夢とロマンの違い
「台風一過は良いけど、また暑さがぶり返してきたな……」
原田さんはお気に入りの扇子でパタパタやっている。
「まあ、夏が夏らしく暑いと、どこか安心ではあるけどね」
横田さんが言った。
「まあ、違ぇねえな。やたら涼しかったりすると、『この先何が?』って疑心暗鬼になっちまうわな……」
「今日も忙しかったんですか?」
俺は聞いた。
「ああ、今日はコンビニの空調メンテに行ったんだよ。何でも天井から水が落ちてくるって言われてな。現場に行ったら、誰が施工したのかわからねぇがドレン排水パイプの設置が素人丸出しでさぁ……。ドレンが詰まって、逆流しちゃっているのよ」
「よく分からないけど、大変なことなの?」
横田さんが言った。
「いや、それほど大袈裟なことじゃないんだよ。夏に駐車場で止まっている車って大抵下が濡れているだろ? あれ、クーラーから出た水なんだよ。車は道路に垂れ流しで良いけど、家や店舗となると、そうはいかねぇからドレンって言うホースの役割するものを繋いで外に出すんだよ。ほら、この店だって……」
原田さんは天井からぶら下がっているクーラーの奥を指さした。
「あれが、天井裏で店の外までドレンが繋がっているんだよ」
「それがどうして逆流するの?」
「一度に大量の水が流れるわけじゃないから、しっかり角度をつけておいてやらないと、ドレンの中に汚れが溜まってくるんだよ。しかも、今回の現場は、ドレンのジョイント部分が裂けていて、逆流してきた水がその隙間から漏れ出したってわけさ」
「そんなの最初に作業した業者の責任じゃないか?」
「それがそうとも言えないんだよ。経年劣化が原因の場合あるし、ネズミがカジるときもある。ゴキブリが入り込んで中で死んでるのが原因の場合もよくあるんだよ。一般家庭だったら、室外機に一番近い壁に取り付けるから、滅多にそんなこと起きないけど、店舗とかだと十数メートルとかドレンを繋いで、天井裏に横たわっているから、何が起きるか分からないんだよ」
「でも、最初に付けた人は下手だったんだよね?」
「ああ、あの施工は下手くそだったな。プロの仕事とは言えないな」
恐らく原田さんのレベルでしかわからないんだろうな……。俺と横田さんはフンフンと頷いていた。
「いや、そんな話はどうでも良いんだよ。そこの店主がしきりにため息付くから、『どうしたんだ?』って聞いたんだよ」
「それで?」
「そしたら、『ダブルパンチで凹んでいる』って話でさ」
「一発目は?」
「その店、Y市にあるんだけど、この間のY市の花火大会、台風で中止になっただろ? 花火大会の観光客を見込んで、結構な量の在庫を準備していたらしいんだ。それが花火がなければ台風の中、わざわざ誰も来ないわな? 日持ちするものはボチボチ捌ければいいんだけど、弁当とかおにぎりみたいなものは、殆ど全部廃棄処分になったらしい。それが、結構な損害だったらしくってさ。あまりにも勿体なくってオーナーの家族、三日くらい店のもの食べ続けていたってさ」
何とも気の毒な話だな……。
「延期措置を取らなかったですか?」
「ああ、一応次の日に延期だったんだけど、次の日の方がヒドかったから結局お流れになったらしい。それも言っていたよ。『次の日挽回するぞ!って思っていたら……』って」
「何とも気の毒な話だな……」
「まあな。俺も同情したけど、だからといって俺も仕事だからもらうもんはもらわねぇと、こっちが生活できなくなるからなあ……」
「それは当たり前ですよ。気にしているんですか?」
「いやあ、どうもオーナーのあのしょんぼりした顔を見たら、請求書を持って行きにくくってさぁ」
原田さんはちょっと困った表情で言った。そう言うところ、気を遣うんだよな、この人は。
「こんばんは~、チャオ! あれ? 椎名は?」
入ってきたのは月野さん。店に大将も椎名もいないのに目を丸くしている。
「お、べっぴんさん! 大将は、直ぐ帰ってくるよ。魚取りに行っているだけだから。椎名は知らねぇ。何か今日いないんだよ」
「魚ですか?」
「ああ、台風の影響で品物入るのが遅れたらしいよ……。水割りだったら、俺が作ろうか?」
