わがままな姫と忠実なメイドさんのところへ遊びに行った
「本日は招待に応じてくださりありがとうございます。アキラ様」
深々と、メイド服姿の女性がお辞儀した。
切り揃えられた前髪と、首の上までしかないショートヘア。細く、長く、鋭い瞳。それはネコ科の猛獣を思わせる。侍女のフローラだ。歳は、二十代の後半ほどか。
彼女の傍らには、小さなティアラをつけた少女がいた。歳は十二、三くらいだろうか。沙夜香や綾香よりも少しだけ若い。この国の第二王女のレイチェルで、このまえに友達になった。
レイチェルはフローラの後ろ隠れるようにして立っていた。人見知りしている。
「お久しぶり。レイチェルもお久しぶり」
晶は言いつつ、王女に歩み寄って来やすく手をとった。白く長いレース地のグローブごしに、唇を触れさせる。王族に対する挨拶。
「お、お久しぶりね、アキラ」
声をうわずらせて、少女は言う。
晶の唇が触れた手の甲をうっとりとさすりながら。
「今日はいろいろなお菓子を用意したのよ。お茶会を楽しみましょう」
緊張しているのか、わずかに赤くなった顔でレイチェルは言った。
「ああ。よろしく」
晶は妹たちにするように、彼女の頭を撫でてやる。
「ぶれいもの」
言葉と態度が違う。少女にしっぽが生えていたら激しく振っていただろう。飼い主になつく犬のように嬉し気に、彼が撫でやすいように頭を俯かせている。
「そいつは悪かった」
晶は手を放す。
「む、う」
レイチェル、赤面して妙なうなり声をあげる。
「……」
傍らに立つフローラの表情が、ふ、と緩んだのを晶は横目に見た。しかしそれは一瞬のこと。すぐにいつもの無表情めいた顔に戻る。
紅茶が出た。
ハチミツやクリームをまぶした焼き菓子も出された。
紅茶を口に含むと、それが最高級の茶葉を使い最高の技術で淹れられているのがすぐにわかった。菓子も美味い。
城の廊下にあった調度品の数々といい、この王室は金回りがいいらしい。
晶は知っている。一口に王と言ってもいろいろといることに。領地を失って名ばかりの王、多数の貴族を傘下に置いた有力な王、金回りのいい王、貧乏な王、民衆に好かれたがる王、民衆を軽蔑する王、戦争が好きな王、戦争に備える王、家臣の傀儡になっている王、家臣の忠言を無視して指図するのが好きな王。
王の方針と、主に近隣国との関係によって王の一族は翻弄される。
人質になることや、幼い頃から結婚を決められている例などよくある話だ。
ただ、どういう状況であれ確かなことがある。
それは、レイチェルは彼にとっての友達だということ。
とりとめもない話をした。
菓子をひとしきり食べた後、少女が育てているという花壇を案内してもらう。
「これはルサンカ。蝶の口みたいに長い雄しべを出しているのが特徴なの。つぼみが月齢と共に大きくなって、満月の夜には魔力を少し出して輝くわ。こっちのはアルサナ。紫色の綺麗な花を咲かせるの。根は煎じたらいい香りのするハーブになるわ」
「へー。ちなみに花言葉はあるのか?」
「はなことば……?」
「僕らのいる世界では、花にはいろんな花言葉があるんだ。花の象徴的な意味とでもいうのかな」
「たとえば?」
「そうだな。桜――これは木に小さな花弁をつけたピンク色の花が咲くんだけど、桜の品種の一つであるソメイヨシノの花言葉は純潔とか優れた美人、枝垂桜は優美、八重桜は豊かな教養。この世界にもある薔薇は品種が多い分花言葉も多い。たとえば赤い薔薇はあなたを愛しています、白は純潔や尊敬、黄色は愛情の薄らぎや嫉妬、友情だったと思う」
「へー……。色によっても花言葉が違うの?」
「そう。だから人に花を贈るときは色に会った花言葉を花屋さんに教えてもらうようにしてる」
「アキラ、詳しいわね。ひょっとしていろんな女の人にお花を贈っているの?」
「うーん。母の日にカーネーションを贈るくらいかな。ちなみにカーネーションの花言葉は感謝とか純粋な愛情。あと、妹の誕生日に適当な花を見つくろって贈るくらい」
「い、も、う、と……!」
じとっとした目で、レイチェルは晶をにらんだ。
裸を見られたあの日の夜。王族のしきたりに従って結婚するよう要求した彼女に対して晶は言った。それはできないと。すでに結婚を約束した相手がいるからと。それが、妹だった。
「そんなに自分の妹が好きなの?」
「愛してる」
真顔で、晶は即答した。
「……むぅぅぅぅ!」
ぽかりと、レイチェルは晶の胸板をぎゅっと握った拳の底で叩いた。
「人が人を好きになるのに怒られるいわれはないな」
「私の方が可愛いに決まってるわ。それにこの国の王女なのよ。アキラが欲しいものは何だって買ってあげられるし、贅沢な暮らしだってさせてあげられるのよ。私に鞍替えしなさい」
「レイチェル。君は確かに可愛い」
長い金色の髪と、勝気そうな藍色の瞳。華美とでも言うべき、厳かさとほのかな色気。おそらくあと四、五年もすれば誰もが振り向く美女になるだろう。
「でしょう?」
ぱっと、レイチェルの表情が輝いた。
「でも、人の話を聞かないね」
