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今日からの心がけ

020今日からの心がけ


「大将……。いつなんだよぉ」

 横田さんは大将に尋問している。原因は簡単。椎名が口を滑らせたからだ。椎名は申し訳なさそうに小さくなって、黙々と洗い物をしている。大将は、完全にその件については口を閉ざす……。

「早く見たいなぁ、椎名の浴衣姿ぁ~」

 執拗に迫る横田さん。本当に椎名が好きなんだなぁ……。椎名の浴衣姿を一番を一番楽しみにしているのは間違いなく横田さんだな。


「尾田さん、すみません……」

 小さな声で椎名が謝る。大将はそれを聞いて、軽く頷く。別に怒っているわけではない。


「はい、これ」

 今日は、小皿に乗ったものが出てきた。焼き鳥?

「肝焼きだよ」

 大将は言った。ウナギの肝は、この店で初めて食べた。俺の好物の一つだ。『肝焼き』というわりに、肝臓は殆ど使わずその殆どが胃や腸だってことも大将から教えてもらった。

「素晴らしいね。今の気分にピッタリだよ」

 思わず俺は言った。いや、大将が出してくれる料理はいつも心にヒットするけど、今日は特別ヒットした感じだ。

「いや、店に来てから何度となくため息をついていたから、ちょっとお疲れかなって……」

 大将は笑った。

「え? ため息? ついていました? 俺」

 自覚症状がなかった……。

「いや、全然自覚なし。別に悩み事もないし」

 俺は言った。

「そうなんですか!? よかったぁ~。今日、話しかけて良いものか、すごく迷っていたんですよ……」

 今まで横田さんとずっと話をしていた椎名が言った。

「え? そんなに深刻そうだった?」

 俺は聞いた。

「見た感じはね。いつもニコニコしているから、ギャップが大きいのかな」

 大将は笑った。

「でも、梅雨に入ってから、鬱陶しい日ややたら暑い日、夜急に冷え込んだりする日って毎日気候がバラバラだから、ちょっとバテているのかなって思ったんだけど……」

 なるほど、それで『肝焼き』だったのか……。何だか気を使わせちゃったな……。

「確かに、一日家にいる俺でも体調崩しそうだからなぁ」

 横田さんが言った。

「でも大丈夫だと思います。肝焼き食べたら元気出ます!」

 俺がそう言うと、まわりのメンバーの表情が明るくなったところを見ると、みんな心配してくれていたんだな、と。いやいや、ありがたいことですよ。みなさんの愛情に包まれて……。


「そう言えば、俺の友達の孫の話なんだけさ……」

 横田さんが話し始めた。

「まだ、三歳ちょっとの頃、親父が食べていた肝焼きをえらいねだってさ、仕方がないから一つ食べさせたらしいんだけど。」


「子どもが食べて美味しいと思うのだろうか……」

 俺は言った。他も頷く。

「俺もそう思ったし、その親父も一口食べさせたら、納得すると思ったらしいんだけどさ……」

 横田さんは言った。

「まさか…気に入った?」

 椎名が言った。

「うん、そのまさかで『おいしー』って。で、結局その串一本全部食べたらしいんだ」

 横田さんは続けた。


「その後、その子が十二時になっても全然寝ないで、寧ろテンション上がって踊り出したらしくてさ……」

「なんと……」

 大将が言った。

「いや、肝焼きって絶対に効果があるんだって、その時に実感したって話を聞いたことがあってさ」

 横田さんはそう言った。

「体が小さいと、それだけ効果も高いのかしら……」

 椎名が真剣に考えている。まあ、薬とかも子どもは少しの量で良いから、その通りなんだろうけど……。


「ボーリングの前に食べると、スコアが上がるかもしれませんね」

 俺は横田さんに言った。最近、原田さんとちょくちょくボーリングに行くようになったらしい。今日の服装も、ボーリングシャツで一気に若返った感じがする。

「あはは、ボーリングはテンション上がってはハイスコアは期待できないよ。常に冷静でなくっちゃ……」

 ボールを投げるポーズをして、横田さんは言った。


「原田さんはどんな感じですか?」

 椎名が聞いた。

「たーくんは、『基本からやり直す』とか言って、何だか教則本を買ってきて研究しているよ。あの調子じゃ、ボーリングでもあっという間に抜かれちゃいそうだな……」

 横田さんは言った。


「そう言えば、今日、原田さん来られないんですか?」

 俺は横田さんに聞いた。

「恐らく今もボーリング場にいると思うよ……」

 原田さんのハマりっぷり、半端ねぇ!

