拉致事件
グローリアとのお茶会から二週間が過ぎた。
晶はダンジョンへ探索に、妹たちは下働きのメイドと共に、電気のない社会での家事にいそしんでいる。
たまに晶の帰りが遅いのは、ねんごろになった女性陣とよろしくやってるからだろう。そのあたり、沙夜香と綾香は黙認して怒るそぶりも見せなかった。むしろある日を境目に一緒にお風呂に入ることがなくなり、妹たちはそちらの方を心配している。
そんな矢先。
事件が起こった。
「ちょっとやり方が強引じゃないですかね」
晶が言った。態度は落ち着き払っているが、まともな姿ではない。
長椅子に両手両足をくくりつけられている。日が暮れる前にダンジョン探索が終わり、帰りがてら妹たちへ土産でも買おうかと街を歩いていたところを拉致されたのだ。
拉致、とは言ったが任意同行ともいえる。何故なら相手は王宮近衛兵で、命令したのは晶の上官の上官、つまりグローリア王女だと聞かされたからだ。
人通りの多い街中で、叫んで助けを呼べば同僚の騎士が駆けつけてくれるだろうことは分かっていたが、あえて晶はそうせずに大人しくついていった。
城内に入ってからは目隠しをされ、小部屋に通されてからは椅子に座るよう誘導され。そしてこのありさまである。
目隠しを外されて前を見ると、明りのついたランプを隔ててグローリアがいた。
二人きりだった。
「余裕だな、この状況で」
「わりと怖がっていますよ。特にユリウス様の行動は読みづらいので」
「誰かが助けに来るのを期待しているのなら諦めることだな」
「かしこまりました」
(粘れば来る可能性は高いか……)
瞬時に晶は察した。
グローリアがあえて釘を指すのは、こちらの心を折りたいからというよりも、彼女自身がそれを懸念しているからだと。
こういう時の為に、いつ、どこで、何をしているかはつまびらかにしてきた。深い仲になった相手と会う場合も含めてだ。
夜遊びなど自由にさせてもらっている晶だが、サフィーリアが指定した勤務時間を彼は破ったことがない。仮にも軍隊において、けじめをつけられない新人に居場所などないことを彼は弁えていた。
(次のシフトは明後日の朝九時だったな)
あまり楽観はできない。職業軍人ならば二秒あれば人は殺せる。拷問吏ならば二時間あれば人は壊せる。
今の自分でも、手段を選ばず後遺症も気にせずという条件を与えられたのなら、二日あれば人を洗脳できる。何でも言う事を聞く状態にもっていける自信がある。麻薬を使うことなしにだ。人間の身体も心も、壊し方を熟知している者の前でははかなくもろい。
「用件はすぐに終わる。これを飲んだ後、二つか三つの質問に答えてくれればいい」
小瓶が目の前のテーブルの上に置かれた。
「自白剤ですか」
「察しがいいな」
「前に団長に盛られましたから」
「ほう。あいつは命令通り使ったのか」
「うちの団長、職務に対してはクソ真面目ですよ」
「余裕だな。何もできはしないとタカをくくっているのか?」
「まさか。貴方は冗談でこういう事をする方ではないでしょう」
「もういい。黙って飲め。でなければ舌を切り落とす」
小瓶を手に取り、晶の口もとへ近づける。
晶は少しいやあな顔をして、不承不承といったていで頷いた。
「ん、ぐ……」
粗悪なアルコールめいた味が口いっぱいに広がる。脳をとろけさせる味だ。後でサフィーリアに聞いたが、依存性や後遺症はないらしい。何人くらいに飲ませてそういうデータをとったのかは気になるところだが。
「うえっぷ……」
「嘘偽りなく洗いざらい話してもらうぞ。アキラ。お前の目的は何だ。この国でレイチェルやサフィーリアに取り入って何をしようとしている?」
「なにも……ないれすよ」
薬が回ってきたせいだろう。ろれつが危うくなっている。
「ただ、ぼくは、穏やかに生きたいだけれす」
「ではなぜ、複数の女に手を出している?」
「ふ……ふふふ。なぜでしょうね……それは分からないれす」
「貴様」
激高し、反射的に抜刀しかけてグローリアは思いとどまった。禁制の自白剤を飲ませた状態なのだ。ならば晶の言っていることは、全て彼にとって事実である。
