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シャンプーハット

「あ、いらっしゃい」

 椎名の爽やかな声。

「いらっしゃい」

 大将の明るい声。

 この店『立ち飲み処☆創』の魅力の一つだ。

 

「よっしゃ! 六連勝!」

 奥から原田さんの声がした。

 

「お、兄ちゃん来たのか。今日は俺にビールを奢らせてくれ! 椎名! 兄ちゃんにビールだ」

 原田さんは上機嫌でそう言った。


「はぁ~い」

 涼しい声で返事をした椎名がにっこり笑ってビールとコップを持ってきた。勿論函館ビールの赤生だ。

「ラッキーでしたね。」

 椎名が言った。


 「今日は朝からイライラしていたから、本当に気分が良い!」

 原田さんが言った。

「何かあったんですか?」

 椎名が聞いた。

「いや、年甲斐もなく怒るほどのことでも無いのだがね……。今朝、役所に用事があって、バスで行ったんだよ」


「珍しいですねいつもは軽トラなのに」

 大将が言った。原田さんの実家は電機屋さんだ。横田さんと同級生なので、もう引退しても良さそうな年齢だが、これまたジャガーズの選手で『生涯現役』と謳う人がいて、その影響で仕事を続けている。


「ああ、あそこの役所は駐車場が狭くってな。駐車できないことが多いんだよ」

 原田さんはお手上げのポーズで言った。

「バスで何か会ったのですか?」

 椎名が聞いた。

「ああ、そうだ。その話だったな。バスに乗る前ってのは、待っている人はみんな行儀いいんだよな。ほら、バス停に着いた順は何となくお互い認識していて、乗り込む時にその順番が暗黙の了解で守られるんだよな」

 原田さんは言った。


 確かにそうだな。毎日バスに乗っているが、気が付かなかった。逆に原田さんみたいにたまにしか乗らない人の方が気がつくものなのかもしれない。

「それで? みんな順番守っているなら良かったじゃないか」

 大将が言った。

「いや、乗ってからの話さ。最近の若いやつは、むやみに座ろうとしないのはいいんだけど、席を囲む格好で前に立ちやがる。しかも荷物を足元に置くから結局その席には誰も座れない」

 原田さんは続けた。

「で、バスが混んできても、その場所から動こうとしないし、ずっとスマホ弄っていて通ろうとする人の邪魔になっていることも気がつかない」

 原田さんは吐き捨てるように言った。

「スマホは現代人の『タバコ』じゃよ。中毒じゃから、自分の健康も、周りの迷惑も考えられないんじゃよ」

 ぷかりとタバコを吹かして和久井さんが言った。

「和久井さん、うまいこと言うねぇ!」

 原田さんは言った。確かに俺も『言い得て妙』だと思った。


「そうだったんですか……。私も気をつけよっと」

 椎名が言った。

「でもまあ、俺も何処で誰に迷惑かけているかもわかんないし、なんといっても六連勝だし、まあいいかって話よ!」

 原田さんが表情を明るくして言った。テレビでは勝利者インタビューが行われている。レフトスタンドでは、ジャガーズの球団応援歌の合唱だ。めちゃくちゃ盛り上がっている。


「これ、球場は大騒ぎなんだろうなぁ」

 俺は呟いた。

「そりゃ、もう大騒ぎさ! やっぱり球場の雰囲気が一番だよ」

 やや興奮気味に原田さんは言った。


「私、一度も行ったことないな……。一度行ってみたいな」

 椎名が言った。

「行けば良いじゃないか。球場それほど遠くないし、来週はジャガーズ、ホームでの試合もあるよ」

 大将が言った。

「外野だったら、それほど高くないしな……、てか忘れていた! じゃあ、これ椎名にやるよ。ちょうど二枚余ってんだ」

 原田さんがポケットからチケットを二枚出して、渡した。


「いいんですか? 貰って?」

 椎名が聞いた。

「ああ、いいんだよ。明日用事が入っちまって、行けなくなったのは一昨日からわかっていたんだよ。チケット持っているのも今まで忘れていた位だから。あ、でもそれ、明日なんだけどな」

 原田さんはそう言った。


「予定的には大丈夫です。でも……、今まで一度も行ったことないし……、何か注意事項ってありますか?」

 真面目な椎名らしい質問だ。

 原田さんはニヤリと笑って話し始めた。


「そうだなぁ……、注意ってほどのことでもないけど、服装かなぁ」

 原田さんは言った。

「服装ですか? ハッピとかですか?」

 椎名の表情は真剣だ。

「いや、その辺はどうでもいい。自由な格好で行きな。ただ、ジャガーズのホームはドームじゃないから雨が降ったらびしょ濡れになるんだよ。ところが。傘をさすと後ろの人が見えなくなってしまう。だから、天気が悪くなりそうな日の試合は、みんなシャンプーハットを被っているのが普通だな」

 原田さんは真面目にそう言った。


「シャンプーハットですか? 初めて知りました」

 おいおい、椎名、信じているのかよ!?

