椎名との約束
椎名と原田さんの店の前で待ち合わせ、また海岸沿いの水族館へ。
「今回は秋をテーマに音楽DVDを用意しました」
「昨日作ったの? このDVD?」
「まさか今日ご一緒できると思っていなかったので、部屋に帰ってから大急ぎで……」
椎名はそう言ったあと、小さくあくびをした。
「原田さんが、とうとう念願のウーハー付けたって言ってたから、早速聴いてみようか?」
「ええ!」
原田さんご自慢のカーステレオは、さすがとしか言いようのないサウンドだ。椎名の選曲も抜群で、何時間でも聴いてられそうな感じだ。
夏休みが終わったこともあって道中の渋滞もなく、快適そのもののドライブ。気が付くと、隣で寝息を立てている椎名。恐らくこのDVDを遅くまでかかって作ったんだろうな……。折角気持ち良さそうに寝ているので、俺は少しだけカーステレオのボリュームを下げた。
クーラーが利きすぎている感じがしたので、少し窓を開けた。秋らしい涼しい風が車中に飛び込んでくる。風が椎名の前髪を揺らすと椎名が少しだけ反応して、長いまつげが揺れる。こうやって改めて椎名の顔を見ると、本当に端正な顔立ちだと再確認。信号待ちでちょっと見とれてしまった。
車を走らせること二時間、無事水族館に到着。椎名はまだ起きる様子が無かったので、海の見える海岸沿いに車を止め、自販機でコーヒーを買って、車の中で待機していた。窓を大きめに開け、エンジンを切って海を眺めているうちに俺もウトウトし始めた……。
「ごめんなさい!」
椎名の声に飛び起きた。助手席を見ると、椎名が泣きそうな顔で俺を見ている。
「どうした?」
「運転していただいているのに、私寝ちゃったりして……」
あまりにも済まなそうにしている椎名。
「別にいいよ。眠かったんだろ? 俺だって今寝てたし……」
「でも、私がお願いして連れてきて頂いたのに……」
「あはは、気にしなくていいよ。DVD、良い曲ばっかりだったから凄く楽しめたし」
「あ、ありがとうございます。えへへ、褒められちゃった……」
椎名はそう言って笑った。
もう一度エンジンをかけて水族館へ。水族館は比較的空いていたが、さすがにペンギンの赤ちゃんのパワーはすごくて、ペンギンのコーナーだけ長蛇の列ができていた。
それでも、何とか順番を待って、無事たどり着くことができた。俺はペンギンの赤ちゃんを見るのは初めてだったが、椎名がどうしても行きたがった理由が分かる気がした。本当に可愛い。
前回と何ら変化の無い他のコーナーも、前回同様必死で見て回る椎名。よほど好きなんだろうな……三回目なのに。今回も『ふれあい広場』に行ったが、前回椎名に叱られたこともあって、今回はヒトデをひっくり返すのは控えた。
水族館を二時間ばかり歩き回り、ちょっと休憩をすることに。水族館で透明のスタンプを手の甲に押して貰って、浜辺に出た。
「実はですね……」
「ん?」
「お弁当を作ってきました」
そう言って、鞄から包みを出した。
「DVD作って、お弁当まで?」
「さすがに昨日の今日で、食材が足りなかったので、尾田さんに分けて貰いましたけど……」
そう言って、包みを俺の前に置いた。
「食べてもらえますか?」
少し恥ずかしそうに椎名は言った。
「勿論!」
俺が返事をすると、椎名はニッコリ笑って包みをほどいた。中からはお重が出て来た。
「お粗末ですが……」
そう言って、お重を開けると、中には色とりどりのおかずと、おにぎりが入っていた。
「凄いな……。これ全部一人で作ったの?」
「ええ、お口に合えばいいのですが……。レシピは半分以上尾田さんに教わったものなので、恐らく大丈夫かと……」
大将仕込みの椎名の手作り。男にとってこんなに幸せな弁当は他にはないんじゃないか?
