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あべこべ

「横ちゃん、勿体ないよなぁ。上下が逆になればよかったのに……」

 原田さんのいつものネタが始まった。

 大将は、一瞬笑って、また調理を始めた。

 原田さんの幼なじみ、横田さんは髭が濃い。その代わりと言っちゃなんだが、頭は……。

 少し酒が回ってくると、原田さんはいつもこうやって横田さんをからかう。しかも、そのツヤツヤの頭皮を撫でながら……。

 周りの客は、横田さんの気持ちを察して笑うに笑えない。横田さんも横田さんで、毎回訳の分からない嘘をつく。


「だから、これは毎日ジャンプしてたら、段々下がってきたんだよ。その逆ができないって気がついた時には時すでに遅しってやつだよ」


 全く持ってリアクションのとりにくいやりとり。ただ、当の本人達は結構気に入っているようで、毎回嬉しそうだ。


「横田さんって、顔を洗うときはどこまで洗うのですか?」

 椎名が恐ろしい質問を投げかけた。

 しかし、それは非常に興味のある話だ。手のひらでおおえる範囲に限定されるのか、それとも後頭部までフルスイングで往復するのか……。


「椎名、人間ってのは恐ろしいものだぞ。ワシの毛が顎に移動していることを実感したのは、ある日のこと。顔に塗った石鹸の泡が前髪の生え際にきれいに弧を描いたんだ」

 横田さんは椎名と話す時は特に嬉しそうだ……。


「それって……」

 椎名がそれを言いかけて、慌てて自分の口を手で塞いだ。


「そう、それが『かつての生え際』なのだ」

 横田さんは言った。


「それ以降……?」

 椎名が選ぶ言葉が見つからず、最低限の言葉で話の背中を押す。


「ああ、それ以降だ」

 しっかりとそう言った。


「髭は?」

 大将が言った。

「髭?」

 横田さんが聞き返した。

「それはシャンプー?」

 大将が更に聞く。確かに興味ある。


「ああ、髭は顔と一緒に……。ま、口ひげだけのやつは歯ブラシなんかを使う場合もあるらしいが。ワシはここ十数年、シャンプーは買ったことがない」

 横田さんはそう言いながら、真っ黒な髭を撫でた。


「横ちゃんのこれは、三十代から始まったんだよ」

 原田さんが言った。

「誰も聞いちゃいないっての!」

 横田さんは反論した。


「まあ、ワシも髪が薄くなっていくのは自然の流れと割りきっていたんだが、その頃から濃くなってきた髭を切ったり剃ったりするのが何だか忍びなくてな……」

 そう言いながら横田さんは髭を撫でて笑った。


 本人は結構気に入っているのがよくわかる。実際結構似合っているし、貫禄に出ている。


「で、今のあべこべになっちゃったわけだ」

 全く原田さんは口が悪い……。あべこべって……。


「髪の反対は髭っておかしいですよ。絶対!」

 思わず言った。


「そう言えば、あべこべで思い出したけど、『絶対』の反対の言葉ってなんだ?」

 至ってマイペースな原田さんが言った。

 確かに考えたことも無かったな……。なんだろ?

「椎名は勉強できるから知っているかと思ったんだが……」

 原田さんが椎名をからかうように言った。

「専攻が違いますから。でも、なんだろ……『多分?』」


 俺も改めて聞かれるとわからないな……。

「相対……じゃよ」


 久しぶりに和久井さんの声を聞いた。

 和久井さんは八十歳は超えているだろうお爺ちゃんで、店で人の話を傍から聞いて、ニコニコ笑っているだけの事が多い。

 自分から話しかけたりしないし、常連もそう言う人だと知っているから誰も必要以上に話しかけない。店にも長くて三十分くらいしかいないし、『年寄りは夜が早いんじゃ』と言って、夜九時以降に姿を見ることはまずない。

 近所に住んでいるのだろうが、何處に住んでいるのかを知っている人もいない。結構謎だらけの人だ。しかし、この店ではその辺、誰も詮索しないし、会話に入っていなくても和久井さんを仲間はずれにしている感じもしない。