「ええっ!? 今日もですか? 昨日も十二ゲーム投げたって言ってましたよ!」

 椎名が言った。

「原田さん、ボーリングで体壊さなきゃ良いけどな……」

 大将が言った。

「大丈夫だよ。たーくんは昔からスポーツを始めたら、もう誰も付いていけないくらい練習熱心なんだよ。サッカーの時も、夜中の三時までリフティングしてたって言ってたし……」

 横田さんは諦めたように言った。どうやら原田さんは極め癖があるようだ……。


「まいど!」

 元気良く入ってきたのは原田さんだ。噂をすればなんとやら……。

「大将! ビールくれ! 喉がカラカラだ。毎日天気はコロコロ変わりやがるし、おまけに毎日ボーリング三昧で、体壊しそうだぜ! あ、肴に何かガツンと精の付くものをくれるか?」

 原田さんがそう言うと、みんな吹き出した。

「何がおかしいんだい? みんな揃って」

 原田さんが聞いた。

「いや、さっきまで話していた話を、原田さんが一気に全部言ってのけたから……」

 大将が言った。

「まあ、考えることは一緒ってことだな。良いことだ」

 喉が渇いていて、さっさとビールが飲みたいのか、原田さんは無理矢理話をまとめてビールグラスを一気に傾けた。

「か~~~っ! 五臓六腑に染み渡るねぇ~~!」

 本当に美味そうに飲むな、この人。大将は肝焼きを焼いている。


「で、今日はどうだったんだい?」

 横田さんが原田さんに聞いた。

 その瞬間、原田さんはビッと親指を立てて言った。

「もう150は切らないね」

 『おお~っ!』という店中の喝采。原田さんは映画スターみたいに一人一人に手を振ってお辞儀をしている。

「急成長ですね」

 俺は言った。あれから一ヶ月も経っていない。すごいな、この人。

「まあな、横ちゃんも早く椎名と行きたいだろうしな……」

 あ、この人はこの人で気を使っていたんだな……。良い友達だなぁ。

「楽しみです!」

 椎名はニッコリ。横田さんは鼻の下がカウンターに付きそうなくらい延びきっている。


「はい、どうぞ」

 大将が肝焼きの乗った皿を出した。

「お! ウナキモだな。こいつはいいな。元気が出そうだ!」

 そう言って、原田さんはパクリと一口。しばらくモグモグした後、ビールを流し込んだ。


「それにしてもさ……、今回のボーリングは本当に勉強になったなって思ったよ」

 原田さんは話し始めた。

「ほう……」と一同。


「いやさ、横ちゃんと一緒に行く以外に、何て言うんだ? 『自主練』? てのをやっていたんだよ」

 原田さんはボールを投げるポーズで言った。

「ええ、すごく頑張っていらっしゃるそうですね」

 椎名が言った。

「おう! でさ、俺みたいな毎日十ゲーム以上投げ込むおっさんってのは、珍しい訳よ。当然ボーリング上の店員とかとは顔馴染みになってくるし、フロア長とか、レーン整備士の兄ちゃんとかがいろいろアドバイスくれるようになってさ……」

 まあ、この人の場合、人懐っこさの固まりみたいな人だから、自然と周りに人が集まるんだよな……。

「で、ドリラーの爺ちゃんがいるんだけど、この爺ちゃん、元プロらしくってさ。結構的確なアドバイスをくれるんだよ」

 原田さんは鼻の下を両手で撫でながら言っているから、きっと口髭を生やした人なんだろうな……。


「そのお爺さんのアドバイスが勉強になった、と?」

 横田さんが言った。

「横ちゃん! 人の話は最後まで聞くもんだぜ。まあ、勿論アドバイスは勉強にはなったよ。ところが、俺が勉強になったと思ったのはそこじゃないんだよ」

 原田さんは言った。


「俺さ、バックスイングの時に肘が開く癖があるらしいんだ。フロア長にも整備士にも言われたから上手くいかないときはまずここが原因で間違いない。で、その爺ちゃんは『脇にタオルを挟んで投げると良い』って教えてくれたんで実践していたんだよ」

