主人公、修道女ジェシカに懺悔する
九条 晶:主人公。十六歳。
ジェシカ:二十四歳。前髪で切りそろえられた黒髪。
その、少年は――
物心ついた時には、誰をも魅了する容姿を持ち、誰の心にも入り込む話術を仕込まれ、誰からも好かれる仕草を叩き込まれていた。
彼と同じ英才教育を受けた子供たちは数多くいたが、歳を経るにつれてその数は減っていった。ある者は“里親”に引き取られ、ある者は己の将来に悲観して自らの命を絶ち、ある者は厳重に管理された塀の外へ出ようとして見せしめに殺された。残念ながら発狂してしまった者も、彼が知る限りで両手の指では数えきれない。
彼らには人権がなく、彼らは高級な商品であり、彼らは性的略取の被害者だった。
彼の場合、自分の身体を凌辱されることは、不快だが耐えられないことはなかった。
だが――
自分と同じ境遇にいる弟妹を、自分の手で調教させられるのは何よりも辛かった。
***
「あら」
「こんにちは」
教会に入ると、ぞうきんで居並ぶ木製のテーブルを拭いている修道女はすぐに彼に気付いた。彼――晶は挨拶しつつ、小さく会釈する。
「こんにちは、晶さん。今日は非番ですか」
彼女は、無垢な微笑みを浮かべてそう尋ねた。
白翼騎士団の救護部隊隊長、ジェシカ。
初対面の頃に教えてもらっていた。本職は教会の修道女兼看護師であるのたが、治癒魔法の腕を見込まれてサフィーリア団長にスカウトされたと。
教会の経営もそれなりに大変なもので、騎士団隊長としての給金の多くを寄付して孤児の救済に当てているらしい。彼女は根っからの善人だ。
「ええ。邪魔でしたか?」
ジェシカ以外、誰もいない講堂を見渡して晶は尋ねた。
彼女は他意のない笑みを浮かべたまま、首を振った。
「いえいえ。迷える子羊を導くのが私達の役目。何かお悩みがあるのなら、不肖、このジェシカ、晶さんがすっきりするまで聞きましょう」
八十六センチのEカップ、かなり大きなサイズの胸を大仰に反らせていう修道女姿の彼女に、晶は少し笑った。彼女はいつでもポジティブで明るくて、そして何より悪意と屈託がない。
「男女関係の話でも?」
「ええ、よくある相談事です。秘密は誰にも口外しませんよ」
手近にあった席に座り尋ねる。ジェシカはぞうきんを置くと、晶の座った席の斜め向かい側に座った。
どうしたものか。
晶はちょっと逡巡した後に、ジェシカのキラキラとした瞳に耐えかねて、本当に抱えている悩みを話すことにした。
「まず前提として、好きな女の子がいるのに他の女の人も好きだからって理由で手を出す男がいます。そしてその男が好きな女の子は、それを知っていてかつ納得どころか推奨している環境があるとします」
「はい」
「男に手を出された女の人も、いや女の人達も、男に本命の女の子がいることを知っています。それでも関係を持ちたいと願っていますし、男の他の女性関係をとやかく言うようなこともありません」
「はい」
「その男は調子に乗って本命の女の子をないがしろにするのが怖い。かといって、他の好きな女の人を諦めるのもできない。この中途半端さがもやもやする」
「気が多い男がいて、でも本命の女の子はその気の多さを好ましく思っている、と」
「はい」
「周囲の女の人たちも、自分が本命でないことを知りつつそれを受け入れていると」
「はい」
「なんて羨ましい」
「はい?」
「えーと。団長はまだですよね。本命の双子の妹さんたちと日常的にいちゃいちゃしていて、色気が服を着たようなオリヴィエさんにはがっつり手を出していて、マリー……はまだですか? それとお城の可愛いお姫様付の美人メイドさん、がかなりいい関係ですよね」
「あのー」
「晶さん、貴方は神を信じますか?」
「何を唐突におっしゃるんですか、ジェシカさん?」
