
「はは」
晶は笑う。
「すごく可愛いなぁそういうところ」
「か、かわい……はうっ」
びくっ、と、サフィーリアの身体がすくみ。
もぞもぞと、太ももをすり合わせた。
魔導鎧が隠していないたわわな胸が、上下に揺れている。
「と、殿方にそんな事を言われたのははじめてだ」
あまつさえ、そんな事を言われて嬉しいと思ったのは。
はぁ、と、サフィーリアは息を吐き、はしたない自分の身体を呪った。明らかに発情してしまっている。このままではやはりアキラ殿に嫌われてしまうではないか。
はっ。それよりも早く下着を取り換えねば。
「サフィーリアさん、話を戻しますね」
「う、うむ」
「どれだけ魅力的な女性に言い寄られようと、僕の優先順位は決まっています。綾香が一番で沙夜香が二番。三番以下は序列をつけても意味がないくらいに差がある。そういう男を好きになって、好きな思いを抱えたまま生きていて、でも自分が一番にはなれないと思い知って、そのうえで心の安定を得られるか。苦しまずにすむか。サフィーリアさんは自分の事を考えないといけない。それが嫌だというのなら僕を殺すか自分を殺すかの二択になります」
「……」
晶の口調は、あくまで穏やかなものだった。
彼の瞳はまっすぐにサフィーリアの瞳をとらえ、下心でも開き直りでもないありのままの心を映している。
(そうか……)
サフィーリアは得心する。浅ましい欲情は、どこかに霧散していた。
(私が晶殿に惹かれたのは……)
直観だった。晶の芯に、揺るぎない信念がある。ほかの何を犠牲にしてでも、これだけは守るという揺るぎない信念を。
「私は、アキラ殿と出会えてよかったと思っている」
「僕もです」
「アキラ殿はどうなのだ。私の事は好きなのか。私から好意を向けられても構わないのか」
「好きですよ。ただ、一番好きにはなれない」
「私はそれでかまわない」
晶は苦笑し、立ち上がる。
「……?」
サフィーリアのそばに歩みより、その形のよい顎に手をかけた。
「サフィーリアさんに宿題」
ささやき、晶は触れるだけのキスをする。
「え。あ……」
何をされたのか気づいた瞬間に。
彼女の瞳が潤みを帯びて、熱い吐息が唇から漏れた。
「自分が何者になりたいのか。想い人の一番になり得ない絶望を受け入れることができるのか。答えを出しておいてください。期限は次にキスをする時まで」
これ以上ないくらいキザなセリフを言いつつ。晶は覚悟した。
痴情のもつれから、サフィーリアに殺される可能性について。
それでもかまわない。
それでもかまわないくらいには、彼女の事を好きになっていた。ただそれでも、沙夜香や綾香への好きにはかなわない。ただそれだけのことだ。
「アキラ殿……」
己の唇に指を添え、サフィーリアはうっとりと呟く。
「なるべく早く、またキスをしてくれないだろうか」
「はは。まあ、今日はやめておきましょう」
晶は席に座る。
「うむ……、そうだな。残念だ」
所在なげに、サフィーリアは太ももをすり合わせる。
ちゅく……と。どこからか、水音が聞こえた気がした。
「し、しかしアキラ殿、よければ教えて欲しい。どうしてサヤカ殿やアヤカ殿にそこまで惚れたのだ? アキラ殿ならば、他にも魅力的な女性に言い寄られたり、口説き落とすのは簡単なことだろう。なぜ、妹なのだ」
「妹だから、というわけじゃないんですが。ちょっと複雑な家庭事情がありまして、血縁関係についてはいろいろと。ただ、好きな理由は、あの二人だからとしか言いようがないですね」
「人間性に惚れた、と?」
「ええ。沙夜香は好奇心旺盛で、放っておくとどんどん先に行く。追い付くのが大変なくらいに。綾香は寂しがりやで、僕と歩幅を合わせて一緒に歩こうとする。二人ともタイプは違うけど、彼女たちはいつも僕の生きる支えだった」
「うらやましいな」
晶に、心底からそう言われる少女たちがうらやましい。
「うらやましいな」
サフィーリアは二度、同じことを言った。
「私では、そういう関係にはなれないのだな」
「ええ。残念ながら」
「……分かった。宿題の件、真剣に考えてみよう」
「ええ。焦らずにそうしてください。僕は逃げませんから」
逃げない、という言葉は本気だった。少なくともこのときは。サフィーリアから望まない限りは、彼女の傍にいるのをやめるつもりはない。
「しかしアキラ殿、その、いいのか?」
「何がです?」
「その、性欲処理の問題は」
「ぷっ」
晶はたまらず吹き出し。
ひとしきり爆笑した末、図書館の美人司書さんに怒られた。
次の話は来週末を目標に投下します。ブックマークや評価くだされば幸いです。