表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/50

ドライブの約束

「全く腹立たしい!」

 原田さんのいつもの台詞だ。何を怒っているのか分からないが、大将に話しかけている。


 今日はそれほど遅い時間と言うほどではないが、和久井さんも横田さんもいない。店の客は俺と原田さんだけだ。


「どうしたんですか?」

 大将も仕方なく、理由を聞く。人が怒っている理由なんて、聞いたところで楽しいわけがない。しかも、基本肯定的な対応をしないと余計怒らせることになる。それが酷く賛同できる内容であれば、逆にこっちまで気分が悪くなる。でも、聞いて欲しいから原田さんも話し出したのだろうし、そういうグチなんかを言える場所としてここで飲んでいる部分もあるだろうし……。俺も時々グチ聞いてもらっているし……。


「いやね、今日、仕事が無かったんだが、天気が良かったので洗車したんだよ」

 原田さんは言った。

「ほう、それで?」

 大将は相槌を打つ。

「で、隅から隅までスポンジで擦りまくって最後に水をぶっかけて完了って具合にさ」

 ホースで水をかける仕草をしながら原田さんは説明している。

「で、夕方ピッカピカになったはずの車で買い物に出かけようとしたら、何だか白いシミみたいのが無数に付いていてさ……。かなり念入りにスポンジで擦ったのに何でだよ!ってわけさ」

 なるほど、さほど事は深刻ではなさそうだな……。


「原田さん、洗車後に拭き上げしました?」

 意外なことに、椎名が言った。

「いや、してねぇけど。綺麗に洗って水かけたんだから、後は乾くの待つだけだろ?」

 確かにそんな気がするな……。


「そのシミの正体はカルキですよ」

 椎名が言った。

「カルキ?」

 原田さんは聞き返した。

「私、ここの洗い物していて気が付いたのですが、今年は急に暑くなったせいか、最近カルキの量が多いんですよ。コップだって、洗って自然乾燥させると、白いシミがいっぱいついているんですよね……。しかも昼間だと日差しが強いから一気に乾いてカルキが残ってしまうんだと思います」

 椎名が言った。なるほど説得力があるな……。


「ってことは、明日にでももう一回水ぶっかけて、手ぬぐいか何かで拭き上げりゃ良いってことだな……。よし! 良いことを聞いた。早速明日やってみるよ。ありがとうな! 椎名」

 原田さんはいきなり上機嫌だ。

「いえいえ、たまたま私も同じ経験をしたので……」

 椎名が控え目に答える。

「何だか胸の仕えが取れた気分だ……。椎名! 焼酎もう一杯入れてくれ。椎名も飲むか?」

 原田さんは言った。

「え? 良いんですか? やった! じゃ、頂きまーす」

 椎名は焼酎を二つのグラスに入れ、原田さんと乾杯してから少し口を付けた。

「あ〜、美味しい!」

 椎名は見た目と違って、やたら酒が強い。しかもオールジャンルOKで、飲んだ酒の味も全て記憶している。俺は、函館ビールの赤生を好んで飲んでいるが、実はそれほど味が分かる訳じゃない。日本酒の甘い辛いくらいはかろうじて分かるが、焼酎になると米か麦か芋かの違いくらいしかわからない。


「兄ちゃんは車乗らないのかい?」

 原田さんが聞いた。

「ええ、実家にいた時は、毎日乗っていましたが、こっちで独り暮らしするようになってからは必要なくなっちゃって……」 

 情けない話だが、本当の話だ。平日は毎日仕事場とアパートの往復だけだし、週末は洗濯やら何やらしているうちに終わってしまう。空いた時間はテレビを見ているか寝ているかって感じで。


