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美貌の女騎士団長さんとの雑談

 

 暖かな春の日だった。

 小高い丘の上にあるカフェテラスは、彼女――女騎士団長のサフィーリアが所有する私邸から歩いて数分の距離にある。数十人からの使用人の憩いの場として用意されたそこは、彼女にとってもお気に入りの場所だ。

 大きなパラソルを日よけに、白いテーブルが立ち並んでいる。昼時間をかなり過ぎているせいだろう。客は、サフィーリア一人だけだった。

 新大陸から取り寄せたコーヒーが、苦味を帯びた香りと共にかすかな白い煙をたてていた。

 この日。サフィーリアはいつもの露出度の高い魔道鎧をつけていない。

 暖かなニット素材を使った赤色のカットソー、下は太ももにフィットした紺色のレギンズを着ていた。露出度が一切ない姿。しかし彼女のプロポーションの良さがひと目で分かる格好であり、これはこれで扇情的といえる。

 そんな格好で何をしているかというと、遊んでいるわけではない。

 働いている。

 騎士団の管理こそが、団長の本業である。

 テーブルの上にはダンジョン探索の記録を綴った日誌があり、探索の際に用意した薬草や食料の請求書、それに魔法を使うための道具類や装備のメンテナンス費用が書かれた納品書が並んでいる。

 数値のどれもこれもに、この三ヶ月ほどで劇的な変化が起こっていた。騎士団の在庫を一から見直して回転率を調べ、補給物資の発注量と各種税金対策の計算をやりなおさなければならないほどに。それは悪い変化ではない。いい変化だった。ダンジョンの探索経費が半分になった上、探索効率は二倍近くに跳ね上がっている。

 それはちょうど、異世界からの過客を招きいれた時期と重なっていた。

「くお、重い」

 彼方から、声が聞こえた。

 その声を発した少年がふらふらとした足取りで、こちらに近づいてくる。

 その少年は背中に、大きなリュックサックを背負っていた。彼女が命じてつけさせたもので、重さ三十キロの土のうが入っている。その状態で周囲を歩かせていたのだ。

 騎士団入隊条件には最低限の体力を持つ事とあり、それは過客でも例外ではない。過酷なダンジョン探索の傍らで、新入りのこの少年には基礎体力の底上げの為の訓練がほどこされていた。

「ご苦労。下ろして構わぬ」

 凛とした声で、サフィーリア。椅子に座ったまま言った。

「しんどかった」

 少年はリュックを下ろすと、へたり込むようにテラスの椅子の一つに座った。

「アキラ殿……」

 サフィーリアが少年の名を呼んだ。

「あ、すみません。ちょっとだらしなかったすね」

「い、いえ。こほん。アキラ殿はよくやっていると思います」

『抱きしめて、労をねぎらいたかった』という願望にかられたのだが。文武両道で育てられたサフィーリアには悲しいかな男との話し方を知らなかった。

 話し方を知らないどころではない。

 こうして一対一で向き合い、視線を送られただけで。

 身体が微熱を帯び、頬が紅潮してしまう。

 彼の顔を見るだけで胸がむずむずと騒ぎ、同時に暖かくなって、応答が上の空になってしまうことがしばしある。

 この数ヶ月、配下の女騎士とアキラを率いて何度かダンジョンの探索をしたが。その間にすでに騎士団じゅうに知れ渡ってしまっていた。

『あの王子に言い寄られても袖にした堅物のサフィーリアが、過客の男に惚れている』と。

 すなわち態度を見ればすぐに分かるほどに、あからさまに好意を示してしまっているということなのだろう。果たして晶は気づいているのかいないのか。

 そういえば。

 過客を紹介してほしいとの依頼を受け謁見した、王女レイチェル様の様子がおかしかった。

 挨拶の際に接吻を受けた手の甲を愛しげにさすり、どこか夢見心地のように惚けた瞳でアキラを見ていた。話題は異世界の事ではなく、今どこに住んでいるのか、困っていることはないのか、どのような料理が好きで何か欲しいものはないのかといった事が主体だった。

 さらに。

 レイチェルの身の回りの世話をし、厳しくスケジュール管理している切れ者の秘書フローラ殿が何故か王女の暴走を止めようともせず、王女に余計な虫が付くのを嫌うはずの彼女の立場にあるまじく話の輪に加わり、さらに王女主催のお茶会に誘うために予定を調整する始末。

