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正しい節約

「お、兄ちゃん! 久しぶりだな」

 今日もジャガーズが勝ったんだろうな。店に入るなり、原田さんは上機嫌だ。店にきた時間が少し遅かったせいもあって、テレビでは今日のニュースが流れている。

 原田さんの奥から、横田さんもグラスを持ち上げて挨拶してくれた。

「どうも、と言っても一週間ぶりですが。あ、この間は野球のチケット、ありがとうございました」


「あ、兄ちゃんが連れて行ってくれたそうだな、天気は大丈夫だったよ……な? 確か」

 原田さんは少し頭を傾けて、一週間前を思い出しているようだった。

「ええ、天気も良かったですし、何しろ七連勝だったので会場もめちゃくちゃ盛り上がって、楽しかったですよ。なあ? 椎名」

 俺はカウンターを見た。

 椎名は何をつまみ食いしているのか、もぐもぐしながら顔だけウンウンと頷いている。多分、あれだな。また横田さんが何か差し入れを持ってきたんだろうな。


「シャンプーハットは出番無しだったのか」

 大将が笑った。

「初めから持って行っていません!」

 ようやく横田さんからの差し入れを飲み込んだ椎名が大将をパシパシ叩きながら言った。


 実際野球は俺も久しぶりで楽しかった。椎名も随分はしゃいでいたので楽しかったのだろう。

 情けないことに、週末の休みに久しぶりに潤いのある一日を過ごすことが出来たような気がする。


「椎名とデートか……。何だか娘を他の男に取られるみたいで複雑な気分だな……」

 横田さんが言った。

「あはは、何だそりゃ。それよりあの日を境目にもう三連敗……。全く腹立たしい! まあ今日ようやく勝ったからまあ良いけどな」

 原田さんが言った。


「どうぞ」

 椎名がビールを持ってきた。大将はカウンターの中でしゃがんで冷蔵庫をゴソゴソやっている。

 しばらくして、大将が小鉢を一つ俺の前に置いた。小鉢を覗きこんでみると、大葉が敷いた上にオレンジ色をした肝のようなものが入っている。

「何ですか? これ」

 俺は聞いてみた。

「食ってみな、うまいぞ。とっておいたんだ」

 大将はそう言って笑った。正直、カエルの件もあったのでちょっと怯んだが、さすがに飲食店で食べることが出来ないものが出てくることもないだろう……。

 とりあえず、その一つを口に運んだ。何だか塩辛みたいな味だが、明らかに何かの肝のようだった。

「何かの肝ですか? うまいっすね。ビールじゃなくって日本酒飲みたくなってくるな……」

 俺はそう呟いた

「口にあったのなら、良かったよ。これ、ナマコの肝だよ。通称『コノワタ』ってやつさ」

 大将は言った。ナマコのコノワタは知っているが、食べるのは初めてだ。完全に酒の肴って感じの味で、酒飲みなら飛びつきそうな感じだ。味付けが結構しょっぱいので、みるみるビールが減っていく。


