変わる王女と晶の関係
異世界のその国には王女様がいた。
晶はその地位の利用価値を認めていた。認めていながらも、王女様と深い仲になりたいなどとは思わなかった。だからほどよく遠い関係性で十分だった。
彼は有力な騎士団の客員という職につき、住居も提供された。妹たちと共に不自由なく暮らせるだけの賃金をもらっている。厳しいが公平な団長の庇護の下、仕事へのやりがいもある。魔力は少ないながら、自他ともに能力があることを認められていた。
生活に不満はないし、国をどうこうしたいなどという野心を、晶は持ってはいなかった。
ただ、余生を穏やかに暮らしたい。できるならば妹たちには幸せになって欲しい。
それだけだった。
計算が狂ったのは、いつの頃からだろうか。
後々になって思い返すと、綻びは彼女と初めて出会った時から始まっていた気がする。
彼女は王女様である前に、グローリア・ド・レブナントという一己の人間であった。その人間性を、彼女が彼女であることに興味を覚え知ろうとした時から、巧緻に長け、他人を手玉にとる能力に秀でた彼の計算は狂っていった。
“王女様”と、深い仲になるつもりはなかった。
けれども。
“グローリア”という人間は、いつしか特別な存在になっていた。
「気に食わんな。前々から思っていたが、どうにも気に食わん」
「何がでしょうか」
王宮の執務室。
書類に目を通しながら、グローリアが晶へ不満を言う。晶は肩をすくめた。この人のかんしゃくをあやすのもだいぶんに慣れてきた。
『アキラ。卿を吟遊詩人に任命する。サフィーリアには話を通した。これからは定期的にボクの執務室に来い』
などと、わけのわからない王族権限を振りかざされたのは少し前の出来事だ。
詳しく聞くと吟遊詩人とは名ばかりで、歌や楽器に秀でる必要はないらしい。ようは庶民の風俗や街の噂話を仕入れて彼女へ伝えるという、目安箱のような役割をしろという話であった。
話を聞いた時、晶は彼女子飼いの間諜に仕立て上げられるかとも思ったが、純粋に雑談をするための名目だった。相変わらず彼女は性格もやり口も面倒くさい。
「話の内容だ」
「すみません。話題が何か気に障りましたでしょうか」
「この前の話題はオーク豚を使った料理の方法。その前は庶民の間で流行っている雑貨類の話。さらにその前は王宮に出入りする業者と購買担当との癒着の疑いと妹の毒殺計画についてで、これは迅速に火消しができた。礼を言う」
「どういたしまして」
「分からないか?」
「すみません、分かりません」
「何故、アキラは自分のことを話さないのか」
「はあ。なるほど。そう来ましたか」
グローリアはとにかく自己中で自分の世界にしか興味がない人だったので、彼が初手から自分語りをしていたら盛大にキレ散らかしていただろう。と、晶は思ったが口には出さない。
「私の事を話して面白いとはとても思えませんし、嘘が嫌いな貴方に嘘をつくわけにもいきませんし」
「話したくもないことを無理に聞こうとは思わない。だが不愉快だ。過去の話をしろというわけじゃないんだ。今の話でいい。アキラは普段、何をしている。どういう生活をして、この先にどういう未来を抱いている? 感情を排した情報なぞ他の者からでも聞ける。それよりも卿のことだ。ボクはアキラが何者なのかが未だにわからん。得体が知れんのはイライラする」
「困ったな……」
「何を困ることがある。隠したい事を話せと言ったつもりはないぞ」
「本当に?」
じっと晶がグローリアを見ると、彼女はひるんだのか顔をそむけた。
「昔の事を蒸し返すのはよせ。罪悪感で心が痛む」
「失礼しました。ともあれ、困ります」
「何を困るのか。せめて詳しく説明しろ」
「人と話す時、嫌いな相手のことを吹聴して回るのはマナーにもとると私は考えているわけです。ユリウス様だってお嫌でしょう。誰かの悪口を聞かされるのは」
