烏丸さんの勘違い
「いらっしゃい!」
椎名の澄んだ声。この声に癒される。
「今日はどうしようかな……」
珍しく迷った。
「あ、いらっしゃい。どうしたの?」
「ええ、天候が急に変わったので、何を飲もうかと……」
「夜は涼しくなったからなぁ……」
「熱燗はまだ早い気がするし、それで言うとお湯割りもしかり……。冷たいビールって感じでもないし……」
「ウイスキーのロックでも作りましょうか?」
珍しく椎名が言った。
「ふむ……。確かに……」
「ああ、そうだった。兄ちゃん、忘れていたよ。美味いウイスキーを仕入れてあるんだ……」
椎名の言葉を聞いて思い出したように大将が言った。
「間違いなく美味いよ、オススメだよ」
「椎名は飲んだの?」
「いえ、私はまだ……」
「じゃあ、俺の分と二つ作ってよ。試飲会だ」
「あ、やった! 御馳走様です!」
椎名はそう言ってニッコリ笑うと、かち割り氷にアイスピックを入れ始めた。
「丸いの作りますね」
偉い気合いの入りようだな……。
「できました!」
椎名はそう言って、綺麗に球状になった氷をロックグラスに入れ、棚から見慣れないウイスキーの瓶を取り出し、注いだ。
「どうぞ」
わざとショットバー風に丁寧目の言い回しをして、俺の前にグラスを置いた。
「じゃ、乾杯!」
俺もちょっと気取った感じで椎名とグラスを合わせ、一口……。美味い! 何て酒だ?
「美味いだろ?」
大将が笑っている。
「ええ、メチャクチャ美味いですね……」
「『松亀』の十七年だよ」
「普通のは十二年ですよね?」
「うん、他にも二十五年とか三十五年ってのもあるよ」
「あ、聞いたことあります。三十五年なんて、恐ろしい値段らしいですね」
「うん、できれば二十五年くらいを奮発したかったんだけど、それでも桁が変わるからねぇ……」
「いえ、これで十分美味いです」
「私もそう思います。結構タップリ入れちゃった……」
椎名はそう言うと、ちょっと悪い顔で笑った。
「これは、そこまで高く無いから、遠慮なくどうぞ。折角の二人の愛の晩酌だろ?」
大将はそう言って、ニヤリと笑った。たちまち椎名は赤くなって、大将をパシパシと……。
「本当にもう……。尾田さんは……」
「いや、椎名との晩酌は確かに楽しいよ」
俺は言った。まあ、本音だしな。
椎名は益々赤くなったが、コホンと一つ咳払いして、冷静な表情に戻った。
「ありがとうございます。でも、これ以上何も出ませんよ」
そう言って、笑った。
「実は月野さんが喜ぶかなと思って仕入れたんだけどね」
大将は言った。
「こんばんは~。チャオ! 椎名」
入ってきたのは月野さんだ。
「丁度良いところにきたね」
「何か私ラッキーなことが起きるのね? 楽しみだわ」
月野さんはそう言って笑った。
「こんばんは~! 椎名さん! あ、月野さんも……」
続いて南ちゃん登場。
「この間はありがとうね。すっかり気に入っているわよ」
月野さんはそう言ってフワリと髪をかきあげた……。そうそう、この間南ちゃんにカットを頼んでいたっけ。確かに前よりは柔らかい印象になった気がするな……。
「うん、よう似合ってはる。素材がええから、何しても似合うんやろな……」
「そんなことないわよ。南ちゃんのセンスだと思うわよ。お任せだったし……」
「あはは、あれば地獄の一言やったわ。『おまかせ』」
「確かにとってもよく似合っているよ」
大将が言った。
「そう? まあ私もかなり気に入っているんだけどね。さすが南ちゃん!」
月野さんは嬉しそうに笑った。相変わらずこの人の笑顔は子どもみたいで可愛い。
「月野さんはな、笑うといきなり雰囲気が変わんねん。すましてはると美人さんやけど、うちは笑てはる時の顔の方が好きやねん。そやから笑てはるときのイメージでカットしてん」
「あ、でもそれ、大正解だと思うよ……」
俺は言った。
「月野さんの笑顔は、原田さんも言っていたな。『べっぴんさんのニッコリは無敵』だってさ」
大将は笑った。
「ここだけですよ。こんなにみんなに褒められるのは……」
月野さんは照れながら言った。
「ここまではっきりものを言う人が揃ってんのも、ここだけやな」
南ちゃんも笑う。
「月野さん、これ!」
椎名が嬉しそうにウイスキーを出した。水割りではなくロックだ。
「あら、今日はロックにしてくれたのね」
「ええ、勝手に作っちゃったんですけど……」
「椎名がこの方がいいって思ったのよね? 喜んでいただくわ」
そう言って、月野さんはロックを一口……。
「何これ? めちゃくちゃ美味しい……」
「尾田さんが月野さん用にって」
「ああ、それで『良いところにきた』だったのね? 本当にラッキーだわ。最高に美味しい!」
月野さんはご満悦の様子。
「ええなぁ、うちも飲みたくなってきた……」
羨ましそうに見つめる南ちゃん。