「あ、中学校とかで、『絶対評価と相対評価』っていうのがありました」

 椎名が言った。

「何だそりゃ?」

 大将が言った。

「高校入試の時に、内申書って言うのが得点化されるんです。それと当日の点数とを合わせて入試の得点になるんですよ」

 椎名がコップを拭きながら説明し始めた。

「それで、成績が良かった順から上位何パーセントが十、その下の何パーセントかが九……みたいな感じで付ける評価が相対評価。それに対してテストで九十点以上なら十、八十点以上なら九……みたいな感じで付ける評価が絶対評価だったと思いますよ」

 説明と同時にコップ磨きも完了したようだ。

「そんな昔のこと、何にも覚えてないな……。なあ、横ちゃん」

 原田さんが言った。

「それはたーくんの成績が悪すぎたからじゃないのか?」

 横田さんは笑って言った。

「と、言うことは、学校のレベルによって有利不利が出てくるってことになるな」

 大将は言った。


「そう、それから田舎の方の生徒人数が少ないところだと評価が難しくなるらしいんです」

 椎名が言った。


「確かにそうだな。たーくんみたいなのでも、その学年が一人しかいないと自動的に優等生になってしまうわな」

 横田さんが笑う。


「ワシでもって言い方はなんだよ。ワシだって体育の成績だけはいつも『優』だったぞ」

 原田さんは横田さんに向かって言った。


「ワシだって音楽だけは『優』だったな……」

 横田さんは言った。


「ということは、相対は複数候補がないと成り立たない言葉ってことになるわけだ……」

 俺は言った。


「まあ、そういうことで、今では殆どの都道府県の公立中学では絶対評価を採用しているらしいですよ。あ、去年くらいからは百パーセントになったんだっけ?」

 椎名はそう言って一旦奥へ引っ込んだ。


 「体育系が得意な原田さんと文化系が得意な横田さんか。原田さんの対義語は横田さんってことが言えるな」

 大将が笑った。


「まあ、昔からそう言われていたよ。俺が赤のシャツ着て小学校に行った日は、横ちゃんは青のシャツ着てたし、初恋も俺は痩せ型の女の子だったけど、横ちゃんはぽっちゃり型だったし……」

 原田さんは思い出したように言った。


「そうだったねぇ……。遠足もワシが川で溺れかけていたら、たーくんは崖から落ちていたねぇ」

 横田さんは笑う。


 奥から出てきた椎名が笑っている。

「ちょっと……、これ、ウケる……」

 口に手を当てて小刻みに震えて笑っている。

 手にはスマートフォンを持っている。


「どうした? 椎名」

 大将が聞いた。

「いや、さっきの相対評価を一応確認しようと思って調べたの。で、ついでに『面白い対義語』って言うのを調べたら……」


 どうにも笑いが止まらない様子の椎名。

「調べたら……?」

 思わず聞いた。

「黒田アーサーの対義語が白田ヨールーって……」


 何だか分からないがジワジワくるな……。俺もネットで見たことあるな……。ノーブラの対義語がイエスパンティって書いてあって、思わず声出して笑ったっけ……。


「何が面白いんだ?」

 原田さんと横田さんはさっぱり分からない様子。大将もいまいちそのおかしさが理解できない様子。

 ま、この馬鹿馬鹿しさが、ハマる人にはハマるんだろうけど……。

 俺は思わずクスリと笑った。


「もういいです。お騒がせしました……」

 周りの薄いリアクションに少し元気がなくなった椎名がスマホをポケットにしまった。


「何だ? 年寄りには分からない話か? これは、あれだ……『カルチャーショック』というやつだな!」

 原田さんは言った。


「同じ日本人じゃ。文化は同じじゃよ。それを言うならジェネレーションギャップじゃな……」

 和久井さんが小さな声で呟いた。誰にも聞こえなかったようだけど、俺は聞き逃さなかった。鋭いな……和久井さん。

「それから、正確には『白畑ヨールー』じゃな……」

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