原田さんはシェイカーを振るポーズで言った。
「いや、大丈夫ですよ。原田さんに作ってもらったら、別のお酒になりそう……」
月野さんはそう言って笑った。
「確かにシェイカーは使いませんね……」
俺は笑った。
「使ったらどうなるんだろうな……」
横田さんは言った。
「どうなるんだろう……」
月野さんまで食いついた……。
「特にどうにもなりませんよ。表面に氷の粒が浮く程度で……」
俺は言った。
「兄ちゃん、わかるのかい?」
原田さんは聞いた。
「ええ、学生の時に少しアルバイトをしていたことがあるので……」
「そう言えば、マルガリータのことも詳しかったものね……」
月野さんが返した。
「ただいま~」
大将が帰ってきた。
「やあ、大将、お帰り。べっぴんさんが来ているよ」
「ああ、待たせたね。水割りかい?」
「ええ、お願いします。ところで今日、椎名は?」
「ああ、もうじき来るんじゃないかな……。大学の関係で入るのがちょっと遅れるって言ってたから」
「椎名も忙しいのね……」
間もなく月野さんの前に水割りが運ばれた。
「何の魚を取りに行っていたの?」
月野さんは大将に聞いた。
「ああ、いいスズキが取れたって聞いたから予約していたんだよ。食べるかい?」
大将の言葉にトリオが順番に手を挙げた。ついでに俺も……。
「ちょっと待ってね……」
そう言いながら発泡スチロールの箱から魚のブロックを取りだし、調理を始めた。
「スズキは今が旬なのかい?」
横田さんが言った。
「夏の魚だからねぇ」
大将は手際よく切り分け、刺身を盛りつけ始めた。
「さっきコンビニの話をしてただろ?」
「ああ」
「そうなのね?」
「ええ」
「俺はいつも思うんだが、レジのところに小さな一口羊羹が置いてあるだろ? あれって誰が買うんだ?」
原田さんが不思議そうに言った。
「そう言われてみれば置いてあるわね……。でも会社の女の子は、時々買ってきて食べているのを見ることがあるわよ?」
「そうなのか? 若い子向けなのか……」
「いや、俺も時々買うよ。朝ご飯を買いに行ったついでに……。おやつだな……」
横田さんが言った。
「おや、結構ニーズがあるんだな……。だからあの場所から離れないのか……」
原田さんが言った。
「確かに俺は買ったことがないですね……。『見切り品』は結構念入りにチェックしますけどね」
「あはは、兄ちゃんは俺と同じだな。俺も『見切り品』のチェックはかかさねぇよ」
原田さんは笑った。
「俺はたーくんと反対だな。見切り品があるのは知っているけど、見たことがないよ」
「あ、私も……」
「店の婆ちゃんが教えてくれるんだよ。『見切り品出たよ』って。コンビニは、ジャガーズのチケットを発券してもらうときにしょっちゅう行くから、すっかり顔なじみになっちまってさ……」
まあどこでも直ぐに人と仲良くなれるのは原田さんの特技だと言ってもいいな。
「いいものあるの?」
横田さんが言った。
「いや、ああいうところに並ぶ商品は、季節モノが多いんだよ。バレンタインデーのチョコとか。毎回チェックはしても買うことは殆どないな……。でもその内にお宝が出てきそうな気がしてさ……」
「その気持ち、わかりますよ。俺もそんな感じでチェックしていますから」
「兄ちゃん、分かってくれるか? さすがだな。『見切り品』には男のロマンがつまっているんだよ」
原田さんは笑った。
「『見切り品』に夢を託してどうするの?」
横田さんは笑った。
「横ちゃん! そこは間違ってもらったら困るんだよ。『夢』じゃなくて『ロマン』だよ」
「たーくんは力説するけど、俺にはその違いがいまいちわからないな……」
月野さんも頷いている。
「簡単に言うと、『夢』は目的で『ロマン』は可能性って感じかな」
「余計にわかんなくなってきたな……」
横田さんは首を傾げる。
「私は今の説明でぼんやりだけど分かったような気がする……」
「おお、さすがべっぴんさん! 分かってくれるかい?」
「たーくんとは俺の方が付き合い長いはずなんだけどなぁ……」
横田さんは頭を掻いた。
「はい、お待ち!」
大将が、刺身の皿を全員に配った。一同早速一口……。ん、美味い!
