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湖仲弟子入り?

「いらっしゃい!」

 椎名の透き通った声。

「こんばんは~」

 入ってきたのは湖仲だ。

「おう! 湖仲じゃねぇか。今日は給料日だっけ?」

「いえ、給料日ではないのですが、今日は大将にちょっと……」

 原田さんの質問に、湖仲は少し歯切れが悪い……。


「どうしたんだい?」

「あ、とりあえず、『俺のジンライム』お願いします」

「は~い」

 明るい声で応えた椎名。早速『ジンリッキーライム入り』を作り始めた。


「実はですね、今仕事で部署替えがありまして……」

「仕事場って、『スーパーヤスヤス』だよな? あそこの総菜には時々世話になっているよ。調理場の人によろしく言っておいてくれよ!」

 原田さんは飲んでいた焼酎のグラスをひょいと持ち上げて言った。

「ええ、今、その総菜コーナーで調理をしているんです。俺」

「湖仲君、料理できるの? すごいね!」

 椎名が感心している。

「いや、料理なんて今までしたことがなかったんだけど、今の仕事に就いたことをきっかけに、一人暮らしを始めたんです。会社の人は良くしてくれて、給料安いだろうからって毎日余った総菜を持って帰らせてくれていたんです」

「家に米さえありゃ良いってことか……。そりゃ助かるだろうな……」

 原田さんは腕を組んで頷いている。

「いえ、その米も余った分は持って帰って食べているんです」

「じゃあ、実質食費は0に近いってことかい?」

 大将は少し驚いた表情で言った。

「ええ、総菜の種類も豊富だし、味も悪くないので本当に助かっています。食費が浮いた分は、ずっと貯金しています。ある程度の額になったら、実家へ送金するつもりです」

 湖仲の親孝行の心に感心。それから人間変われば変わるもんだと感心。


「まあ、それは良いのですが、ある日調理場で人手が足りなくなったことがあったんです。急遽俺が手伝うことになったのですが、毎日食べていますから盛り付けや味付けの全てを体が覚えているんです。だから、調理場に入っても、手が勝手に作業するというか……」

「いや、それは才能があるんだと思うよ。誰でもそうはいかないから……」

 大将が言った。まあ、大将が言うのだから間違いないんだろう……。

「ええ、調理場の人にも言われました……」

「それで調理場に部署変更?」

 椎名が聞いた。

「うん……。一応責任者」

「合わないのかい?」

 原田さんは聞いた。

「いえ、ハマりまくっています。調理がこんなに楽しいことなのかと毎日感動し続けています」

「じゃ、良かったじゃねぇか! 天職に巡り会ったってわけだな?」

「ええ、本当にそんな感じです。来月の給料で『マイ包丁』を買おうと思っています」

 そう言った湖仲はようやく少し微笑んだ。


「で、俺に話って?」

 大将は聞いた。ようやく話の本題に入るようだ……。

「実は、天職と言っても、始めたばかりで今はレシピ通りに作るしか能がない状態なのですが、とりあえずは四百種類くらいのレシピは頭に入っています」

「そいつぁ凄いな。湖仲と結婚したら、一年間、毎日違う料理が食えるってことか……」

 原田さんがよくわからない計算をしている。

「あはは、確かにそうですね……」

 湖仲は笑った。

「毎日、調理をしていてちょっと気が付いたんです。レシピは先代の調理部長が無類の料理好きで、全て一人で作ったらしいのですが、ちょっと料理も味付けも懐かしい感じなんですね……」

「まあなぁ、味付けにも時代とか流行とかってあるからなぁ……」

 大将は言った。

「え? そんなのあるんですか?」

 椎名が驚いている。俺もちょっと驚いた。

「勿論あるよ。例えば『辛い』料理ってのも、昔は一味の辛さが主流だったけど、今はハバネロとかハラぺーニョとかの辛さが主流になっているよ。俺の場合は、スーパーに行ったとき、スナック菓子を観察するんだよ。大体流行の味付けが分かるってもんだよ」

「へぇ~、スナック菓子かい? 大将、流石に職人だねぇ……」

 一同フンフン頷く。

「本当だ! 確かにそうですね! 俺、毎日目にしているのに完全に見逃していました! 勉強になります!」

 湖仲はしきりに感動している。今日一番の笑顔を見せた。

「良かったな、湖仲。問題は解決かい?」

「いえ、今の話はとても参考になりましたが……、あの……本当に厚かましいお願いなのですが……」

 湖仲は大将に言った。

「どうしたんだい? できることなら相談に乗るよ」

 大将がそう応えると、湖仲は持ってきた紙袋から一つの容器を取り出した。

「これ、試食して頂けませんか?」

 そう言って、蓋を開けた。

「何だい?」

 大将が容器の中をのぞき込むと、中には納豆パスタが入っていた。

「納豆パスタだね? これを食べればいいんだね?」

 大将はそう言って、菜箸でパスタを数本つまみ、小皿に移してから食べた。その後、椎名が容器を受け取り、小皿に移して俺たちにも配った。俺も早速一口……。ん、特に何の変哲もない納豆パスタだが……。


 湖仲が真剣な表情で試食する大将を見ている。大将は飲み込んだ後、少し考えているようだった。

「どうですか?」

「うん、普通に美味しいよ」

 大将は言った。

「湖仲君には悪いけど、私はちょっと匂いが苦手かな……」

 椎名の言葉に湖仲は反応した。

「そう! それなんだよ! 最近の納豆の匂いが抑えられた商品が多くて、本来の納豆を使って調理をすると、若い年齢層に買ってもらえないんです。そもそも『納豆パスタ』は若い年齢層をターゲットにした商品であることを考えると、これは根本的に味付けを変える必要があるんじゃないかって……」