「ボクは卿のことを聞いているんだが」
「だからですよ」
「わけが分からん」
「私は私の事が嫌いです」
いつの頃からか、晶には分かっていた。自分が地獄に行くべきであることを。
元にいた世界での話だ。
このままでは高い確率で、二十歳になるまでに死ぬことも分かっていた。歳を経て肉体が男になるにつれ、やらされる仕事の内容が変わり、自殺せざるを得ないところまで追い込まれるだろうと。その時は潔く死のうと、そう思い詰めていた。
自分が嫌いだった。衝動的に殺したくなるくらいに。
それでも生きていたのは、自分がいなくなれば妹たちを守る者がいなくなってしまうからだ。彼女たちが壊されるのは、死ぬことよりも、生きることよりもなお辛い。だからこそ自己嫌悪を抱えたまま、生にすがりついていた。
「嫌いな人のことを微に入り細を穿ち他人に語ると、相手にも迷惑がかかります。ユリウス様は、他人の悪口を聞いて喜ぶような浅ましい人ではないでしょう」
「いいことを教えてやろうか」
「何でしょうか」
「ボクはボクのことが嫌いだ」
「でしょうね」
分かっていた。
サフィーリアがそう評したのを聞いた以上に、生身の彼女とのやりとりですぐにそれを感じていた。彼女のねじれ方は、自分と近しい所にあると。
「嫌いな奴と一緒なのはどういう気分だ?」
危険な問いかけだった。
言い方次第では不敬罪の言質となり、首を落とされるほどの。
「それは、誰に対してでしょうか」
「だから、自分自身に対してだ。揚げ足取りのためにカマをかけているわけじゃあない。ボクはボクにうんざりするが、自然に沸き立つ気持ちはどうにもならない。誰かに愛されたいとは思うが、どうしても自分で自分を愛せない。次期女王としての立場もあるしな。他人にみっともない姿を見せるわけにもいかん。卿はどうしているのだ?」
「なるべく、考えないようにします。私の場合は、妹たちや団の仲間のことを考えると自分の事はどうでもよくなります」
「それは性欲か?」
「……」
瞬間的に、血が沸騰しそうな激情が渦巻いた。
返り討ちにされることを分かっていてもなお、グローリアの胸倉をつかみ殴りつけたくなる衝動に。
実行に移そうと彼女を睨みつけた際に、視線が交差した。
「……」
はっとした。
グローリアの吸い込まれるような蒼い瞳には苦悩が満ち満ちていた。一瞬で理解し、すると同時に沸き立つ怒りは霧散していった。
彼女は侮辱したいのではない。ただ、知りたいだけなのだ。
「わかりません。そうではないと思いたいのですが」
「自分すら愛せない人間が、他人を愛することはできるのか?」
「人間は、憎しみながら愛することができる生き物だと、ジェシカさん――兼職でシスターをしている同僚が言っていました」
「そっ首を落としたくなるような綺麗ごとだが、不思議だな」
「?」
「卿から言われると、素直に受け取れそうな気になる」
「私のは受け売りです」
「どちらでもかまわんさ。ボクは感銘を受けた」
(どうにも、居心地が悪いな……)
グローリアの意図が分からない。打算や利害、情報交換、賞賛や嫉妬、どれにもあてはまらない。試されているのとも違う。いや。そうではない。本当は分かっている。
怖いのだ。
彼女と親しくなるのが、たまらなく怖いのだ。
猜疑心で固められた自分の殻を破り、悩んだままの心情を包み隠さず話そうとする彼女の混乱、戸惑い、希望、焦燥……ぐちゃぐちゃになった気持ちが伝わってくる。
どうしようもなく、共感してしまう。
だって、彼女は――。
自分と、同類なのだから……。
「二十そこそこのボクの半生を振り返ると、誰かを裏切ったし、それ以上に誰かに裏切られてもきた。そのたびにボクは、心の支えを求めた。それは、自分であってはならなかった。誰よりも何よりも、自分で自分を裏切ってきたから。不誠実な奴に好かれてもむかつくだけだ。嫌いな相手ならなおさらな。なあ?」
