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わがままな王女様に結婚を迫られた時のお話

「おうふ」

 盛大にしりもちをついて、晶はすっとんきょうな声をあげた。

 ちゅぷちゅぷと、水が跳ねる音がする。足元はタイルが均等に敷き詰められていた。

 湯気が大きな室内を満たしている。とはいえ視界はさほど悪くはない。

「だれ?」

 視線を上げると、目の前に妖精がいた。

 妖精は湯船のへりに座り、驚いた顔でこちらを見ていた。

 長い金色の髪と、勝気そうな藍色の瞳。サフィーリアと同じ髪と瞳の色をしているが、彼女のように怜悧とかクールという印象ではなく、華美とでも言うべき厳かさがあった。

 ほっそりとした身体。膨らみかけの胸の下は、肋骨の形が見てとれる。たおやかな腰と、小さなおへそ。そしてその下にある、切れ込みとしか表現できない単純なつくりの部分を目にして、晶はあわてて視線を横に外した。

「ごめん!」

 背を向けて言う。妖精ではない。人間だ。歳は十二、三くらいだろうか。

 わけのわからぬまま、とりあえず出口を探す。それはすぐに見つかった。が、しかし。

「止まりなさい(フリーズ)」

 少女の声がして、晶は動けなくなった。呼吸はできる。声も出せる。しかし両脚と両手がぴくりとも動かない。どうやら金縛りのたぐいの魔法をかけられたらしい。

「見た?」

 裸の少女が尋ねた。

「ばっちり見た」

 正直に晶は答えた。

「そう。じゃあ、責任をとって」

「責任をとるとは?」

「決まっているでしょう。わ、私と、け、けけ、けっこんするの」

 少し声が上ずり、台詞を噛んだのは緊張したためか。

「結婚?」

「そう」

「君と?」

「そうよ」

「ごめん、それはできない」

 晶は即答した。

「私じゃ不満なの?」

 怒り、戸惑い、悲しみ、それらがない交ぜになった声音だった。もしかしたら泣かせてしまったかもしれない。だとしたら悪い事を言ったと思う。しかし本心なのだから仕方が無い。

「先約がいる。それによく知らない子と結婚するつもりもない」

「わ、わわ」

 震えた声。

 思わず、晶は裸の少女に視線を向ける。

 わなわなと、少女の肩が震えていた。顔が赤い。あからさまに怒った顔をしている。しかしそれでも可愛い。サフィーリアに劣らないほどに整った目鼻。ぱっちりとした瞳は勝気そうな印象を与え、への字にかみ締められた唇は小生意気であどけない。好みの容姿だった。あと三、四年も経てば晶のストライクゾーンど真ん中に入るだろう。

「私の事を覚えていない!?」

 叫んだ。

「レイチェル・ド・レイブンフィールド。この国の第二王女様。好きなモノは息抜きのティータイム、嫌いなモノは退屈な習い事全般」

 すらすらと言う晶。彼の腹違いの妹は王族である。必然的に社交界に出させられる機会が何度もあったし、親族に恥をかかさない為に要人の情報はすぐに覚えるように鍛えられている。

「覚えているじゃない」

「でも君の事を俺はほとんど知らない。君だってそうだろう」

「レイチェル。名前で呼びなさい」

「わかった、レイチェル」

「知らないのならこれから知ればいいわ。それより、先約って誰?」

「一番目が綾香で二番目が沙夜香……あー、二人とも俺の妹だ」

「ひょっとして、馬鹿にしているの?」

「半分はそうかな?」

魔弾(ショット)

 少女が晶に向けて手をかざし、かざした手から何かが晶の頬に当たった。べちん。野球の球をぶつけられたような鈍い衝撃に、晶の頭がかくんとゆれる。かなり痛い。

魔弾(ショット)魔弾(ショット)魔弾(ショット)

