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ボーリング

「ああ、野球が無い日はつまらんが、平穏だ……」

 呟いたのは原田さん。

「ある苦しみと無い幸せってやつかな?」

 横田さんが突っ込む。

「まあ、そう言うことだ。だから、今日はのんびり飲むことにしよう。今週はいろいろ忙しかったから、ここに来るのも何日ぶりか……」

 原田さん言った。俺は週末くらいにしかこの店には来ないが、原田さんは平日でもちょくちょく来ているらしい。和久井さんと横田さんは全く不定期だとか。

「横田さんは野球に興味がないんですよね?」

 椎名が聞いた。

「いや、たーくんから、小学校の時からお誘いを受けていて、もう五十年くらい経つけど……」

 横田さんはそう言って笑った。

「いっつも『前向きに善処します』って言われておしまい」

 原田さんは笑った。


「そうだな、未だに何が面白いのかがよく分からないんだよ。何度かたーくんと球場にも行ったんだけど、外野席とかだと遠すぎて、何やっているのかよくわからなくてさぁ……」

 横田さんは言った。

「俺もあまり見ないけどな……。原田さんの影響で、ジャガーズの知識だけは豊富になっちゃったけど……」

 大将が言った。


「あはは、本当ですよね。他のジャガーズファンのお客さんが驚いていましたよね」

椎名が笑った。

「まあ、原田さんの解説が的確だからだよ。原田さんから聞いたとおりに言ったら、大抵のお客さんは腕を組んで『なるほど! それはそうだ!』って納得しちゃうものな……。何て言うんだっけ? こう言うの」

 大将が笑った。

「『他人のフンドシで相撲を取る』ですね」

 俺は言った。

「お、兄ちゃん、さすが学があるねぇ。やはり学士さんは違うねぇ」

 原田さんは言った。あはは、確かに大学卒業したから学士だけどね……。久しぶりに聞いたな。その響き……。

「でも、それを言うのなら、椎名なんて『修士』ですよ。来年には『博士』の予定だよな?」

 俺は原田さんと椎名に言った。

「まあ……。一応……予定では」

 椎名は返した。

「椎名には肩書きなんて関係無いよ。これだけ気だてが良いんだから、どこに出しても大丈夫!」

 力強く横田さんが言った。何となく話の流れと論点がボロボロにずれているけどまあ良いか……。とにかく横田さんが椎名好きなのは良く伝わってきたし。当の椎名はあまりの話の展開に一瞬ポカンとしていたが、すぐさま横田さんにお辞儀をしてお礼を言っていた。