「もう少し詳しく話せ」
何故だろうか。
そう命じた瞬間に、グローリアは心臓の鼓動が跳ね上がったのを感じた。
竜の尾を踏んだような、致命的な現場にぶちこまれたような。
そんな、戦慄を感じた。
「くわしく。いいですよう。ずっと昔からのできごとです。いろんな人とまじわりあいました。物心ついたときには、いえ、つくまえから、ぼくはそういうことと無縁ではいられなかった……」
宙を見上げて、晶は抑揚なく語り始める。
「ああ。たぶん。しゅうかんになってしまったんだとおもいましゅ。犯すことも、犯されることも」
それは、彼がこれまで歩んだ道。十数年間の生涯の話だった。
――ここから先を、聞いてはいけない。
本能的にグローリアは悟り、背筋に怖気が走った。
今、目の前にいる男は、人類の悪意と性暴力を煮詰められ形成された存在だった。
自ら拷問や殺人を犯したこともあるグローリアだったが、やはり年ごろの女として吐き気を覚えるような現場は慎重に避けてきた。しかして晶が経験してきたものは、彼女が嫌悪し、恐怖し、戦わずして目を背けてきた地獄であった。
***
その日の夜。
「おうふ……」
自白剤の影響で晶は前後不覚に陥っていた。そのため、サフィーリアは晶の住む家の前に馬車をつけさせた。
「夜分すまない。開けてくれないか」
ドアをノックし、声をかける。
鍵を開ける音がして、双子の少女たちが顔を出した。
「あらら」
晶は魔術師のオリヴィエにもたれかかる形でどうにか立っている。兄の姿を見て、沙夜香と綾香は軽く目を見張った。
「ぐでんぐでんですね」
「これ、お酒を飲まされたの?」
「前と同じ薬でしょう」
毒を見抜く能力を持った沙夜香が、綾香の問いに答えた。
「ふうん」
囁きを交わしつつ、双子は左右から晶を支える形で両腕を自分の肩にまわさせた。
「サフィーリアさん、兄を送っていただいてありがとうございます」
美貌の騎士に対して、沙夜香は鋭い眼光を向ける。
顔が険しい。
「すまなかった。守り切れなかった」
サフィーリアは頭を下げた。何のけれんみもない、率直な動作だった。
その態度に、沙夜香の眼光がわずかに緩んだ。
「薬を盛ったのは、どなたですか?」
「おひめさまだよ。でも、ほっといたほうがいい……」
肩を担がれながら、晶が割って入った。
「にいさま、私はとても怒っています」
冷えた口調でいう沙夜香の顔は、とても怒っているようには見えぬほどに無表情だった。
「すまないがサヤカ殿。グローリア様は今、アキラ殿以上に参っている状態だ。泣いて謝っていた。容赦をしてもらえないだろうか」
「泣いて? あの人が? 謝る?」
綾香が大仰に聞き返した。
「兄様、何をしたの?」
「つつみ隠さずに洗いざらいぶちまけただけだよ。向こうの世界でどういう暮らしをしていたかとか、誰に何をされて、誰に何をしてきたかたとか。トリアージのこととか」
薬が抜けてきたのだろう。晶の口調は、多少は舌のもつれが改善されてきていた。
「ああ」
綾香がなんともいえぬ声を出し、沙夜香は無言で頭を抱えた。
「今朝、アキラ殿の身柄をグローリア様が確保なされた。そして薬を盛った上で、彼がこの世界でどういう意図を持っているのかを尋ねられた。それに対してアキラ殿は、自分の身の上話をした。話を聞かされた最中の姫様のところへ、アキラ殿が拉致されたことを聞きつけた私たちが救出に向かったと、そういうわけだ」
「事情は分かりました。すみません、不躾な対応をしてしまって」
サフィーリアの説明に、沙夜香は長女の威厳をもって礼節で答えた。
「いや。前の件もあるからな。疑われるのも仕方がない」
「処置はしたから、一晩休めば問題ないと思うわ。明日のシフトは非番にするから、何か胃に優しいものを食べさせてあげて」
オリヴィエが補足した。
「すみません、だんちょー」
晶が申し訳なさげに言うと、サフィーリアは嘆息した。
「アキラ殿は悪くない。とにかく休め。こちらは再発防止策を考える」