「何ですって。何がよ」
「前に言った台詞。僕は対等でもない相手を好きになれない。奴隷にもペットにもヒモにもなるつもりもない」
「それが何よ」
「レイチェル」
「何よ!」
「僕以外に友達はいるの?」
「いるわよ。何人も」
「その何人もいる友達の誰でもいい。怒られたり、くだらないことで喧嘩したことはあるか?」
「ないわよ。何だっていうのそれが」
「本当の友達なら、もしくは本当の恋人なら、お金や地位を上げるから親しくしろといわれたら怒る」
「アキラ、怒ってるの?」
「ああ、そうだ」
「……」
助けを求めるように、レイチェルは彼女の左後ろに控えるメイドのフローラを見た。しかし、彼女は静かに首を振った。
『これは姫様が解決することです』と、フローラの態度が示していた。
「どうしてなの。自分が気に入った人に、お金やいい待遇を与えることはごくごく当然のことでしょう? お父様だってお母さまだってお姉様だって、そうして有能な人を周りに置くようにしているわ。王族にとってはケチが一番悪い事だって、私は習ったわ」
その通りだ。
晶も痛いほど教え込まれた。むしろ正しいとすらいえるだろう。いずれ国をまとめ、人の上に立つことを運命づけられた者にとって、惜しみなく与えることは何よりの善行だ。
帝王学とはそういうものだ。
しかし。
「レイチェル。君は王族である前に一人の人間で、僕の友達だ」
「……。わからないわ」
じわりと、レイチェルの瞳に涙が浮かんでいた。
「わからないわ。アキラが何を言っているのか。何で怒ってるのか」
「だろうね」
「私と友達になるのが嫌になったの?」
晶は首を振った。
「じゃあ何なの?」
「友達であるために必要なことがある。今の話がそれだ」
「何?」
「分かり易い話をしよう。もし僕がさっきのレイチェルの申し出を受けるとする。妹と絶縁して、ここに来て、君からお金をもらう。代わりに君を可愛がる。歯の浮くようなほめ言葉を言う。世界で一番好きだとか言う。そして最後にまた君からお金をもらう。そうして笑顔で別れる。また翌日に来て、お金をもらう。代わりにレイチェルと話をする。そんな生活を繰り返すうちに、だんだんと僕の態度がおざなりになってくる。ひょっとしたら城にいるレイチェル以外の誰かに色目を使うかもしれない。危機感を覚えたレイチェルは報酬を増やす。さらにたくさんのお金を僕はもらう。僕は喜んでレイチェルとお話をする。でもまた態度がおざなりになる。そんな日が続く。……さて、その時の僕は腹の中で、レイチェルのことをどう思っているだろうか?」
「……。ただの財布」
「そうだ。それ以外何もない。友情も愛情もない」
「……」
「確かに人に何かを与えることは悪い事じゃない。でも、いつ、どうやって与えるかはきちんと考えないと悲劇が起こる。与える動機についても。特に、見返りを求めて与えることは相手への侮辱になることがある。君は僕を侮辱した。だから怒った」
「……」
「理解できた?」
「ええ。どうしたら怒りを解いてくれるの?」
「一言、謝ってくれればいい」
穏やかな顔で晶は言って。
「ごめんなさい」
レイチェルはすぐに、頭を下げた。
「うん。許した」
手を伸ばし、晶はレイチェルの頭を撫でた。
嬉しげに、レイチェルがはにかんだ笑みを浮かべる。
「ねえ、アキラ。どうしたら私の事を好きになってくれるの?」
「そういう素直に何でも言うところはわりと好きだよ」
「っ。そ、そう。そうなの」
「でも何でも言えばいいってわけじゃあないけどね。さっきのお金の話みたいに」
「う、うるさいわね。もう二度とそういう話はしないわよ」
「うん。そうしてくれ」
さて、と晶はレイチェルの頭から手を放した。
「何事も好かれようとか考えているうちはうまくいかないよ。だからさ、難しく考えるのはやめて一緒に遊ぼう」
「うん!」
十二歳の、年相応の可愛らしい笑顔を少女は見せた。
「……」
自らの主である少女と、得体の知れぬ少年とのやり取りを傍らで聞いて――。
侍女のフローラは、天を仰いだ。
そうしないと、うれし涙をこぼしそうになってしまうから。
(アキラ様……)
自己中心的でわがままで歪んだ教育しか受けてこなかったこの姫君に対して、誰も教えられなかったことを、わずかなやりとりだけで晶は教えた。
それがありがたく、しかし少しの嫉妬を覚える。
はじめは、安易な気持ちだった。異世界から来た者、過客は元いた世界の話をするだけで珍しい話になる。レイチェル姫の退屈しのぎになればそれでいい。といった程度のつもりで彼が近づくのを排除しなかった。
だが。
彼に出会って、レイチェル姫は変わろうとしている。
そして、おそらくは自分も――。
(まずい変化ですね……)
主君と、一人の男を取り合うなどという愚劣な真似はしたくないのだが……。
晶に対して、敬意を超えた好意を抱き始めていることに彼女は気づき、困ったようにため息をついた。
次回はどのキャラの話が好みでしょうか。感想などでリクエストくださるとありがたいです。




