女剣士ローズマリー、主人公の毒牙にかかる
魔王という生物の多くは、ひきこもりで、ひとみしりで、人と関わるのを好まないらしい。
彼らの多くは地中深くを住処とし、魔界から湧き出てくるおいしい動物やおいしい植物を捕獲し調理して暮らしているという。
魔王が住む地中は、迷宮を形作る。
魔王の持つ膨大な魔力と、魔界から漏れ出る瘴気とが複雑に絡み合い、地層を変動させ土をえぐり通路を作るのだ。
迷宮には様々なポイントがある。
酸素がある安全な通路。
酸素がない危険な通路。
魔界に直結し、モンスターの密度が高いエリア。
魔王の魔力が溜まりやすく、魔水晶が採掘できるエリア。
聖域とつながり、魔物が立ち寄らない非常に安全なエリア。
晶は、最後の非常に安全なエリアにいた。
一人ではない。
騎士団の第一部隊隊長、獣人クォーターのローズマリーと一緒にいた。
で――
「んぅ……」
すりすりと、彼女の頬が晶の頬にこすりつけられる。
晶は、ローズマリーにのしかかられていた。
二人きりである。
彼女を止める者は誰もいないし、晶を止める者も誰もいない。
ローズマリーの頬はぷにぷにとして柔らかい。
唇が触れ合いそうな距離だった。
鼻にかかる彼女の吐息は、かすかにミントの匂いがする。いい匂いだ。
胸元を露出した魔導鎧の中にわずかばかりおおわれた、薄い彼女の胸が晶の胸板にあてられている。
どうしてこうなった。
晶は状況を思い返す。
彼は、いつもの精鋭のお姉さん方とダンジョン探索をしていた。
モンスターの群れをやり過ごしつつ、迷宮の測量をし、酸素のあるポイントとないポイントを調査してゆき。
ほどよい魔力溜まりを何か所か見つけて。
魔水晶の元となる魔素を仕込んだ宝箱を設置したところで、地震が起こった。
落盤。
同時に地面が崩壊し、迷宮の下の階層へと落ちていった。
落ちてゆく彼に、とっさに手を差し伸べたのがローズマリーだった。彼と彼女は迷宮の地下層へと落下し、他の面々たちとは寸断されてしまった。
落下した先で、二人はとりあえず状況を確認した。
酸素はある。
モンスターはいない。
落下の際に全身を打ったが、さして痛みはない。ローズマリーも受け身をとったらしい。無傷であった。
携帯した水と食料は、一日半をしのげる程度か。
そこまで確認して、晶は楽天的になった。
追跡の魔法が使えるオリヴィエがあちらにいるのだ。こちらの居場所はすぐにつきとめられる。魔法で堆積した土砂をぶち抜く程度の芸当はサフィーリアやオリヴィエならわけはない。合流するまで大した時間はかからないだろう。
「あの、ローズマリーさん?」
「マリーと呼びすてにして」
「マリー」
「うん」
嬉しげにうなずいて、マリーは晶にキスをした。
「ちょ」
晶は、驚いて声を立てた。薄くルージュのひかれた唇の、触れ合うだけのキス。
「いやだった?」
「魔物がいつ来るかわかりませんよ」
「ああ……。大丈夫だ。ここは聖域だから」
「はい?」
いぶかしがる晶。
ローズマリーは晶の耳元に唇を寄せ、甘く噛みながらささやく。
「ダンジョンにたまにある、神の加護によってモンスターが立ち寄らない安全地帯だ。気配と匂いでわかる」
「う、あ……」
女の手が、晶の身体をまさぐり。
晶の身に着ける革鎧の紐の部分をほどいてゆく。歴戦の戦士のするそれは手馴れていて、晶は抵抗するのもそこそこに鎧をはがされた。
獣人の彼女とは、力も、技量も違っている。
「アキラが悪いんだぞ……」
彼の胸のあたりを、マリーの手がまさぐる。
「何の話ですか」
「隊長やジェシカやオリヴィエには普通に話しかけるのに、あたしにはつれない態度だ。ずるい。あたしも隊長みたいに話かけてほしい。ジェシカみたいに胸に顔をうずめてほしい。オリヴィエみたいにいやらしい目で見てほしい」
「むちゃくちゃな」
「何がだ?」
「マリーは仲間に対して性的対象として見てほしいって言ってるわけですよ」
「あたしは女で晶は男だ」
「男なら誰でもいいってことですか?」
「わんっ!」
ローズマリーが怒ったように顔をゆがませ、吠えた。
「侮辱するな。好きな相手だけに決まっているだろうバカ」
「僕はローズマリーさんに嫌われていると思ってましたよ」
「マリー。呼び捨て」
彼女が、晶を恨めし気ににらむ。眼光が獣のように鋭かった。しかしその瞳には、涙がうっすらと浮かんでいる。
「マリーに嫌われていると思っていた」
「どうして」
「だってあまり話しかけてきてくれないし、僕が近寄ると後ずさるし、顔を見ると視線を外すし」
「どう接していいかわからないんだ……その、アキラと一緒にいると、自分が抑えられなくなりそうになる。今みたいに」
言いつつ、マリーはぎゅっと彼の身体を抱きしめる。
無意識の動作なのだろうか、太ももがかすかに動いていて、晶の股間の紳士のあたりにうずくような刺激を与えていた。
「すまない。でも、止めるのが難しいんだ。アキラとふたりきりで、安全な場所にいると思うと……アキラの匂いがかぎたくなる。肌を触れあわせたくなる。アキラの子供をほしいと考えてしまう……すまない」
囁くように、マリー。
その唇は、晶の胸板にいとおしげに這わされていた。
瞳がとろけている。
表情は、これ以上ないほどの至福を見せ。
