カツサンド
「全くけしからん! 実に腹立たしい!」
横でテレビを見て怒っているのは、熱血ジャガーズファンの原田さんだ。
「いやいや、これからですよ。原田さん」
大将がそれとなくフォローを入れる。
「これから!? だってもう八回だよ。あ~~もうダメだ。なにをやっていやがるんだ。バカ監督が!」
まあ、いつものことなので気にもならないが、本当にシーズンが始まると毎日のようにこの調子だ。
その時、ガラリと店の扉が開いた。
「ヨッ!」
入ってきたのは横田さんだ。
「あ、いらっしゃい!」
椎名が出迎えた。
「お、椎名か。今日はこれを買ってきてやったぞ」
横田さんは何やら紙の袋を椎名に渡した。
「いつもありがと~。でも、無理しないでね」
にこやかに紙袋を受け取る椎名。今日はなんだろう?
横田さんは結構な年なんだけど、いつも若々しい。
しかも、子どもがいないせいで、椎名を娘のように可愛がっている。
「あ~~~! 近江屋のカツサンドだ!」
椎名は飛び上がって喜んでいる。
「だろ?」
横田さんはしてやったりと言った表情で椎名に聞き返した。
「これ、めっちゃくちゃ美味しいんだけど、限定数がすごく少ないから、滅多に手に入らないのよ。横田さん、ありがとう! 随分並んだでしょう」
どうやら、超人気店の限定品のようだ。
「そうでもないよ。実は、あの店に出入りしている業者に知り合いがいてね。頼んでみたら、特別に一回だけって約束で分けてもらったんだよ」
横田さんが照れくさそうにネタばらしをした。
「え~~、じゃあちゃんと並んでいた人にちょっと悪いなぁ」
この辺椎名は本当に正直というか、真面目というか……。
「じゃ、返してくるか?」
と横田さんはニヤリ。
その言葉に椎名はガバッと袋を抱きしめ、横田さんを見つめる。
「あはは、取ったりしないよ。椎名の為に買ってきたんだから。しかも一回こっきりの約束だし」
そう言って、横田さんはいつも通り焼酎のロックをちびちびやりだした。勿論、横田さんも常連なので、いちいち注文しない。例えしたとしてもいつも同じものしか頼まないから店にとっても時間の無駄になる。
「今、食って良いよ。腹減ってるだろ?」
大将が椎名に声をかけた。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
椎名の幸せそうにカツサンドをほおばる姿を、横田さんは楽しいそうに見つめてチビリチビリ。
横田さんにとっては、これが一番の酒の肴なのかもしれないな……。
「あ~~! くそっ! 結局ダメだ! 大将! 酒くれ! それ引っかけたら帰る!」
原田さんが叫んだ。どうやらジャガーズは負けたようだ。
「おや、横ちゃん。」
野球の試合に夢中で気づかなかったのだろう。原田さんはようやく横田さんに気づいて声をかけた。
「やあ、たーくん」
横田さんは言った。『たーくん』は原田さんの愛称だ。本名が原田 正と言う。
二人は幼稚園からの幼なじみらしい。
「また、椎名へ差し入れかい?」
原田さんが言った。
「唯一の楽しみでね」
横田さんが穏やかに答えた。
「今日は近江屋のカツサンドを頂きました!」
残り少なくなったカツサンドを高々と差し上げ、椎名は原田さんにアピールした。
「カツサンドか……。昔かーちゃんが作ってくれたことあるんだけどさ、かーちゃん料理下手だから食べようとしたら衣がすぐはがれるんだわ……」
原田さんが言った。
「結構難しいんですよ。お肉にぴったりくっつけて、カリッと揚げるのって」
椎名なりの原田さんの奥さんへのフォローだ。こういう気配りがおっさんのアイドルたる所以だな……。
「いや、かーちゃんが料理下手なのは本人も自覚しているからそれはそれで良いんだよ。ただな、その時気がついちまったのよ。これが」
原田さんは人差し指を立ててそう言った。
「なにに気づいたのですか?」
思わず俺が聞いてしまった。
「カツサンドってのはな……。肉の外側は……すべてパンだ!」
自信満々に主張する原田さんは寧ろ清々しい。
しかし、言われてみればその通りだ。
「で?」
横田さんがやや冷たい視線で原田さんに言った。