「複雑な気持ちと言えば……」

 思い出したように横田さんが話始めた。

「この間、冷蔵庫を買い換えたのさ。たーくんに頼んで。やはり一人暮らしには大きすぎるし、そろそろパッキンが弱ってきていて、ちゃんと閉まらなくなってきたしな」

「前の冷蔵庫は、十年以上使っていたものな……」

 原田さんが言った。


「それでさ、今月電気代の請求見てびっくりしてさ……」


「ん?」

 大将が手を止めて横田さんを見た。

「電気代が今までの半分以下なんだよ」

 横田さんは溜息をついてそう言った。


「だから、俺が何度も横ちゃんには言っていただろ! 最近のクーラーと冷蔵庫はめちゃくちゃ進化しているんだって!」

 原田さんはまくし立てるように言った。

「いや、前の冷蔵庫は大切に使っていたし、逝っちまった家内との思い出もあってさ。とりあえず、『モノを大切に』って教わった世代だからなぁ……俺たちは」


「で、その電気代を見て、ガックリ……と?」

 俺は聞いた。

「何だか今までの自分が、全くもって無駄な節約をして、環境にも経済的にも反対方向へ進んでいたって事実を突きつけられたみたいでさぁ……」

 ここで横田さん、再び溜息一つ……。


「モノを大切にする事は悪いことではないですよ……」

 椎名が言った。

「いや、その点については、横ちゃんが正しいんだぜ。間違いなく。モノは大切にしないとな。ただ、電器屋の立場からだと『昔のモノを長く使う』は必ずしも節約にはならないんだよ。例えばさ、蛍光灯一つにしたってそうだ。みんな点滅したりしてからようやく交換するけど、蛍光灯の端の部分にコインくらいの黒い点が出たら、交換してしまう方が電気代がかからなくて結果的には節約になったりするんだよ」


「そうなのかい?」

 大将は驚いたように聞いた。実は俺も初耳だ。


「まあな……、でもまだ点いているものを交換するってのが、どうしても抵抗感じる人が多いみたいで、ほとんどの人は交換しないけどな。まあ、蛍光灯の例は、今回の横ちゃんの話にはうまく当てはまらない部分もあるけど、クーラーと冷蔵庫ってのは、十年前とは比べものにならねぇ。それからここ数年だとLED照明とかな。最近だと器具の値段もこなれてきたから、これからはこっちが主流になるだろうな。」


「やはりそれもかなり違うのかい?」

 大将は聞いた。

「一般家庭の場合は良くわからねぇが、二十四時間営業とかでつけっぱなしにするところだったら、かなり違うと思うよ」


「じゃ、この店も……」

 大将が言いかけると、遮るように原田さんが言った。

「やめてくれ! あんな真っ白の照明の立ち飲み屋なんて、何だか落ち着かないよ」


「確かに、このレトロな感じがいい雰囲気なんですよね」

 椎名も言った


「ええっ!? 俺は別に普通だと思っていたが……、レトロなのか?」

 大将は驚いた様に言った。

「まあ、大将は見た目に頓着しないからな……。周りの店舗を見てみな、十分この店はレトロだよ。常連も含めて」

 横田さんが笑った。


 店の客は俺を合わせて三人。いつもの静かでのんびりした雰囲気だ。


「でもさ、横田さんの気持ちちょっと分かる気がするんだよな……」

 大将がポツリと呟いた。

「ん?」

 横田さんが大将に顔を向ける。

「いやね、俺の場合、仕入先に行くときに使っている軽トラなんだけど、とうとう寿命みたいでこの間買い換えたんだよ」

 大将は後ろをビールサーバの横から、黒いマッチ箱みたいなものをひょいと取り上げた。

「何だい? それ?」

 横田さんが聞く。

「だろ? わかんないだろ? これが車のキーなんだよ」

 大将は横田さんにキーを渡した。

「これをどうやって鍵穴に差し込むんだ?」

 横田さんはキーの上下左右をいろいろ回して確認しながらそう言った。

「差し込まないんだよ。最初ハナっから」

 大将は言った。

「差し込まない? じゃ、どうやって使うんだ?」

 横にいた原田さんが聞いてきた。

「持っているだけでいいんだとさ」

 大将は言った。

「良くわかんねぇな、持っているだけでどうやってエンジンかけるんだ?」

 原田さんは聞いた。

「エンジンはスタートボタンを押すんだよ。但し、車内にこの鍵が無いとエンジンはかからないらしい。それより鍵を持っていないとドアのロックも外れない。このロックをはずすのもドアノブに付いているボタンを押すんだ」

