晶と風呂(前編)
晶が、サフィーリア率いる騎士団に入隊してから半年。
初めのひと月は血反吐を吐くような筋トレ。次のふた月はじゃっかんサディストの気があるサフィーリアによる戦闘訓練に魔術の手ほどき。その後に、魔王が住むというダンジョンの探索チームに抜擢された。
晶にはセーブポイントという特殊な能力があった。一流の魔術師が彼を介し、ダンジョンの入り口でセーブを行う。するとダンジョンのどこの階層まで潜っても、一瞬でセーブした場所、すなわち入口へ戻ることができる。
従来のダンジョン探索は、入り口から任意の目的地までの往路と、目的地から入り口までの復路への移動を考えて物資を用意する。
酸素を発生させるための化学物質。水。食料。燃料。掘削道具。火薬。武器。これに魔道鎧の重量を加えると、一人当たりの装備が三十キロを超えることも少なくはない。
ところが晶が参入してからは、セーブポイントを利用することでダンジョンの目的地から入り口まで一瞬で移動できるようになった。このために必要な物資は半分以下となる。軽装になったことで探査範囲が広がり、加えて騎士の戦闘能力も上がった。三十キロの装備を抱えた状態で戦うのと抱えていない状態で戦うのとでは、条件があまりにも違い過ぎる。
探索効率は劇的に向上し、晶は騎士団にとってなくてはならない存在となった。先の話でサフィーリアは晶のことを大切な部下と言ったが、そう言わしめた理由は彼女の個人的好意のみではない。
「ただいま」
夕方。
帰宅した晶の声は、肉体の疲労と心の張りとがないまぜになっていた。
まだ、日は落ちていない。
「にいさま、おかえりなさい」
「兄さま、おかえりー」
双子の妹たちが声をかけた。
ほぼ同時の発声だが、最初のが姉の沙夜香で後のが妹の綾香だろう。イントネーションが微妙に違う。晶にしか気づかない程度のわずかな違いだ。
「いい匂いがするな」
「はい。今日はカレーです」
コトコト音がする鍋を見つめつつ、沙夜香。たまに中身をかき混ぜている。
「今日は何か特別な日だったっけ?」
晶は首をかしげた。怒ったわけではない。しかしカレーに必須の香辛料は貴重品で馬鹿高い代物だ。種類によるが、グラム単価で砂金の十分の一はする。
晶は三人で暮らしていくのに十分すぎるほどの給金を貰っているのだが、流石にそこまでは稼いでいない。
「レイチェルさんのつてで香辛料をおすそ分けしてもらいました」
炊事場にしゃがんで火加減をにらみつつ、綾香が補足する。時々、金属の棒を動かしては薪を崩して火力を調整していた。電子レンジもガスコンロもないこの世界で、料理とは炎との戦いである。
レイチェルはこの国の第二王女で年齢は十二歳。紆余曲折を経て晶の友達となったわけだが、ほどなくして妹たちを紹介すると意気投合した。たまに王宮に呼び出されてはお茶会の相手になっているらしい。
「ありがたいな」
「ええ。というわけですみません、ご飯はもう少し時間がかかります」
沙夜香の声が固い。絶対に失敗できない料理なので真剣になっているらしい。一命に代えてでも焦がさないという気迫が伝わってきた。
「お風呂は入れる?」
「はい。ぬかりなく。私は外せませんからあやちゃんと一緒にどうぞ」
「うえーい。兄さま、姉公認の二人きりですよう。一緒に裸でいちゃいちゃしましょう」
「いや、一人でいい」
こともなげに晶は言った。すたすたと風呂場に向かう。
「……」
「……」
姉妹は、まったく同じつくりの顔を見合わせた。晶の言葉に衝撃を受けたのだろう。どちらもしばらく、何もしゃべらなかった。彼が言った台詞が幻聴ではないのを確認するのに、数秒の時間が必要だった。
「あやちゃん、行ってきて。私はカレーから目が離せない」
「うい」
とてとてと、綾香が走って晶の後を追う。脱衣所で、晶は服を脱ごうとしていた。
近寄りがたい雰囲気だった。
「あの、兄さま」
「大丈夫だよ。たかが一人で風呂に入るだけだ。誰でもやってる。小学生でもやれてる」
「お仕事で何かあったのですか?」
「いや。仕事は関係ないよ。いや、あると言えばあるかもだけど」
「詳しく」
「他の女がつけたキスマークの痕を二人に見せたくない」
「……」
綾香は黙り、次いで下を向き、そして前を向いた。
「わたしたちが何百回そういうシチュエーションを経験したと思っているのですか」
「うん。分かっているよ。沙夜香も綾香も気にしないことは。これは僕の気持ちの問題だ。いつまでも、いついつまでも、向こうで負わされたトラウマをひきずりたくない」
一人で風呂に入る。
たかがそれだけの行為なのに、晶の口ぶりは悲壮な覚悟を帯びていた。それをとがめる綾香の態度は、浮気性の男を弾劾するようなものではなかった。
綾香は、晶の身を案じていた。
「どうしても、一人で入ると」
「うん」
「ここで待たせてください。それが私ができる最大限の譲歩です」
「ありがとう」
はかなげな、強がりが明らかに見て取れる笑みを見せて、空は服を脱ぐと風呂場のドアをくぐった。
***
(ああ……やっぱり……)
風呂に入った瞬間、晶は思った。
(キツいな……)
さあああ、と血の気が引く。それでもどうにか、後ろ手でドアを閉じる。綾香の視線が完全に遮断された。
立っていられなくなって、晶はレンガの床にうずくまった。
「うぐ……」
吐き気がした。
沙夜香や綾香と一緒ならば、決して感じはしない吐き気を。
心臓がばくばくと鳴っている。額と背中から、冷や汗ともあぶら汗ともつかぬ汁がどばどばと出てくる。
「……」
声を押し殺して、晶は手のひらを口に当てた。今吐いたら、それを聞きつけた妹が乱入してストップをかけてくるだろう。
(大丈夫だ。まだ大丈夫……)
血の気の引いた顔で、晶は自分自身にそう言い聞かせた。
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