「どれも美味そうだな。早速頂くよ。実は腹ペコペコで……」
「実は私も……。浜辺に出た途端、一気に……」
椎名はそう言いながら、おしぼりと割り箸を俺に渡した。こうして椎名とのランチタイムが始まった。
椎名の手作り弁当は、見事というしかない出来だった。さすが大将仕込みということもあるが、僅かに大将の料理とはまた違った魅力を感じる味付けだった。あっという間にお重は空っぽになった。人間は美味いものだとここまでたくさん食べれるのだと驚いた。
「ああ、美味かった。ごちそうさま」
「お粗末様です……」
椎名は嬉しそうにお重を片づけ始めた。
「えっと……ですね……」
「ん?」
「一応、第一希望だった研究所に、内定を頂きました……」
「へぇ! それはおめでとう! よかったね!」
「はい。一番進みたかった方向です。お仕事では……」
「それで、直ぐにでも研究所に入って、研究に参加して欲しい、と言われて……」
「それはやりがいがありそうだね……」
「ええ、来年の4月からは正社員として採用になるらしいのですが、それまではアルバイトという形での契約になるそうです。研究所の設備とかオペレーションシステムに関しては、少しでも早く慣れておいた方がいいだろうからって……」
「へぇ、期待されているんだな」
俺がそう言うと、少し笑ったが、その後しばらくの沈黙が続いた。
「恐らく、今月一杯になりそうです……」
「仕方ないね……」
「ですよね……」
折角就職が決まったというのに、椎名のこの雰囲気に俺はどうしたものかと……。
「ペンギンの赤ちゃん、可愛かったね」
「ええ、一緒に見れて良かったです……」
渾身の一撃で話題を変えてみたが、それからまたしばらくの沈黙が続いた。
「大将には?」
「えっと……」
「まだ言っていないのか……。早く言わないと……」
「ええ、でも決まったのが昨日、お店に行く前だったので……。詳しい日程とかも全然決まっていないですし……。詳しいことは月曜日に研究所で面談があるので、そこで……」
「何か心配事が?」
「いえ、少し混乱しているだけだと思います。一番行きたかった研究所ですし、嬉しいことには間違いないのですが……。本当にこの道が自分に合っているのかどうか……」
「他にしたいことでもあるの?」
椎名は黙って首を横に振った。
「今のお店でいろんな人に出会って、いろんな人に支えられて……自分がまだまだだと毎日のように痛感しているのに、一人できちんとお仕事できるのかなぁって不安になってきて……」
「椎名なら大丈夫だよ。出会ったときからしっかりしていたけど、この何年かで更にパワーアップしたと思うよ」
「それは、いつも優しく見守っていて下さったし、困ったときには何度も相談させて頂けましたから……。『週末まで頑張れば……』ってことが励みになっていて……」
「あ、楽しみにしていてくれたんだね。嬉しいよ」
「でも……これからは……」
「これからも必要であれば、いつでも相談に乗るよ。椎名には俺がついているじゃないか」
咄嗟に出た言葉だった。嘘はない。椎名は少し驚いたような表情をしたが、少し笑った。笑った瞳から、一粒の涙が流れた。
「これからも……」
そう言いかけて、今度はたくさんの涙が溢れ出てきた。
「あ、ごめん……。余計に泣かしちゃったな……」
椎名の涙に動揺して謝る俺に、椎名は必死で首を横に振った。涙は次から次へと溢れ続けているけど……。
「……して……いいんですか?」
涙声でよく聞き取れない……。
「ん? どうした?」
「これからも頼りにして……いいですか?」
椎名は俺をまっすぐに見つめて言った。
「期待に添えるかどうかはわからないけど、俺はいつでも椎名の味方だよ」
俺がそう言うと、椎名は俺の胸に飛び込んできて、子どものようにワアワア泣いた。その瞬間、俺は椎名に対する自分の気持ちに腹をくくった。俺は椎名を愛している。多分ずっと前から……。
「これからも、時々メールしてもいいですか!? また一緒にお出かけしてもらっていいですか!? またお弁当作ってもいいですか? これからもずっと一緒にいてもいいですか!?」
椎名は俺の胸の中で泣きながら叫んだ。
「椎名……。これからもずっとよろしくね。俺からもお願いします。愛しています」
俺は椎名を肩を持ち、一度椎名の体を胸から離した。椎名はジッと俺の目を見ている。俺が少し顔を近づけると、その大きな瞳をゆっくりと閉じた。
重ねた唇は少しだけ震えていた。そしてもう一度椎名を胸に寄せ、強く強く抱きしめた。




