南ちゃんのプロ根性
「休みの日ってさ、地球の公転速度が上がっているとしか思えないんだが……」
「あはは、皆さんそう仰いますね」
椎名は明るい笑顔で、総菜の大皿から小鉢に移し替えて俺の前に置いた。
「今日からですか?」
「ああ、書類がデスクに山積みになっていたよ。どれから手をつけようかと考えているうちに一日が終わった感じだよ……」
「お疲れさまでした……」
そう言って椎名は俺のグラスにビールを注いでくれた。
「よっしゃ! 快勝!」
今までテレビで野球を見ていた原田さんが振り返って言った。ガッツポーズをしているところを見ると、ジャガーズが勝ったんだろう……。野球はよく分からないが、原田さんの機嫌が良くなれば幸いだ。
「こんばんは~」
入ってきたのは烏丸さんと南ちゃん。
「こんばんは~。椎名さん」
「あら、南ちゃん。この間はありがとうございました」
「いえいえ。あ、ちゃんとまとまってた。良かったわ」
「どうしたんだい?」
大将は聞いた。
「あ、お盆休みの初日、帰省する前に南ちゃんのお店でカットをお願いしたんですよ。南ちゃんにカットしてもらったんですよ」
椎名はそう言って髪をさらりとなびかせた。
「そう言えば、ヘアスタイルが変わったのか……」
烏丸さんと南ちゃんにウーロンハイを手渡しながら、大将は言った。
「まあ、男の人は気付かんやろな。彼氏持ちのお客さんは大体そう言うて怒ってはるわ」
「え? 知ってたよ。椎名、散髪したんだろ? 見りゃわかるさ」
いつも通り原田さんは気付いていたようだ。俺も気付いていたけどね……。
「よく似合っていると思うよ」
俺は言った。この場合はこう言うしかない。一同フンフン頷いて同意。素材が素材だし、恐らく丸坊主でも似合うんだろうけど……。確かに前までのヘアスタイルと比べると雰囲気が変わった様な気がする。
「やった! 褒められた!」
喜んだのは、椎名ではなく南ちゃんだった。
「実はな、お客さんが椎名さんやし、正直めちゃくちゃ緊張しててん。お客さんで椎名さん以上に綺麗な人見たことないし、私なんかがハサミ入れてええんかなって……」
思わず顔を両手で覆う南ちゃんの頭を烏丸さんは優しく撫でた。
「そんな……、大袈裟な」
椎名はあまりのことに恐縮している。
「こんばんは~。チャオ! 椎名!」
入ってきたのは月野さん。椎名を見た瞬間……。
「まあ! 可愛いヘアスタイルね! どこで切ったの? 最高に椎名に似合っているわよ!」
「ふぇぇぇ……」
それを聞いた南ちゃんが今度は泣き出した。
「良かったね、南。誰が見ても似合っているってことだね」
優しく南ちゃんの頭を撫でながら 烏丸さんは言った。南ちゃんはウンウン頷いている。
椎名は月野さんに事情をかいつまんで話した。
「ええっ! 椎名の髪を切ったのって南ちゃんだったの? 最高よ! 次は私もお願い!」
月野さんの依頼に一瞬泣くのが止まった南ちゃん。月野さんの顔を見て、また泣き出した。
「どうしたの? 迷惑だった?」
慌てて聞き返す月野さん。南ちゃんは泣きながらも首を横に振っている。
「違うねん。嬉しいねん。嬉しいねんけど……、またこんな美人……。私プレッシャーでおかしくなるかもしれへん……」
まあな、確かに月野さんは椎名とはタイプは違うけど、十分人が振り返る程度には美人だしな……。
「じゃあ、お願いするわ。店に予約を入れておけばいい? 名刺とかあったらもらえるかしら?」
月野さんはニッコリ笑って言った。
「良かったね、南。お得意さんがまた増えたよ。美人ばっかりだから、店の人に妬まれそうだね。でもこれ以上おかしくなるのは……ウグッ!」
烏丸さんが最後まで言い終わる前に、烏丸さんのわき腹に南ちゃんのエルボーが入った。
一同爆笑。
そんなやり取りの中、椎名は水割りを作り月野さんの前に置いた。
「べっぴんさんも今日からかい?」
「ええ、会社に行ったら、デスクに資料が山積みよ。連休前の台風でリスケだらけ。そのツケが連休明けに来た感じ……。はあ、もうため息出ちゃう……。そんなわけで、気分転換にヘアスタイルでも変えてみようかと思っていたところだったの」
そう言ってから、月野さんは水割りを一口飲んだ。
「よくわからねぇが、女性ってのは、気分転換の為に散髪に行くのかい? 俺なんて髪が伸びて収集がつかなくなったら散髪って感じだけどな……」
「おっちゃん、それは理容と美容の違いってもんやで」
南ちゃんは言った。
「確かに俺が行くのは『理容』って書いているな。何がどう違うんだい?」
「そもそも概念が違うねん。美容は容姿を美しくすることで、理容は容姿を整えるもんなんや」
そう言えば、あんまり気にしたことなかったな……。
「『美しくする』と『整える』の違いがわからないな……」
大将は言った。