身体はどうしよもない火照りを帯びて、晶を求めていた。
「謝られつつセクハラされても困ります。そんなことを言われたら僕もおかしくなりそうになる」
「おかしくなって欲しい。私とするのは……いやか?」
「好きな人がいます」
「知っている。団長だろう?」
「いえ……まあ、団長も好きです」
「わがままは言わない。困らせもしない。愛人でも側女でも性奴隷でもペットでもいい。私をもらってくれないか」
本気の台詞であった。嘘偽りがないことは、目を見ればわかった。
「……」
晶は、目を閉じて。
大きく、深呼吸をした。
「今は返事をできない」
「どうして?」
「ローズマリーさん……マリーは魅力的すぎる。そして僕は欲情している。そんな状態でまともな判断が下せるわけがない」
「一緒におかしくなればいい。あたしはすでにおかしくなっている。ううん、アキラと初めて出会った時からおかしくなっていた。ずっとふわふわした気分で、夢にまで見た。アキラの手で首輪をつけてもらうことを」
マリーは、晶の口端にキスをする。
「このまま流されればいい。あたしは誰にも言わない」
蕩けながらもまっすぐなその瞳は、彼女の台詞が本心からのものであることを物語っていた。
だから、晶は――。
本性を、さらけ出すことにした。
「マリー……」
晶の手が、彼女の後頭部に添えられる。少しだけ力を込めて、瞳と瞳が絡み合う位置に誘導し。
晶は、キスをする。
「んっ……!」
マリーが、驚き。
そしてすぐにうっとりと瞳を閉じて、彼の舌を受け入れる。
深い、深いキス。
ぴちゃぴちゃと、しばらく水音があたりに響き。
びくり、びくりと、マリーの身体が小刻みに震える。
所在なげに彼女の手が動き、ひきつるように背筋が律動し、がくりと、下腹部のあたりが大きく跳ね上がって。
「あ、は……」
マリーは、天国を味わった。
「ふぅ……」
晶は、唇を離す。
互いの唇の間に唾液の橋がかかり、それはすぐに切れていった。
「命令だ。僕から離れて。でないと二度としてやらない」
ぴしゃりという。
その晶の口調は厳然としたものだった。
淫猥な行為の余韻のひとかけらもない。まるで絶対者としての言葉であった。
「アキラ……?」
「返事は?」
問いかけるその声は、有無を言わさぬ。
「はいっ」
身をすくませながらの返事。
ローズマリーは晶から離れ、立ち上がった。
晶も同様に立ち上がり、はだけさせられた衣服を整え、鎧を着なおした。
「よろしい」
居住まいを正すと、彼はよしよしとマリーの頭をなでてやる。
「くぅん……」
頭にある副耳を心地よくなでられて、マリーが忠犬のように鳴いた。わざとではない。肉体の反応だった。
「マリー。奴隷やペットに対して一番目と二番目に大事なことはなんだと思う?」
引き締まった顔。冗談のかけらもない口調で、アキラが問う。
「……。わかり、ません」
知らずの間に、マリーの言葉が敬語になっている。
「一番目が信頼関係。二番目がしつけ」
「信頼関係に、しつけ」
「そう。これから二人きりになったときには、マリーを僕専用の奴隷かペットに類するものとして扱う」
そう、言った際の晶の瞳は。
人にかしずかれ従えられるのを当然とする、王とでもゆうべき威厳と気迫があった。
「……」
奴隷。ペット。その言葉を理解するのに、数秒かかり。
「はい」
理解した瞬間、マリーはひざまずいた。
晶の足もとに、こうべを垂れる。
「まずは、“待て”を覚えろ。気が向いたら抱いてやる」
「ああ……。ありがとうございます、ご主人様」
さきほどとは打って変わった態度だった。晶も、ローズマリーも。
今、変わったのだ。二人の関係が。
マリーは、晶のことをご主人様、というのがふさわしいと思った。だからそう言った。
ゾクゾクとした快感が背筋から女の下腹部の部分を走り、マリーは太ももを軽く擦り合わせた。晶の目線がなければ、はしたなく自分で慰めていたかもしれない。そんな衝動にかられる。
今、自分は支配された。
目の前の、この男に。
九条 晶という男に。
「ご主人様って言い方や敬語は二人きりの時だけにしてくれ」
「かしこまりました。それで、あの……」
「何だい?」
「もしも気が向いたら、首輪をつけていただけないでしょうか。その……獣人の間には風習があって、気に入った女に首輪をつけるのです」
「けっこう悪趣味な種族だな」
「すみません」
「気が向いたら考えてあげる」
「ありがとうございま、ありがとう」
ローズマリーが言い直した瞬間に。
複数の足音が聞こえてきた。
サフィーリア達だ。
「無事か?」
「ええ、ローズマリーさんのおかげで」
「あ、ええ。そうね」
「? ふむ」
いぶかしむサフィーリア。
目配せを交わすオリヴィエとジェシカ。
その様子を見て、彼女は何か得心したらしい。
「何があったのかは知らぬし、知る必要もない。隊を危険に巻き込まぬ限り個人の問題には口を出さぬ。それが我が騎士団の方針だ。いいな、アキラ殿、マリー。締めるところは締める。緩めるところは緩める。時と場合をわきまえることだ」
晶とローズマリーはうなずいた。
くすくすと、オリヴィエが笑っている。
「では戻ろうか。アキラ殿。すまないがまたよろしく頼む」
「はい」
そうして彼らはいつものようにセーブポイントを設置し、帰途についた。