 原田さんは脇に手を挟んで説明している。確かにタオルを落とさないようにしようとすると、肘を開くのは無理だな……。へぇ、そんな練習法があったのか。

「なるほどねぇ、確かに肘は開けないな……」

 大将は、同じように脇に手を挟んで二・三回投げるポーズをした後そう言った。

「面白い練習法ですね」

 椎名は言った。

「この練習法、兄ちゃん知っていたかい?」

 原田さんは俺に聞いた。

「いや、俺も初めて聞きましたが、確かに理に適っていますね」

 俺は答えた。

「で、タオル挟んで散々練習した後、タオルを外して投げてみたら、これが絶好調でな……」

 原田さんは言った。

「ほう、それがアベレージ150以上の秘訣かい?」

 横田さんが言った。

「おうよ! でもさ、またしばらく投げていたら、また肘が段々開いてきちまうんだよ」

 原田さんは悔しそうに言った。

「そんな急には難しいんじゃないですか?」

 椎名がフォロー、相変わらずこういう気遣いは上手い。

「それを見ていた、例の爺ちゃんが言ったんだよ……」

 そう言って、原田さんは視線を少し落とした。何て言ったんだろう……気になる。

「何て言ったんですか?」

 思わず聞いてしまった。

「『原田さん! いい加減覚えたらどうですか?』ってさ」

 原田さんは言った。

「随分厳しい言い方ですね……」

 更に椎名のフォロー。


「うん、俺もそう思ったよ。結構自分自身じゃ真面目にやっているつもりだし、折角教えてもらったことだから早く身に付けたいとも思っている。だけど、そう上手くはいかないのがスポーツだろ? まあ、勉強でもそうかもしれないけど」

 原田さんは言った。

「あ、料理もそうですね……。本当に何度教えてもらっても上手くいかないときがあります」

 椎名が言った。大将の元で修行しているから、気持ちが分かるんだろうな……。


「いやね、俺も同じことしてたんだなぁって。仕事を教える時に『いい加減頭に叩き込め!』とかしょっちゅう怒鳴っていた気がするんだよな……。教えられてできない方は、あんなに辛い思いをしてたのかって……」


「なるほどねぇ……」

 一同納得……。

「俺も心当たりあるわ……」

 横田さんが言った。静かに残り三人が手を挙げた……。

「私も家庭教師のバイト先で……」

「俺は、前の料亭で……」

「俺も……部下に……」


「まあ、みんなやっていることも一緒ってことだな! 良いことだ!」

 出た! 原田さんの強引なまとめ。

「すまなかったな! つまんねぇ話で空気重くしちゃったな!」

 原田さんは今更ながら気を使っている。

「いえ、俺も勉強になりました。ありがとうございました」

 俺はお礼を言った。大将と椎名もお辞儀している。同じ気持ちだろう。横田さんは、原田さんを肩を組んでポンポンやっている。これがこの二人の表現方法なのだろう。


「何だか今までの自分が恥ずかしくなりますね……」

 椎名が言った。

「うん、俺も……」

 俺は言った。

「まあ、心配するな! 俺もこの年で気が付いたことだ。ボーリング場の爺ちゃんはまだ気付いていねぇ。兄ちゃん達なら早期発見ってところだ」

 原田さんのその人ことで気持ちは吹っ切れた。そうだな、明日から、いや、今日から気をつければ良いことだな……。

「そうですね、今日から心がけることにします」

 俺は言った。

「私も!」「俺もそうだな……」

 椎名と大将も同じ気持ちだったようだ。横田さんは黙って原田さんの肩をポンポン……。まあ、同じなんだろう。


「まあ、みんなの決意は一緒ってことだな! 良いことだ!」

 原田さんの強引なまとめに助けられて、この話は完了した。

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