 ちなみに、レイチェル十二歳。フローラ二十六歳。

 眼鏡をつけたフローラの、普段は厳しい顔が花のようにほころび、アキラの明らかな社交辞令に反応して喜ぶ様子を、サフィーリアは呆然と見ていた。

 あれは――。

 あれは、恋する女の顔だった。

「次は何をすればいいすか?」

「はっ。あ、いや、何でもない。次、次か。うむ。いい時間であるし、一緒に食事でも如何か?」

「ういっす、団長」

 晶の声が弾んだ。同時に、彼の腹の虫の音が聞こえてきた。

「メニューを」

 くすりと笑い、サフィーリアはボーイに告げた。

「かしこまりました」

 すぐさま、ボーイが品書きを持ってくる。

 メニューを見るなり、晶は困ったように首をかしげた。

「どうした?」

「いや、字をまだ上手く読み取れなくて」

「ああ、そうか」

 大義名分が出来た事にうきうきしつつ。

 立ち上がって、サフィーリアは彼の隣に座りなおした。

「この店はトマトを使ったパスタ料理が得意だ。アルデンテに茹でたパスタに炒めたひき肉にトマトを絡めたソースに半熟卵を載せて食べるのが私のお気に入りだ」

 言いつつ、肘がぶつかるほどの距離まで擦り寄る。

 彼に嫌われはしないだろうか、と内心でドキドキしながら。

 カットソーの袖越しに触れる晶の腕の感触に、心臓の鼓動が跳ね上がり。

 ハードな運動を終えて間近に感じる彼の汗の匂いに、自分の中の恥ずかしい部分がいたたまれないほどに疼くのがわかる。

「へえ。じゃあそれを。あと、オレンジジュースを」

「野菜もとらないと駄目だぞ。私と取り分けよう」

「了解っす」

 ボーイを呼んで、料理を頼んだ。

 サフィーリアは、晶の傍から離れない。離れたくなかった。

 古今東西の書物に精通し、騎士を率いるに申し分ない武芸を修めた。そんな彼女だったがこれまで恋愛に興味はなく、いいよる男を袖にし続けてきた。

 そんな彼女のアイスブルーの瞳はこの時、うるみを帯びて。

 大好きな、どうしようもないくらいに惚れてしまった男に向けられている。

 もしも知られてしまったら、軽蔑することだろう。

 晶と会った日はいつも、自分の中でとろとろに蕩けた欲情をもてあまして一人、慰めてしまっていることを。

 彼の手に、唇に触れられたい。押さえつけられ、乱暴に抱きしめられ、服を剥ぎ取られて自分の身体を征服して欲しい……そんな願望を、自分が持っていることを。

 他の男には感じなかった感情だった。ただ一人、晶にだけそうされたい。支配して欲しい。心の底からそう思い、サフィーリアは夜な夜な妄想に浸ってしまう……。

「アキラ殿は料理はできるのか?」

「まあ、それなりに。ここに来る前までは妹が壊滅的に料理が下手だったんで、夕飯を作るのが俺の役割でした」

「ほう。偉いな。……ん? 沙夜香殿は料理が苦手だったのか?」

「苦手どころか危険でしたね。卵焼きを作ろうとして油に火を引火させて危うく大惨事になるところで。お湯すらうまく沸かせないていたらくで」

「今の様子からは信じられんな」

「まったく。この世界に来ると何かしらの能力が身に付くって聞いたんですけどそのせいですかね」

「おそらくはそうだろう。しかしうらやましい限りだ」

「サフィーリアさんは料理できるんですか?」

「私はせいぜい鶏をさばいたりイノシシの臓腑を取り分けて塩漬けにする程度しかしたことがない」

「いやそれはそれですごいですよ」

「同年代の女貴族連中からは引かれたわ。どうにも私は、世の中の女とはズレているらしい」

 たわいのない会話。

 彼の声に。彼の息遣いに。胸がうずく。

 いつもの鎧を着けてなくてよかった、とサフィーリアは思った。

 魔法を効率よく使うため、胸元の露出した魔道鎧をつけていた。その胸にちらりと、しかし明らかに分かる晶のぶしつけな視線を感じるたびに、彼女は身体がうずいてどうしようもなくなってしまう。身をよじり、火照りを覚ますために荒い呼吸で何度も息をして自分を落ち着かせていた。

 晶と出会ってからのこの三ヶ月、任務の際に下着の替えを持ち歩くのが常になっている。

『もしもこの至近距離であの鎧をつけて、男が女を見る視線を晶から注がれたら――』

『きっと、私はとんでもない醜態をさらしてしまう……』

 怖い。

 浅ましい姿を晒して、彼に嫌われるのが怖い。

「でも俺、サフィーリアさんのこと結構好きですよ」

 軽い調子で、晶が言った。

 その瞬間に。

「~~~~!」

 サフィーリアは歯を食いしばり、くぐもった声をたてた。

 テーブルに手を着き、びく、びく、と身体が震え。

 顔は何かを耐えるように左右に振るえ、金色の艶やかな髪が光沢を放つ。

 まぶたは細められ、アイスブルーの瞳は焦点を失って虚空をさまよった。

「サフィーリアさん?」

 晶の手が、とん、と、彼女の背中をたたいた。

「っつ」

 ビクッ。

 一つ、大きく彼女の身体が跳ねて。その後、ギギギギと首が回され、晶の方に顔が向けられた。

「なん、でも、ない」

 喉奥から搾り出すように、声を出す。

 頬が、赤い。

 瞳が、表情が、テンパっている。

「あまり不意打ちで変な事を言わないで欲しい……。いや、言って欲しい。いやいや、何を言っているのだ私は。ともかく、今、見たことは忘れるように。頼む。一生のお願いだ。こんな醜態を覚えていられてはもう街を歩いていられぬ」

 途中からどんどんと台詞が早口になり、そして瞳はこれ以上ないくらいの涙目だった。屈辱と羞恥にまみれて、しかし怒りのやりどころもなく、サフィーリアはテーブルに突っ伏した。

「よく分からないけど分かりました」

 唯一の、そして最大の幸運は、彼女の身に起こった出来事を晶が本当に分かっていないことだろう。

「ううう……」

 行儀悪く足を踏み鳴らして、サフィーリアはうめいた。

 自分で自分の身体が恥ずかしい。さらに恥ずかしいのは、この出来事を思い出してネタにし、今夜また独り遊びをするであろうことだ。

 表現の仕方は悪いが、彼に会うたびに自分で自分を調教してしまっているような気分になってしまう。いつでも、どんな時でも、彼を受け入れられるように。彼に支配されたがっている自分がいて、彼の所有物になりたいと思う自分がいる。

 会うたびに、その思いが強くなっていく。

『私は……どうなってしまうのだろう』

 いっそ、頼むことができればどれほど楽だろうか。

 自分を、晶専用の奴隷にして欲しい、と。

 傍らに座る彼の体温を確かに感じながら、サフィーリアは明らかに普通ではない自分の思いをもてあましていた。

「お待たせしました」

 二人の前に、料理が運ばれてきた。


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