 べちん、べちん、べちん。

 魔法の弾が立て続けに当たる。しかし今度は晶の装備した革鎧の部分に当たり、大した痛みは感じなかった。

「姫様、いかがなされましたか!」

 声と共に、ばたん。ドアが開けられる。

 眼鏡をつけ、前髪をカチューシャで留めたエプロンドレス姿の女が入ってきた。

「曲者!?」

 紺色の服の長袖からするりと投げナイフが滑り出し、投擲すべく構えられた。

「待って」

 素早く制止するレイチェル。

「私が動きを封じてるから」

「貴方は……」

 眼鏡の女性は晶を見て絶句した。

「フローラさんだったか?」

 彼女を見返して、晶。

 そうそう忘れる容姿ではない。切り揃えられた前髪と、首の上までしかないショートヘア。細く、長く、鋭い瞳。ネコ科の獣を思わせるような剣呑な眼光を帯びて、主であるレイチェルを護衛すべく傍らに控えていた。晶に対しては少し話しただけで何故か警戒が消えて柔和な笑みを向けてくれたが、あの底冷えのする圧力は見事だった。

「姫のお姿を見られましたか?」

 確認するその声は、死刑執行を前にして躊躇う警吏のようだった。

「見てないわ。見る前にそっぽを向かせて動きを止めたから」

 レイチェルが口を挟んだ。

「と、いうことらしい」

「かしこまりました。もし、見られていたらそのそっ首を切り落さなければならないところでした」

「状況を説明すると、さっきまで俺はダンジョン探索をしていたんだ。そして帰還の魔法を使って帰ろうとしたら、いきなりこの風呂場に飛ばされていた」

「……」

 いぶかしげに、フローラがレイチェルを見た。

「たぶん本当よ。突然そこに現れたし、その格好だし」

 革鎧にチェイングローブ、木こりが履くのと同じ安全靴、それにベルトにくくられたショートソードと各種小道具を入れた皮袋。どうみてもダンジョン探索の姿である。

「ともあれ、レイチェル様。おあがりください。もしもあらぬ噂が立てばそれこそクジョウ殿を殺さねばならなくなります」

「そうね。アキラ。念のため目を閉じて。いいっていうまであけたら殺されるわよ」

「へいへい」



 ***



「この国には、ある因習がありまして。十歳を超えた上で異性に素肌を見られた未婚の王女は、見た異性と結婚しなければならないのです」

 とぷとぷと、暖められたミルクをカップに注ぎつつ。

 フローラは説明した。

 場所はレイチェルの寝室である。豪奢な天蓋つきのベッドがあり、本棚があり、彫刻(レリーフ)を施された化粧台がある。さらに部屋の中央には丸テーブルと椅子があり、丸テーブルの上には金をあしらった燭台が据え置かれていた。