「じゃあ、最近の匂いの少ない納豆を使えば良いんじゃないか?」

 原田さんは言った。正直俺もそう思った。

「それじゃあダメだろうな……」

 湖仲より先に大将が言った。


「そうなんです。俺も試してみたのですが、味がボンヤリしてしまって、全然美味しくないんです」

 湖仲は強く言った。大将は小皿のパスタをもう一口食べた。そしてしばらく考えている……。

「ちょっと待ってね」

 大将はそう言って、椎名から容器を受け取り、銀色のボウルに移した。そして、何かを加えかき混ぜた。

「椎名、これを取り分けてくれるか?」

 椎名は大将から容器を受け取ると、各人の小皿に少しずつ取り分けた。

「ちょっと食べてみてくれる?」

 大将がそう言うと、各人一口……。

「あれ……?」「おや……?」「ほう……」

 言葉こそ違えど恐らく感想は同じだろう。明らかに匂いは抑えられているのだが、味はむしろさっきより輪郭がハッキリしている気がする。

「私、こっちなら全然問題なく食べることができますね……」

 椎名が言った。

「ええ、これです。俺が欲しかった答えは……」

 湖仲のテンションが一気に上がった。

「一体何を入れたんだい?」

 原田さんが聞いた。

「一応企業秘密……と言いたいところだけど、折角だし教えるよ。入れたのは『砂糖』だよ」

「納豆に砂糖ですか? ちょっとあり得ない組み合わせですね……」

 思わず俺は言った。

「人によっちゃ、納豆でご飯を食べるときにも入れる人がいるそうだよ。俺はしないけど。ただ、隠し味に入れると、匂いが抑えられて、味が引き立つんだよ。さっきの湖仲君の要望に一番ピッタリ合うかな、と」

 大将は言った。


「ありがとうございます。職場に持ち帰って明日スタッフと相談してみます。間違いなく採用になると思いますけど」

 湖仲は憑き物が取れたように活き活きしている。さっきまで全然減っていなかったカクテルもゴクゴク飲みだした。

「今、気が付いたのですが、砂糖を入れると後味もすっきりしているような気がするのですが……。飲み物を飲むとよくわかるっていうか……」

 そうそう、俺もそう思っていたんだよ。

「確かにそうだな……。ただ、俺みたいな無類の納豆好きからすると、ちょっと別の食べ物というイメージがあるな……」

 原田さんが言った。

「どうせなら、両方出そうかな……。まあ、それも明日相談して決めます。あ、小坂、焼酎の水割りをくれるかな?」

「いつものでいい?」

「うん、和久井さんのやつ」

「お気に入りだねぇ」


「実は、うちのスーパーでもこの焼酎を並べるようになったんですよ。仕入れ担当と店長に飲ませたら一発採用でした。店長は日頃焼酎を飲まない人なんですが、『これだけは特別』って家に買って帰っているそうです。和久井さんにもお礼をしたいのですが……」

「そう言えば、和久井さん、ここの所見てないな……」

 原田さんが言った。

「和久井さんなら今、アメリカだよ」

 大将の言葉にみんな一斉に大将を見た。

「アメリカ? 和久井さんが?」

 思わず俺は言ってしまった。あの純和風の象徴みたいな和久井さんとアメリカがどうしても結びつかない……。

「月野さんに聞いたんだけど、仕事みたいだよ」

「仕事?」

 今度は湖仲が言った。他一同頷いている。

「和久井さんは元々造船の仕事をされていたんだよ。日本の造船技術っていうのは世界に誇るレベルだろ? で、お呼びがかかった……ということさ」

「それにしてもどんなルートで?」

 俺は不思議でたまらない。

「ああ、エドワードだよ。彼のお父さんは大きな造船会社の社長なんだよ。彼は御曹司ってわけだよ。因みに今まで黙っていたけど、和久井さんは造船業界では有名人なんだよ」

 知らなかった、そんな凄い人だったんだ……。


「凄いなぁ……。全然そんな素振りを見せずに俺なんかに優しく諭してくれたんだなぁ……」

 湖仲がため息をついた。

「湖仲君だって頑張っているじゃないの? 店の商品のこと考えて、尾田さんにアドバイスをもらったりして……」

 椎名がフォロー。

「うん、やるからにはできる限りのことをしたいとは思っている。一応、調理場の責任者だけど、経験は一番少ないから日々勉強だよ」

 湖仲は言った。

「まあ、センスは良い方だと思うから、その調子で頑張ればうまくいくと思うよ」

 大将は言った。

「この店で褒められると一気に自信が湧いてくるなぁ……。『総菜のカリスマシェフ』を目指そうかな……」

 自分で言いながら赤くなって照れる湖仲。可愛い。

「俺がこの店大きくしたら、手伝ってもらおうかな……」

「え? 弟子で拾って頂けるんですか? 俺、その時まで必死で勉強しますからよろしくお願いします!」

 湖仲のテンションはマックスだ。

「おいおい、スーパーの方は良いのかよ?」

 原田さんが制する。

「だって、店なら目の前で感想を聞けるわけですよね? 俺にとっては夢みたいな職場ですよ!」

「何だよ、現金なやつだなぁ……」

 原田さんがそう言うと、みんな笑った。湖仲も笑った。


 そして、今日も夜が更けていく……。

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