「横ちゃん! そりゃないよ! 結構誰も気がついていない大発見だと思わないか!?」
原田さんは、必死で横田さんに訴えている。
「確かに言われてみたらそうだな……」
反応を示したのは意外にも大将だった。
「毎日料理作っているけど、そんなこと、考えもしなかったな……。いや、原田さん、それ面白いですね」
大将がそう言うと、原田さんはにっこり。すっかり機嫌は戻ったようだ。
「じゃあ、豆腐と油揚げの味噌汁ってみんな大豆だ! ってのは発見に入りますかね?」
俺は聞いてみた。
「「「本当だ……」」」
三人が声を揃えてそう言った。いや、そこまで感心されるとは思わなかったのですが……。
「昨日の晩、納豆と冷や奴とさっきの味噌汁だった……。しかも晩酌には枝豆を肴にしていた気がする……」
横田さんが言った。
「冷や奴には醤油をかけたよな?」
原田さんがニヤリと笑って言った。
「それって、白ご飯以外、オール大豆ですね!」
椎名が大笑いしながら言った。
「あ、でも、米からできた味噌ってのも聞いたことがあるぞ」
大将が言った。
「横ちゃんがそんな洒落たもの、持っているわけがない」
原田さんがつっこむ。横田さんは、残念そうに頷く。
「それにしたって、米と大豆だけじゃないですか」
椎名が笑っている。
「参ったな……、これって食事偏っているのかな……。あいつが逝ってから、簡単なものしか作らなくなったからなぁ……」
ちょっと寂しそうに横田さんは言った。
あんまり詳しくは知らないけど、横田さんは数年前に奥さんを亡くしてからこの店に来るようになったらしい。
勿論、連れてきたのは原田さんらしいが……。
「あんまり偏っているイメージないなぁ、さっきのメニューを聞く限り。それより大豆の多様性の方が驚きますね」
フォローというわけではないが、思った通りに言った。
「確かに……。そう言えば私の大学の輪転機のインクも大豆が原料だっていっていましたよ。それにしても、植物しか食べていないってのはどうなんだろ?」
椎名が言った。
「では、そんな横田さんの為に……、はい」
大将が出した小鉢には、通称『ササベー』が。
ささみをベーコンで巻いて焼いたシンプルな料理であるが、こいつが酒の肴には最高に旨い。
あっさりしたささみとベーコンの脂の相性がとても良く、ほとんど味付け無しで調理できるとのこと。
鶏肉の脂が多い部分を焼いたものとは根本的に違う旨さがある。
「ほう、これか。ワシの好物だわ」
横田さんは喜んでパクつく。
「椎名も一つどうだ?」
横田さんは椎名に聞いた。
「私はもうさっきのカツサンドでおなかいっぱい。それと、ささみには、ちょっとしたトラウマが……」
そう言って、大将を睨んだ。
ああ、この間のことだな……。
「大丈夫だよ、今日は正真正銘の鶏肉だから」
大将は笑って言った。
「何食べさせたんだ?」
原田さんが大将に聞いた。
「も~~~っ! 言わないで良いです!」
椎名が必死で妨害する。恐らく思い出したくも無いのだろう……。
「そう考えると、ここに来れば大将がバランス考えて出してくれているよな」
俺は言った。
「まあな。そもそも横ちゃん、奥さん亡くしてから、本当に食うものも食わずにふさぎ込んでいたから連れてきたのがきっかけだしな。あの頃、三食ソーメン食っていたりしたし……」
原田さんが言った。
「連れてきたって言っても、本当に連れてきただけだったな。店に入ったら、俺のことなんてほったらかしで野球見て大騒ぎしていたし……」
横田さんは返した。
「まあまあ、それが原田さんの優しさってことで……」
大将がまとめた。
「何だそりゃ」
横田さんが笑う。
「じゃ、横ちゃん、俺はお先に……。大将、椎名、ごちそうさん」
そう言って、原田さんは店を出た。
「実はさ……。このササベーだけど、大将に教わって家で作ったことがあるんだよ。ところが、味は同じはずなんだけど、何とも味気無くってさぁ……」
横田さんは話し始めた。
「結局『何を食べるか』より『どこで』『誰と』食べるかってのは、大きな調味料なんだなぁって思ったね」
「その通りだろうね」
大将はにっこり笑って頷いた。
今夜も『立ち飲み処☆創』は、和やかな雰囲気で夜が更けていく……。