「確かに何か趣味を持った方が良いんだろうけどね……」

 横田さんが言った。

「日頃はどう過ごされているんですか?」

 椎名は聞いた。

「どうだろう……、特に何もしていないかな……。朝起きて、新聞読んで、本読んで、テレビ見て……。後は家事だな。気が付いたら夜って感じで」

 横田さんは斜め上を見ながら思い出していた。

「家事以外、体を動かしてないな……。それじゃない?」

 大将は言った。

「ん?」

 横田さんは聞いた。

「新しく何かをしようってんなら、今の生活に足りないことをすれば良いんじゃないかなと思って」

 大将は言った。

「すると、何か運動をすれば良いってことか……。運動はたーくんと違って苦手だなぁ」

 横田さんが言った。

「やるなら一緒にやるよ。何にする?」

 原田さんが言った。

「やだよ、たーくん何でも上手いから、劣等感に浸ることになっちゃう……」

 幼いときのトラウマがあるのか、本気で嫌がっている様子だ。

「じゃあ、原田さんの一番苦手なスポーツにしたらどうですか?」

 俺は言った。いくら何でも完璧にスポーツ万能なはずはない。何か弱点があるはず……。

「それがさ……、実はあるんだよな……。絶対に上手くできないスポーツが」

 原田さんが言った。

「へぇ、何だい? 俺の記憶にはないけどな……」

 横田さんが言った。

「実は……、ボーリングなんだよ。あれだけはどうやっても上手くならなかったな。まずスコアも三桁になったことがない」

 原田さんは忌々しそうに言った。

「そうなの? そう言えば、たーくんがボーリングしているのは一度も見たこと無いな」

 横田さんが思い出したように言った。

「横田さんは?」

 椎名が聞いた。

「めちゃめちゃハイスコアを出せるわけではないが、150を切ることはないな……」

 横田さんは言った。

「じゃあ、ボーリングで良いんじゃないか?」

 大将が言った。

「兄ちゃんは、ボーリングなんかするのか?」

 原田さんが俺に聞いた。

「何年も前に、随分ハマっていた時期がありましたよ」

 俺は答えた。その期間は二年位だったが、もの凄い勢いでハマっていたな……。

「じゃあ、何だ? マイボールってのも持っているのかい?」

 原田さんは聞いた。

「ええ、ボールもシューズもマングースもありますよ」

 俺は答えた。

「マングース?」

 椎名が聞いたが、全員俺に注目している……。

「ああ、リスタイです」

 俺は答えた。

「リスタイ?」

 またも椎名の質問、またも全員注目。

「ああ、手首を固定するプロテクターみたいなのです」

 俺は答えた。全員『ああ~~~』と右手を甲をさすって確認したっている。そうそう、そこに装着するあれです。とは言うものの、実は俺もあの装具の正式名称って知らないな。一番使っている人が多いやつが、俺の使っているやつだったけど、ベルトに付いているタグにマングースの絵が描いてあったから、みんな『マングース』って呼んでいたな……。因みに鉄で出来たやつは『ガンダム』って呼んでいる人が多かった気がする。

「と言うことは、腕前はプロ級ですか?」

 椎名が聞いた。

「いや、実はそれほど大したことはないんだ。形から入ったから……」

 俺は笑った。

「そうなのか、最近もやっているのか?」

 横田さんがボールを転がすポーズで言った。

「いえ、シューズを捨てちゃったので、もうずっとしてません」

 俺は答えた。

「シューズはボーリング場で借りれば済みそうだけど……。やはりちゃんとしたシューズとは違うんですか?」

 椎名が言った。

「ああ、値段とかそう言うことではなくって、基本的に靴の裏が左右違う素材なんだよ。右投げの場合、左はフェルト字で滑るようにできているし、右はゴムで滑らないように出来ている。ボーリング場で貸してくれるシューズは、『ハウスシューズ』って言って、両方滑る素材で出来ているからいつもの調子でボールを投げると転んじゃうんだよ」

 俺は説明した。

「へぇ~、知らなかったな。やっぱり本格的になると、いろいろ違うもんだな……。じゃあ、兄ちゃん、あの手首のやつはどんな効果があるんだ?」

 原田さんは興味津々だ。

「基本、マイボールを作るときは、フィンガーチップって言って、第一関節までしか入らない穴の開け方をするんです。その方がスピンがかかりやすいので。普通は第二間接まで全部入れますよね。子供用とかだったら五本全部の穴が開いているハウスボールもあると思うのですが……」

 俺は言った。

「ああ、見たことある! 軽いやつで……。私、時々あれを使うことが……」

 一同爆笑。だろうな、椎名なら。

「当然、ボールは重ければ重いほどピンを倒す力は強いわけです。但し、16ポンドまでって決まっていますが。あ、大体八キロちょっとくらいです。穴はいくつ開けても良いことになっています。ただ、指の抜けとかを考えると三本が一番なのでしょうね。プロ選手でも三本以外の人は見たことがありませんね」

「そうなんです! 私五本指のボールを使ったとき、放すタイミングが難しくって……」

 椎名が言った。

「で、前置きが長くなっちゃいましたが、その八キロ以上あるボールを投げるときには、先に親指が抜けてからは中指と薬指の第一関節だけで支える形になるんですね。その時、手首が曲がるとボールを落とす場所がズレたりするのを予防するために手首を固定する装具なんですよ」

 俺は言った。各自焼酎のボトルを三本の指の第一関節だけで持ち上げたりして、いろいろ想像を膨らませている……。

「じゃあ、あの最後にクイッと曲がるのは? あれ決まるとカッコ良いんだよな……」

 大将まで食いついてきた。

「あれは、元々ボールの重心がズラして作られていることもありますが、さっき言ったスピンのせいです。右投げの場合、左斜め上にスピンがかかります。レーンには保護のために油を塗っているので、ピンの近くまでは空回りをしながら油の上を滑っていく感じです。ピンの手前数メートルには油が塗っていませんからそこからその回転がグリップし出すわけです」