「ああ、本当に美味しい……。魚の美味しさもそうだけど、お刺身って作る人の腕も大きく関わる気がするのよね……」
月野さんは言った。一同頷く。
「お、嬉しいことを言ってくれるねぇ。実は包丁を新調したんだよ。前から欲しかったやつなんだけど、思い切って買ってしまった……」
そう言って、大将は包丁を持ち上げてうっとりと眺めた。
「綺麗な包丁ですね」
俺は言った。
「そうなんだよ。結構な値段するんだけど、一本ずつ手作りで作っているから仕方ないんだよな……。でも、全然違うよ。ふつうの包丁とは。この包丁は、俺のロマンなんだよな……」
「なるほど、俺も今更ながら理解できたよ。大将にとっての夢は良い包丁を持つことではなくって、うまい料理を作ることにあるんだよな。その実現への可能性を大きく広げるモノがロマンを感じる包丁ってわけだ!」
横田さんは熱弁した。原田さんは頷いている。
「そういうことさ。包丁は手段であって目的ではないってことだよ」
「でもさ、大将の包丁とコンビニの『見切り品』を同じロマンで片づけるのってどうなんだろうね」
「本当だな。さすがに言った本人としても後味が悪いわな……」
一同爆笑。
「遅くなりました~」
椎名が入ってきた。明らかに疲れた表情の椎名。初めて見たかも知れない……。
「大丈夫なの? 椎名。顔色悪いわよ」
「あ、大丈夫です。さっきまで結構ハードだったので……。急いで支度をして店に立ちます」
そう言って、奥に引っ込んだ。
「大丈夫なのかねぇ。随分顔色悪かったけど……」
横田さんが言った。大将も頷く。
「今日は、帰すわ。みんなには悪いけど……」
大将がそう言うと、全員慌てて首を横に振った。
「椎名~! 今日はもういいぞ。さっさと帰って家で疲れ取りなよ」
奥に向かって大将が言った。しかし、椎名からの返事がない……。
「あれ? おかしいな……。もしかして倒れているのも……」
「私、見てきましょうか?」
月野さんが言った。
「一応その方がいいかな……。着替えているかもしれないし」
大将が言った。
「じゃ、ちょっと失礼して……。椎名~!」
月野さんは奥に入って行った。直ぐに出てきて月野さんが叫んだ。
「大変、やっぱり椎名倒れていた。すごい熱なの。直ぐにタクシー呼んで下さい。私病院に連れて行きますから!」
「横ちゃん、井上のジジイの電話番号わかるか?」
「ああ、直ぐにかけるよ」
そう言って、横田さんは携帯電話を取り出し、連絡した。驚いたことに電話を切って、五分後には、『井上のジジイ』と呼ばれる医者と、年輩の看護士が到着した。早速奥の休憩室に案内され、十分ほどしたら、大将と一緒に二人とも出てきた。
「貧血と過労だってさ。ここの所忙しかったみたいだから。無理が祟ったんだろうって」
一同ホッと胸をなで下ろす。
「じゃ、ワシはこれで……。一応、注射打っておいたから三十分もしたら、ちょっとは回復しているはずじゃ」
そう言って、お医者さんと看護士の人は、店から出ていった。一同お辞儀……。
「大事じゃなくって良かったですね」
「そうだな。一瞬ヒヤッととしたが、井上のジジイが大丈夫って言うなら大丈夫だよ」
原田さんは笑った。
「あのお医者さんは知り合い?」
月野さんが聞いた。
「商店街の中にある井上内科の先生だよ。小学校の校医をしてたから、この辺の出身は全員知っている有名人さ。特に横ちゃんは体が弱かったから小さい時からよくお世話になっていたんだよ。俺はもっぱら整形外科だったけどな」
「亡くなった妻の病状の第一発見者も、あの先生なんだよ。二人で買い物しているときに、『ちょっと待ちなさい!』って呼び止められて、精密検査を勧められたんだ。その精密検査で、妻の病気は発覚してねぇ……」
「まあ、腕はピカイチだよ」
原田さんは言った。横田さんも頷いている。
「でも、どうして『ジジイ』なの?」
月野さんが聞いた。
「俺が小学生の時には、既にそう呼ばれていたな……。なあ? 横ちゃん?」
「学校の先生も、『井上のジジイ先生です』って紹介していたように思うな……」
横田さんは笑った。
「その時代はまだ『ジジイ』じゃなかっただろうにね?」
大将は言った。
「まあ、ジジイの言うとおりだとすると、三十分もすれば椎名も目を覚ますよ」
「とりあえず、目が覚めたら、私、送ります」
「でも、べっぴんさん。方向逆だろ?」
「それなら、俺が送りましょうか?」
俺は聞いた。
「いや、良いよ。今日は店じまいして、俺が送るから」
大将は言った。
「別に兄ちゃんで良いんじゃないか? 折角のスズキをもうちょっと食べたいしな……」
原田さんがそう言って、ニヤリと笑った。途端に一同頷く……。全くもう……。この人たちは……。