「気候も良いので、ドライブでも……って思うときもありますけど、独りでレンタカー借りるってのも……」

「まあ、そうだろうな……。返しに行く時、ちょっと寂しいかもな……」

 大将が言った。

「なんだったら、俺の軽トラ使うか? カルキ付きだけど。エアコンは一瞬で利くぜ。ツーシーターだしな」

 原田さんが言った。店中が大笑い……。

「男独りで、休みの日に軽トラ乗って、どこに行くんですか? でも、家具とか買うとき、便利かも……」

 俺は言った。

「確かにな。軽トラって想像以上に大きなものが乗るんだぜ。三人掛けのソファーだって大丈夫だ」

「俺、独身の独り暮らしなんですけど……。そのソファの買い物、ちょっと寂しいですよ」

 またまた大爆笑……。


「大体、もしも何かあったらどうするんですか。保険にも入っていないのに……」

 俺が言った。

「あ、それ大丈夫ですよ。ネットで一日だけ入る保険があったような気がする……車両保険に入っても千円くらいだった気がします。大学の友達が使っていましたよ」

 椎名が言った。

「へぇ、そりゃ便利だな。今度仕入れを椎名に頼もうかな……」

 大将が返した。

「私、目利きができませんから意味がないと思いますよ」

「あ、そうか……。そりゃそうだな……。残念。でも発注したものを取りに行くくらいなら……」

「免許を取ってから数回しかハンドル握っていませんから、店に戻ってくるまでに魚はつみれになっているかもしれませんがね……」

 椎名はにっこり笑ってそう言った。

「確かに初心者の運転って本当に怖いものな……。あのアクセルかブレーキのどちらかを必ず踏んでいる感じ……」

 俺は呟いた。

「え? 踏まないんですか? 踏まなきゃ進まないし、止まらないじゃないですか?」

 椎名は聞いてきた。

「ま、そうなんだけど、何て言うのかな……、初心者特有のどっちも同じペースで踏むんだよ。状況に関係無く……」

 俺は言った。

「ああ、わかるな……。母ちゃんの運転がそうだった。いっつも子ども心にヒヤヒヤしてたのを思い出したよ」

 原田さんが続く。

「運転している本人はよくわからないですが、きっとそうなんでしょうね……」

 椎名が言った。

「初心者じゃなくても、人の運転はとにかく怖いって人もいるね」

 大将が言った。

「そんなのバスやタクシーに乗れないんじゃないですか?」

 椎名が返した。ごもっとも。

「うん、俺の友達の話なんだけど、バスは前が見えなければ大丈夫なんだって。だからいつも横座りの座席に座っているって言っていた」

「タクシーは?」

 今度は原田さんが聞いた。

「ああ、タクシーはまず助手席には絶対に乗れないって言っていた。後部座席でも結構ドキドキはするけど、あのタクシー特有の匂いで段々落ち着いてくるらしい」

「タクシーの匂いで?」

 思わず聞いた。確かにタクシーってどこの会社の車に乗っても特有の匂いがするな。今まで気にしたこと無かったけど……。

「じゃ、車にタクシーと同じ匂いを付けたら私が運転しても大丈夫なのかしら……」

 椎名が小首を傾げた。

「いや、基本的な技術があっての話じゃないかな……」

 大将が笑う。

「基本的な技術って、一応教習所は全て一発合格で卒業しているんですけど……。それより私の運転する車に乗ったこともないのに、落第決定ですか?」

 椎名はぷぅとふくれた。

「だって自己申告するから……」

 大将は手のひらをヒラヒラさせながら椎名をなだめる。

「原田さんの軽トラで練習させてもらおうかしら……」

 椎名はちらりと原田さんを見る。

「仕事で使わない日ならいつでも構わんが、大丈夫か? ミッションだぞ?」

 原田さんは聞いた。

「私、ちゃんとミッションで免許取りましたから」

 椎名はエヘンと胸を張った。

「「「ほう……」」」

 三人は思わず声を漏らした。

「え? そんなに意外でしたか?」

 椎名は予想外のリアクションに少したじろいでいる。

「何でまた?」

 思わず聞いた。

「いや、特に理由は無かったんですが、料金もそれほど変わらなかったので、『大は小を兼ねる』くらいの気持ちで……」

 椎名は言った。

「で、結局殆ど乗る機会は無かった……と?」

 大将は聞いた。

「ええ、自分でも意外なくらい」

 椎名は肩をすくめた。

「まあ、椎名みたいな美人なら、車は『乗せてもらう』ものなのかもしれないな……。お、酒無くなったな……。もう一杯入れてくれ。椎名ももう一杯どうだ?」

 原田さんが言った。椎名はチラリと大将の顔を見た。大将はニッコリ笑って頷く。早速焼酎のロックを作り始めた椎名。氷をグラスに入れながらちょっと小さめの声で言った。

「いや、それが乗せてもらうことも殆ど無かったりするんですよ……」

 心なしか、椎名が焼酎ロックを傾ける速度が若干速い感じがした……。


「どこか行きたいところはあるのか?」

 俺は聞いた。

「???」

 ロックグラスをカウンターに戻した椎名が俺を見て自分を指さした。

「ああ、行きたいところがあれば一緒に行こうかと……」

 思わず言ったが、ちょっと気恥ずかしい。しかしこの間の野球観戦で椎名と出かけるのは本当に気を使わなくて済むし楽しかった。椎名が行きたいと言うのであれば俺的には大歓迎だ。

「ちょっと距離あるんですけど……、新しく水族館ができたって……」

 ほんのり赤くなる椎名。焼酎のせいか?

「ああ、あそこな……、そこそこあるぜ。ここから車で二時間はかかるな。俺の軽トラで大丈夫か?」

 原田さんは聞いた。

「いえいえ、ご迷惑はかけませんよ。レンタカー借りますから」

 俺は原田さんに言った。

「いや、せこいかも知らねえが、レンタカー代浮いたらそれでちょっと美味いもの食えるなぁって」

 原田さんらしい気遣いだ。

「まあ、確かにそうですが……」

 俺は返した。

「水くさいことは言いっこ無しだ。今日、ガソリン満タンにしておいたから、満タン返しな。それから軽くカルキ拭いておいてくれ。それで契約成立だ」

 かかかと笑う原田さん。

「それで良いか?」

 椎名に聞いた。

「勿論! 原田さん! ありがとうございます。大好き!」

 椎名は言った。

「おいおい、お礼言う相手間違ってないか? なあ、兄ちゃん」

「いや、俺からもお礼言いたいです。ありがとうございます」

 俺がそう言うと、椎名も軽くお辞儀をした。

「お、鍵持っているわ、兄ちゃんこれ渡しておくな。店の前においてあるから、明日勝手に乗っていってくれ」

 原田さんはそう言った、セカンドバッグから車のキーを取り出して俺に渡した。

「あ、すみません」

 俺は鍵を受け取った。

「じゃ、そろそろ帰るわ。またな。大将! 勘定頼むわ」

 そう言って、大将にお金を支払い、原田さんは帰った。


「客、もう来そうに無いから、椎名上がっていいぞ、明日は早いんだろ?」

 大将はそう言った。

「十時に原田さんの店の前で待ち合わせでいいか?」

 俺は椎名に聞いた。

「あ、大丈夫です。よろしくお願いします」

 椎名はペコリとお辞儀した。


「じゃあ、俺も帰ります。大将、お勘定……」

「あ、毎度。じゃ、明日はこの不束ものをよろしくお願いします」

 大将は笑いながらそう言った。勿論、椎名は大将をパシパシ……。


 そして俺は店を出た。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