「刈り込みで形を整えたり、髭とか眉毛とかを剃って形を整えるのが理容。パーマ当てたり、毛を染めたり、髪結いとかするのが美容って感じかな」
南ちゃんは言った。
「じゃ、基本男が理容で女が美容ってこと?」
大将は聞いた。
「まあ、そう言う傾向は強いけどな。男の子かて、髪の毛いろいろいじりたい子は、こないだの小鉄みたいに、ウチの店に沢山来るよ。まあ、お洒落したい子は美容かな……。いや、決して理容がダサいってことやないんやけどな。刈り込みの技術とかは見事としか言いようがないし」
「確かに俺の行く店では確かに白髪染めしている婆ちゃんしか女性は見たことないな……」
原田さんは言った。
「洗髪台かて違うやろ? 美容院は仰向けやけど、理容院はうつ伏せで頭洗うやん? ウチなんかうつ伏せで頭洗われたら、化粧崩れて一大事や!」
そう言ってケラケラ笑う南ちゃん。横で烏丸さんが小さな声で『コラコラ』って注意しているのが面白い。
「そしたら、両方できるようにしたら、お客さんが増えるんじゃないの?」
俺は聞いた。
「ああ、それはあかんねん。法律で禁止されてんねん」
そうなのか……。
「まあ、最近はいろいろと美容と理容の違いに関しては曖昧になっているけどな。理容院でもパーマは当ててもらえるし、お洒落染めかてしてくれはるやろ? ウチかて、ハサミの代わりにカミソリ使うこともあるし……。『化粧の一環』として、顔剃りするところかてなんぼでもあるよ」
「俗に言う『床屋』ってのは、どっちだい?」
大将が聞いた。
「どっちやろな? 江戸時代の『髪結い床』の『床』から『床屋』て聞いたことがあるな。まあ、その時代はパーマとか毛染めとかしてないやろうから、理容院かなぁとも思うけど、髪結いすんねやったら美容室かなぁとも思う……」
「確かにそうね……」
椎名も頷く。
「ただし、その『床屋』っていうのん、国によってはいかがわしい店を指す場合があるから、使わん方がええらしい。先輩に教えてもろた」
フーンと一同頷く。
「さすがにプロだな。本当に詳しいな……」
俺は呟いた。一同フンフン頷いて同意。
「あはは、一応刃物持つやろ? ウチかて自分の仕事のことくらいはちゃんと勉強するよ。考えてみいや。お客さんとの信頼関係無かったら、めちゃくちゃ危険な状況やと思わへんか? テルテル坊主みたいな状況で、顔のそばでチョキチョキ音立てて刃物が動き回るんやで? 誰にでも任せられることではないわな?」
南ちゃんはそう言って笑った。確かにその通りだと一同納得。
「大将の料理かて同じやと思うよ。ウチら大将に出されたもん安心して口に入れれるのは、信頼関係あっての話やろ? プロってそういうもんやと思うねん」
「今日は南ちゃん、めちゃくちゃカッコイイですね」
椎名が言った。一同頷く。
「椎名さん、今『今日は』って言わんかった? 今日限定?」
一同爆笑。椎名は後ろを向いてしまった……。
「早速来週初めにでも予約とろうかな……」
月野さんはスマホを見ながら言った。
「あ、月曜日は休みやねん」
「あ、そっか。そう言えば、美容室って月曜日お休みのところが多いわね」
月野さんは言った。
「地域によるらしいけどね。火曜日のところもあれば水曜日のところもあるよ」
烏丸さんは言った。
「そうなんや! 知らなかった」
「元々第二次世界大戦後に全国的な電力不足になって、『休電日』っていうのがあったんだよ。それが月曜日に設定されていたことが由来なんだって。その『休電日』も地域によって違うからそれに合わせて火曜日の地域と水曜日の地域があるらしい。昔、気になって調べたことがあるんだよ」
「さすが丸太さん。物知りやなぁ」
「いやいや、南もいろいろ教えてくれたじゃないか」
イチャイチャし始める二人。心から楽しそうだ。
「じゃあ、俺も行ったらお洒落にしてもらえるのかい?」
原田さんが笑いながら言った。
「おっちゃん、そのソフトモヒカン似合っているで。今の散髪屋で十分やと思う」
「あれ? やんわり断られたか?」
「ちゃうねん! さっきも言うたけど、理容の刈り込みの技術は凄いねんて! 専門用語で『面を出す』とか言うねんけど、表面をなめらかに刈揃える技術のことやねん。おっちゃんみたいに短く刈り込むんやったら、そっち専門の方が綺麗に仕上がんねん!」
南ちゃんは一生懸命弁解している。
「まあ、プロがそう言うんだったらそうなんだろうな」
原田さんはあっさり引き下がった。
「あ、そや。ウチを指名してくれはるんやったら、幸か不幸か明日でも大丈夫やと思う。メアド教えといてもらったら、明日朝一番に確認して、連絡するけど?」
「それは助かるな。髪って一度切りたいって思ったら、切るまで気が収まらないものね」
月野さんは笑った。二人はスマホを出してメアドの交換を始めた。
ああ、月野さんの一言に俺も触発されてしまった。何だか急に散髪に行きたくなってきた。今週末でも行こうかな……。