 次は大将がニヤリと笑って話し始めた。

「あと、ジャガーズファンだって強調するために、相手選手の名前を木製バットにマジックで書いて、一人ずつ釘を打ったものを持っている人も多いよね」

 大将は原田さんとアイコンタクトを交わしている。


 全く趣味の悪いオヤジ二人だこと。

 俺は可笑しいというより、椎名の天然っぷりに少々呆れていた。


「ええっ! バットなんて持っていませんよ」

 椎名はあくまで真面目に聞いている。


「野球見る前に、捕まるわい」

 トレードマークのベレー帽を脱いで、その帽子で椎名の頭をポンと叩いたのは和久井さんだ。

 原田さんと大将は『してやったり』とニヤニヤ笑っている


「えええええっ! 全部嘘なんですか!? ひどい! 真剣に聞いていたのに……」

 椎名が真っ赤になって叫ぶ。

 大将と原田さんは二つ折れになって笑い出す。


 全くいい年して、若い子相手に…… 


「大体、テレビでそんな格好した観客をテレビでも見たことあるかい?」

 大将は言った。


「さて、野球も終わったし、帰るわ。またな。大将! お勘定! あ、後、椎名、楽しんでこいよ!」

 そう言って、原田さんはさっさと店を出た。


「ご馳走様でした!」

 俺は言った。


「さて、ワシも帰るわ……」

 和久井さんはトレードマークのベレー帽をちょいと持ち上げて大将に挨拶し、静かに店を出た。



 これで店には俺しかいなくなった。

「はい。」

 大将は小鉢を出してくれた。今日はなんだろうな、と小鉢を覗くと、中にはホタルイカが入っていた。ホタルイカも旨いが何と言っても大将が作る酢味噌が滅茶苦茶旨い。


「ほほう! 嬉しいな……」

 思わず呟いた。

 とりあえず一口……。やはりこの酢味噌は絶品だ。


「それにしても、この酢味噌は絶品だね。大将が女性だったら俺、プロポーズしていたかも……」

 そう言って笑った。


「今日は、私が作ったのよ……」

 椎名が言った。ちょっと顔を赤らめている……。

 何だか俺まで恥ずかしくなってきた……。

 大将は何とも言えない表情で笑っている。

 しばしの沈黙の後、大将が椎名に言った。

「で、誰と行くんだ?」

 椎名は俺を見た。俺は誰もいるはずもない左右と後方を目視確認し、改めて椎名の方を向き、自分を指差して確認した。

 椎名が小さく頷く。 さっきの件のせいか、何だか目茶苦茶照れくさい。

 ただ、明日と言わず、奇跡的に週末は毎週空いている。悲しいことに。

「いいよ、一緒に行こう」

 照れくさいが、今日の明日の話だ。椎名だって今から一緒に行く人を探すのも大変だろう。しかも、こういった場合、下手にためらう方が年甲斐がない。大人らしい対応っと。

「あ、じゃあメアド交換して下さい。待ち合わせの場所とか……」

 椎名もこういうことに慣れていないのか、真っ赤になっている。

「そ、そうだな……」

 徐ろに俺もスマホを取り出し、無事メアド交換完了。


「良かったな、早速シャンプーハット買いに行かなくっちゃな……」

 大将は椎名をからかう。

 椎名は顔を真っ赤にしながら、無言で大将をパシパシ叩き続けていた。


「いいねぇ、青春だね」

 大将は笑った。


「一緒に野球観に行くだけですよ! もうっ!」

 椎名はまた大将に連打を加えている。必死過ぎて余計恥ずかしい……。


 そんなこんなしている内に、ホタルイカもビールもなくなったので、そろそろ帰ることにした。


「ご馳走様でした。じゃ、俺も帰ります」


「毎度! じゃあ、明日は楽しんできてよ。椎名! 明日は店、休んでもいいからな!」

 大将は親指を立てて、ニッコリ笑った。

 俺は店を出たが、椎名が大将を連打する音は、外にまで聞こえていた。

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