「分かります。痛いくらいに」
「だろう。その言葉、他の男だったのなら殺している」
「嫌いなのに好かれたい。そういう矛盾した想いは理解されませんから」
「そうだ。だからせめて、誰かに愛されたい。誰かの役に立ちたい。自分の存在価値が欲しい。そう願ってきた。だが、利用されるのも搾取されるのも嫌だ。ではどうする?」
「自分以上の者を探し求めた」
考える必要すらなく、晶は即答していた。
微笑を浮かべ、グローリアはうなずいた。
「そういう相手を見つけた後は、ボクらは全てを捧げるだろう。命も、意志も、人としての尊厳も含めた己の全てを。卿にとってそれは妹たちだった。この国で暮らすようになってからは、そこにサフィーリアが加わった」
「ほぼおっしゃる通りです。団長以外にもそういう相手はあと数名いますが」
「くっく。ハーレムだな」
くぐもった笑いだった。
「ボクは卿が羨ましい。我が両肩にはこの国の行く末があり、我が手には国民の命が握られている。ところがボクは、卿のように全てを捧げようとも、好かれるどころか空回りしてしまう。
ボクは好悪で物事を測り、正義に酔った挙句に必要な者を切り捨てる。狭量という悪癖は自覚しているが、それを諫められる者を傍に置く度量もない。結局ボクは半端なのだ。嫌いなはずの我が身が可愛いのだ。他人に心を覗かれて、傷つけられるのが怖いのだ」
執務室のデスクに片肘をついて、グローリアは己の手で自分の目元を隠した。
晶はゆっくりと瞳を閉じて、黙した後に口を開いた。
「おそらく、ユリウス様は――」
次の言葉をつむぐのがためらわれた。
それはきっと、彼女の古傷をえぐることになるから。
「うん。気にせず続きを言え。とがめはしない」
「他人を殺した上で、そいつに傷つけられたと吹聴したことがあるのでしょう。しかもそれはさしたる傷ではなく、どころか傷つけられたこと自体すらどうでもよかった」
「誰かに聞いたのか?」
「推測です。そういう客を相手にしたこともあったので……」
「すまない。嫌な事を思い出させた」
晶が身売りしたことを想像したのだろうか。謝罪するグローリアの声は沈んでいた。
「推測は正解だ。異世界から来た過客を、くだらぬ理由で処刑した。卿もまた、サフィーリアの庇護がなければ殺していただろう。今はそんなつもりはさらさらないが」
「なぜです? いえ。殺した理由ではなく。なぜ僕に、そんなことを話したのですか」
晶は取り乱した。無意識に、私ではなく僕という言葉を使っていた。
「そんな話をして、貴方が得をするわけでもないのに」
「知っているさ。けれども、話さなければ公平ではないような気がした」
「……。すみません」
「何を謝ることがある?」
「貴方を見くびっていました。もっと卑怯で、底が浅くて、つまらない方だと」
「ふ。ふふふふ。あはははははは」
グローリアは盛大に笑った。憑き物がおちたような、さっぱりと顔で笑った。
「なあ。アキラ。正直になるのは楽しいなあ」
「同感です」
晶の返答に、グローリアは肩をすくめた。
「頼むよ。これから二人きりの時は敬語はよしてくれ。呼び捨てでいい」
ふー、と、晶は長く息を吐いた。
もう、無理だと分かったから。気持ちを落ち着けるために、息を吐いた。
「なるべく努力しま……するよ」
「ああ。それでいい。で、話の続きだ。ボクは君のことを知りたい。どうでもいい話でいい。聞かせてはくれないか」
「本当につまらなくても?」
「ああ。それでいい。それがいい。聞き流したくなるくらいの軽さの方が、互いに疲れることもないだろう」
「了解」
やはり、無理だ。
もう彼女を、以前のように突き放して見ることはできなかった。
次回、完結。