 みんな付いてこれるのかな……、と見てみると、やはりイマイチ理解出来ない様子。大将が引き出しから何か出してきた。ゴルフボールだ。

「これで説明してくれる?」

 大将はゴルフボールを俺に渡した。

「つまり……こう来て……こうなるわけです」

 実際にやってみると、みんな納得した様子。『おお~~っ!』と歓声。

「何だか面白そうだな……」

 言い出したのは横田さん。

「何か物理の勉強をしているみたいです……」

 と椎名。

「なるほど、今までみたいに真ん中のピンをめがけて力任せに投げたんじゃ、上手くならないはずだ……」

 原田さんも……。

「実は、投げるときはピンは見ていないんです」

 俺は言った。

「あ、それは聞いたことあるな……。あの矢印みたいなの見るんだろ? スパットだっけ?」

 大将が言った。やはり世代なのかな……。

「それをめがけて落とす、といった感じでしょうか。あとスタートの時の立ち位置にもメモリが打っていますから、どこからスタートして、どこに落とすかしか考えていません」

 俺は言った。

「そう考えると、機械的な動きが要求させるスポーツだな……。それを実行することは面白いのかな……」

 原田さんは言った。

「確かに、そう言われたらそうですが、自分のイメージ通りの軌道で綺麗にストライクが取れたら気持ち良いですよ。沢山でワイワイやるのとは違う楽しみ方ですね」

 俺は言った。

「それで兄ちゃんはハマったわけだ……」

 原田さんは俺に言った。

「実を言うと、信じられないってのがきっかけで……」

 俺は言った。

「何が信じられないんですか?」

 椎名が聞いた。

「俺がボーリングをしたのは、仕事しだしてからなんだよ。会社のイベントかなんかでボーリング大会があってね。その時が人生初」

 俺は言った。

「そりゃまた遅いデビューだな……」

 原田さんは言った。

「そりゃ、俺たちみたいなボーリング世代じゃないからだろ?」

 横田さんが原田さんに言った。

「で、会社にやたら上手い人がいて、その人が言った一言が……」


「……一言が?」

 全員注目……。

「ピン同士の感覚は、実はボールの直径より狭いそうです。ですから、ガターに落ちない限り、絶対に一本以上は倒れないとおかしいって……」

「なるほど……」

 誰とも無く、納得。

「ところが実際やってみると、全然スコアが延びない。それどころか狙えば狙うほどガターにボールは吸い込まれていったんですよね……」

 俺は言った。

「それが信じられない、と?」

 椎名が言った。

「そう、頭では全て理解しているつもりなのに、全然うまくいかないのが却って面白くなってきて……、その人に声をかけたら、いろいろ教えてくれたのでそのまま……」

 俺は言った。

「それが、どういうきっかけで行かなくなったんだ?」

 大将が聞いた。

「あ、単純にそのボーリング場がつぶれちゃって……、そのまま……」

 店中で『ふ~~ん』の合唱。

「何だか勿体ないですね……」

 椎名が言った。まわりも頷いている。

「そうでもないよ。しっかり一生分やったから、実は全然未練がなかったりする」

 俺は返した。

「そう言うものですか?」

「そう言うもの……だった様です」


「よし! 今の話を聞いて、一気に興味が出てきたな……。とりあえず、たーくん、一緒に行ってみるか?」

 横田さんが言った。

「わかった。また連絡くれ!」

 原田さんは答えた。

「俺が上手くなったら、椎名も誘って俺の勇姿を見せてやる!」

 横田さんは嬉しそうに言った。

「あれ? 直ぐには誘って頂けないんですか?」

 椎名が聞いた。

「横田さんは原田さんに気を使っているんだよ……」

 大将がそっと言った。幸い、原田さんは手帳をめくってスケジュールを確認している。


 今日も和やかに夜が更けていく……。


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