「あはは、そう言うかと思って……、どうぞ!」
椎名はしっかり二人分作っていたのを南ちゃんに渡した。
「ほんまや! ウイスキーの味が分からへんうちでも、明らかに美味しい!」
南ちゃんもご満悦。
「何て言うウイスキーなん? 丸太さんが来たとき用に買うとくわ! 但し、買える金額やったらやけどな……」
大将は、南ちゃんに瓶を見せて説明している。恐らくリーズナブルな十二年ものも紹介しているのだろう。南ちゃんは一生懸命ノートにメモをとっている。いい子だなぁ……。
「今日は烏丸さんは?」
椎名は聞いた。
「今日は来えへんと思う。最近仕事忙しいみたいで……」
「珍しいね。待ち合わせじゃなくって一人でここに来るの」
大将は言った。
「うん、最近ちょっと寂しいねん。丸太さん、仕事ばっかりで。残業とかも多いねん」
ちょっと肩を落とす南ちゃん。寂しい気持ちが分かり易い……。
「きっと南ちゃんの為に頑張っているのよ。信じてあげなきゃ!」
月野さんは言った。
「私のためやったら、無理せんといて欲しいねんけどな……」
「はい、どうぞ!」
大将は小皿を俺に出した。オイルサーディンだ。
「ウイスキーと言えばこれですよね?」
俺は早速一口。ああ、裏切らない美味さ。大将の隠し味が何だか分からないが、一手間かけていることが大きく美味さをアップさせている……。
「女性陣にはこれ!」
そう言って、月野さんと南ちゃんにも小皿を出した。レーズンバターが盛り付けられている。
「やったぁ、これ、うちの大好物やねん。自作もするくらいやで!」
「自作?」
椎名が聞いた。
「うん、レーズンバターってほんまにレーズンとバターを混ぜるだけやねん。うち的には、ちょっと塩を入れんねんけど……」
「ほほう……、なかなか分かっているね。塩は隠し味に少し入れるのがコツなんだよ」
「でも……、なんやろ? うちが作ったやつより、明らかに美味しい。さすがプロやなぁ……」
そう言いながらパクつく南ちゃん。隣で月野さんも楽しそうに食べている。
「無塩の発酵バターを使っているんだよ。だからちょっと香りがいいはずなんだけど……」
大将は種明かしをした。南ちゃん、すかさずメモ……。
「でも、この取り合わせ、ちょっとヤバいかも……。ウイスキーが止まらなくなっちゃう……」
月野さんは笑った。
「こんばんは~」
入ってきたのは烏丸さん。あれ? 来ないはずでは……。
「あら? 丸太さん。どうしたん? 今日は早よ追われたん?」
「うん、部屋に行ったら居なかったから、多分ここかと思って……」
「そんなん、メールくれたらええやんか! わざわざ部屋まで来てくれて……」
「いや、今日はサプライズだから……」
「サプライズ? 確かに驚いたけど……」
烏丸さんは、ポケットに手を突っ込んで、小さな箱を取り出した。
「二人っきりじゃないけど、ここならいいか! はい! 南、誕生日おめでとう!」
そう言って、烏丸さんは跪き、小箱を開けて南ちゃんに差し出した。
「まあ!」
月野さんは箱の中を見て、一瞬声を上げたが、慌てて自分の手で口を押さえた。南ちゃんは固まっている……。
「不器用だから二週間もかかったけど、一応これ教えてもらいながらの手作り」
烏丸さんはちょっと照れながら更に箱を南ちゃんの方へ差し出した。
「こんなん……、こんなん……ずるいわ……。何か……、泣けてきた……」
そう言いながら南ちゃんは泣き始めた。
「貰ってくれないの?」
烏丸さんの表情が曇る……。店内に何とも緊張が走る……。
「こんなん……、嬉しいに決まってるやん。丸太さんの手作りの指輪……」
そっと手を出し出す南ちゃん。烏丸さんはその小さな手を取り、指輪をさした。
「おめでとう! 南ちゃん! 今日誕生日なのね!」
椎名が言った。一同拍手……。
「でも、うち、丸太さんに誕生日なんて言うたことあったっけ?」
「あ、それは推理した。南のメアド、『northsouth』の後、誕生日でしょ?」
「さすがね、烏丸さん。私も誕生日入れているわ……」
月野さんが感心している。
「うん、でもな、あの数字、誕生日とちゃうねん……」
一同騒然……。まさかのクリティカルミス?
「しかも、あの数字、0909《わくわく》って意味やねん。しかも今日とちゃうやろ? 丸太さん、日を間違うてるで。でも私の誕生日、なんと、今日やねん……」
もはや訳が分からない……。間違いに間違いまくって、正解ってこと? みんなポカンと口を開けている……。烏丸さんも呆然……。
しばらくして、店中が大爆笑! 烏丸さんも真っ赤になって大笑い。こんなことがあるのか、と。
「いいなぁ……」
椎名がポツリと言った。月野さんも頷いている。
「椎名! もう一杯ずつ作って! こうなったら、女同士、飲みましょう!」
「ええ、御馳走様です!」
女性陣の逞しいことと言ったら……。