 大将はボタンを押す仕草をしながら説明した。

「最近はみんなそうですね」

 横から椎名が口を挟んだ。

「そうなのかい? 知らなかったな」

 横田さんが言った。横で原田さんも頷いている。

 俺は、仕事で一度その仕様の車に乗せてもらったことがある程度だ。

「仕入先で荷物いっぱいで両手がふさがっているときとか便利でねぇ」

 大将が言った。

「いいなぁ、車、買い換えようかな……」

 原田さんが言った。

「ああ、原田さんなら買い換える価値があると思うよ。信号待ちの度にエンジンが止まって節約するから、ガソリン代も半分近くで済むようになったし」

 大将は言った。

「ええっ!? 本当かい!? すげぇな! ってか、逆に発進するときは、毎回信号待ちの度にエンジンをかけ直すのかい?」

 原田さんは大きな声でそう言った。

「いや、ブレーキから足を離すとまた自動でエンジンがかかる仕組みになっている」


「へぇ~~」

 原田さんも横田さんも感心しきりだ。まあ、最近の自動車の標準みたいだけど。


「たださ……、前の軽トラは結構愛着があってさ……。かなりガタがきているのは分かっていたんだけど、何度も修理して、大切に乗っていたんだよ……」

 大将はちょっと寂しそうに言った。


「分かるなぁ……、その気持ち……。たぶん一緒だ……」

 横田さんはしみじみそう言った。


「そうそう、でもその反面、新しい車は乗り心地も格段に良いし、とにかく軽トラなのに中が広い。しかも経済的……、文句の付けようがないどころか、既に前の軽トラより気に入っている自分がいたりしてさ……、何だろ……前の軽トラに対して不義理な気持ちを抱いているみたいな気分になってきてさ……」


「あはは、その気持ち、よくわかるよ」

 横田さんが笑った。


「あのさぁ、俺の母ちゃんの話なんだけどさぁ……」

 原田さんが話し始めた。

「たーくんの母ちゃん? あの料理下手の?」

 横田さんが言った。

「うるせぇ! 母ちゃんを悪く言うな! ま、否定はしないがな……。俺が小学校の時にねだって買ってもらった自転車があってさ。中学くらいになるとさすがに小さいのな。俺の身長が一気に伸びたこともあって、乗っている姿もサーカスの熊みたいだって笑われてさ」

 原田さんが笑った。

「でも、途中からたーくん、確か変速いっぱい付いたドロップハンドルの自転車乗ってたよな? クラス中、影響受けて同じのを買ってた様な気がするな……」

 横田さんが言った。ドロップハンドルって……。かろうじて俺は知っているけど、久しぶりに聞いた響きだ。


「俺んち、電器屋だろ? あの自転車実は大手電機メーカーの商品で、安く手に入ったんだだろうな。親父が中学の入学祝いにプレゼントしてくれたんだよ」

 原田さんは言った。

「あれ? でもたーくんがあの自転車に乗りだしたのは、中学一年の途中だったように覚えているけど……。俺も夏休みに家の手伝いする代わりに、その自転車買ってくれって頼んだ記憶があるから……」

 横田さんが言った。

「実は、前の自転車に愛着がありすぎて、意地張って乗らなかったんだよ。新しい自転車には」

 原田さんは少し照れくさそうにそう言った。

「でもよ、一学期の途中に母ちゃんが言ったんだ。『そろそろ引退させてやりなよ。この自転車はあんたの小学校の思い出だけでお腹いっぱいって言っているよ』ってさ」


「なるほど……」

 大将が呟いた。他の面々も頷いている。

「でさ、じゃあ、中学校の思い出は、新しい自転車に詰め込もうって気持ちになって、買ってもらってから三ヶ月経って初めて乗ったんだよ……」


「いいお母さんですね……」

 椎名が言った。

「まあな、でも俺が新しい自転車に乗り出したら、さっさと前の自転車を粗大ゴミに出してたけどな。詰まった思い出はどうなった? って話だよ! 全く!」


 店内、思わず全員爆笑! そんな落ちがあったのか……。


 ちょっと前に買ったお気に入りのボールペン。それまで愛用していたボールペンが机の引き出しに入ったままだけど……、まあいっか……。

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