「どうぞ」

「どうも」

 フローラの手から、砂糖の入ったホットミルクを受け取る晶。

「つまり、手違いで結婚するに相応しくない男に裸を見られた場合は、闇に葬るというわけですか」

「はい。滅多にある事ではございませんが」

「なるほど、危ないところだった」

 晶はレイチェルの顔を見た。どうやらこの少女に助けられたらしい。

「それより、さっきの話の続きを聞かせなさい」

 苛々した口調でレイチェル。

「何の話だったか?」

「許婚がいるって話」

「ああ。許婚というか、大きくなったら結婚しようみたいな約束をした仲というか」

「私より魅力的なの?」

「別格だ。比べようがない。いやレイチェルもわりといい線いってるんだが……」

「フローラ」

 晶の言葉を遮って、少女は厳然とした声で侍女の名を呼んだ。

「はい」

「晶を軟禁することはできる?」

「可能です。不法侵入の罪を侵していますので半年ほどは拘留できるかと」

 およそ感情を感じさせない声でフローラは言った。

「待て。何故そうなる」

「私を、一番、好きに、なりなさい。なるまでは許さない。一緒に暮らすの」

 一言ひとことを、区切りつつレイチェルはまくし立てた。

 ずずずず、と、ミルクを飲む。

 湯上りのせいか、顔が赤い。

「……」

 しばし、沈黙が流れた。

「重症だな」

 呆れたように、晶が言った。

「何ですって?」

「人に命令する事が日常の一部になってる。それじゃ人の心は掴めないぞ」

「……」

 レイチェルは何か言い返そうとして言い返せず、黙って晶を睨んだ。

「文句を言える立場だと思ってるの?」

「立場どうこうはさておいてこれは恋愛の話だ。俺は対等でもない相手を好きになれない。奴隷にもペットにもヒモにもなるつもりもない」

「だったらどうすれば私の事を好きになるの?」

「フローラさんはどう思う?」

「答えかねます。わたくしの職分を超える話ですから」

「いや、立場的な話だよ。俺とレイチェルが親しくなるのは構わないのか?」

 ころころと話の前提条件を変える晶。もちろん、狙ってやっていた。

「微妙なところです。貴族でもないどころか、素性の分からない男は普通なら論外ですが、クジョウ殿は過客(かかく)です。ともすれば世界を救う英雄になるという言い伝えがある方を、無下には扱いかねます」

(場合によっては殺すつもりだったくせにな……)

 晶は内心で思ったが、口には出さない。

「おそらくは女王陛下のお眼鏡に適うかどうかになりますが」

「女王?」

「はい。現在のこの国の王は女王エトワージュ様です」

「お母様は私が説得するわ。必ず」

 と、レイチェル。十二歳の子供相応の覚悟を決めているらしい。

「よし。ならこうしよう。俺は週に一度、必ずここに来てレイチェルの話し相手をする。それで俺を振り向かせてみろ。権力でも暴力でも金でもなく自分の実力でだ。将来に女王様になるような器量なら、できないはずはないだろう?」

「週に一度?」

「週に一度。騎士団から休みがもらえる」

「本当に来てくれるの?」

「友達との約束は守る」

「友達……?」

「まずは友達からが順序ってものだろう?」

「私の友達になってくれるの?」

「俺はもうそう思ってる」

「そ、そう。まあ、いいわ。それで。友達になってあげる。でも覚えていなさい。必ずいつか好きって言わせてやるから」

 言いつつ、少女の顔は抑えきれぬ喜びによってにやついていた。友達……という言葉を何度も反すうするようにつぶやく。

「がんばれ」

 晶は言って、妹にするようにレイチェルの頭を撫でた。

「あ……」

 レイチェルは小さくつぶやき、うつむいた。晶が頭を撫でやすいように。

 そこへ、ドアが控えめにノックされた。

「フローラ様。白翼騎士団のサフィーリア様がレイチェル姫殿下との面会を求めております。至急だそうです」

「わかりました。用件はレイチェル様に代わって私が伺います。その際、立会いとして侍従をつけると伝えておいてください」

「……? かしこまりました」

 声がして、ドアの向こうから気配が遠ざかっていった。

「迎えが来られたようですね。クジョウ殿。すみませんが城内の者に見つからぬように侍従に偽装していただきます。迷宮探索の道具の類は後でお届けしますのでこの場に置いてください」

「わかった」

「着替えをお持ちします」

 てきぱきとフローラは準備をした。

「またな」

 かっきりとした長袖、長ズボンに外套に着替え、部屋を後にする前に晶は言った。

「ええ、また」

 小さく、少女は手を振った。

「こちらです」

 晶を伴って、フローラは王城の廊下を案内してゆく。

 いくつかの角を曲がり、何回かすれ違った衛兵に会釈をしつつ、出口が近づいてきた。

「クジョウ様」

 誰もいない広間にさしかかった時、フローラは小声で晶を呼ぶ。そして彼に向き直った。

「何でしょう?」

「姫様の事、ありがとうございます」

 そう言って、彼女は深々と頭を下げた。

 ステンドグラスの窓から、月明かりが彼らを照らしている。

 雲の無い夜空だった。


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