「私は信じます。人との出会い、別れ、艱難辛苦に悲喜愛憎。全ては神の思し召し。貴女がこの世界に来て、私達と出会い、こうしてお話をしているのもすべては神の思し召しでしょう。私はそう思います」
ぐっ、と、拳を硬く握りしめて、ジェシカは力説する。
「もちろん、他の男が同じことを言うのなら問答無用でぶん殴ります。でも晶さん、貴方は嘘をついていないのでしょう。貴方は妹達を愛しており、その愛する妹達は貴方が様々な女の人と関係を持つのを喜ばしく思っている。違いますか?」
「……。ええ、まあ、おっしゃる通りです」
ジェシカの奇妙な迫力にたじろぎつつ、うなずく晶。
「ならば答えは一つ。愛しなさい」
「はあ」
「愛して、愛して、愛しなさい。晶さんなりのやり方で、できうる限り愛しなさい。ただし相手の都合と貴方の都合もきちんとすりあわせて、自分を見失わないようにしましょう。押し付けられる愛も押し付ける愛も迷惑なものです。愛とは、自分と相手のことを真摯に思いやってこそ成り立つもの。だから、愛すべきだと思う人たちを、貴方なりのやり方で真剣に愛しなさい。そこに後悔はないはずです」
「……」
晶は、急にうつむいた。
「は。はは」
うつむきながら、口を開いて。
「ははは、愛せよ、か……はは……うぐ……はははは。そうですね、ははは」
笑いながら、えづくように泣き出した。
今までの人生の中、どれほど、人を愛していると囁いたことだろう。
その言葉の軽薄さを、愛してもいないのに愛していると言った自分を、どれほど嫌悪したことだろう。
何度も嘘をついて、何度も何度も誤魔化すために次の嘘をついた。そうしているうちに何が嘘だか自分でもわからなくなり、いつしか本心からの愛情ですらも疑念を抱くようになった。
『彼女を愛している』
それは嘘偽りのない本心のはずだ。はずだ。はずだ。はずだ。けれども信用できなかった。他の女にも、何度も同じ嘘をついてきたから。そうしなければ彼は、生きていくことはできなかった。そんな地獄の中で、晶は生きてきた。
傷つきながら、疑いながら、騙しながら、それでも彼女達へ向けるこの愛情はだけは本物だという想いだけを支えに誇りを保って生きてきた。
そしてそれを、間違いではないと言ってくれる人に出会った。
何の事情を知らなくても。何の事情を聴かなくても。
ただ、貴方の事を信じると。ただ、思った通りに人を愛せればいいと。
「僕は、人を愛してもいいんですか……?」
唐突で、切実で、おそらく誰にも理解できぬであろう問いを晶は投げかける。
その言葉の重みは、彼の過去を知らぬ者にはわからぬ。この世界で、その言葉の真意を理解できるのは彼と彼の妹達だけであろう。
けれども。
ジェシカは理由を問わず、ただ静かに彼の言葉を受け止めた。
「人を愛する心に、資格なんていりません。愛したいのなら愛すればいいのです」
「……。ちょっと、鼻、すすります」
ポケットからハンカチを取り出して、晶は盛大にすすり上げた。ずぴいいいい。
「ああ、すっきりした」
鼻づまりがなくなったから、というよりはもっと心理的なことだろう。わずかに影が差していた顔が、今は爽快としている。
「良かった」
「ありがとうジェシカさん、貴方は心の恩人です」
「はい。悩みが軽くなったのなら何よりです」
「それで、非常に言いづらいのですけれど、いや言いたいから言うんですけど」
「まだ悩みがありますか。何なりと聞きましょう」
にっこりと笑うジェシカ。
「これからジェシカさんを口説いていいですか?」
「……ふ。うふふふふ」
意表を突かれた、といったていで目を見開いた後、ジェシカは心底からおかしそうに笑い。
「はい、口説かれました♪」
不意打ちに、晶の頬にキスをした。
2017年6月11日、加筆修正。




