エドワード
「今日は暑かったよな……。まだ梅雨は明けてないと思うんだが」
原田さんは大将に言った。
「そうだよな。一日天気の悪い日もあれば、今日みたいな日もあって……。こういう時に体調を崩しがちなんだよな」
大将は言った。
「はい、どうぞ」
俺の前に置かれた小鉢には、山盛りの大根おろしにポン酢がかかっているものが。
「下に豚しゃぶ入っているから」
おもむろに箸を突っ込むと、確かに豚しゃぶが入っていた。
「豚は良いんだよ。体調管理の一品ってやつだ」
大将が言った。確かに豚肉にはビタミンが豊富に含まれていて、体に良いってのは聞いたことがある。大将が出してくれた豚しゃぶは、しっかりと冷やされており、蒸し暑い日でも食が進む。
「美味いですね……。元気出てきました」
俺がそう言った。
「今日は、私の友人が来るはずなんですよ」
椎名が言った。
「何だ? 椎名の彼氏か?」
原田さんが言った。
「どんな奴か俺が見定めてやる!」
横田さんもやる気満々だ。
「違いますよ! 大学の友人です。4月に留学で来た人です」
椎名が言った。
「何だ? 青い目の彼氏か!?」
原田さんが言った。
「益々どんな奴か見定めてやる!」
横田さんのモチベーションも全く衰えることなく、二人は椎名の言ったことをまともに理解しようともせず……。まあ、いつもの展開と言えばそうなんだけどね……。
「もう! 良いです! 言っても無駄でした!」
椎名はご立腹の様子……。
「どこからの人?」
俺は聞いた。
「アメリカです。ニューヨークの外れらしいです」
椎名は言った。
「へぇ、で、今日この店に来るの?」
俺は聞いた。
「ええ、日本の立ち飲みを体験したいって」
椎名は嬉しそうだ。
「困ったな……。俺、英語全然だ……」
大将が困った様子だ。
「あ、本人、日本語大丈夫ですよ。話すのはカタコトだけど、こちらの言ったとこはほぼ完璧に理解できるみたいです」
椎名は言った。まあ、それならこの店にいる全員が安心だろう……。
そんな話をしていると、玄関が開いた。来たのかな?
「こんばんは」
店には行ってきたのは月野さんだった。
「オー! ナイストゥーミーチュー!」
フライング気味に叫んだのは原田さん。
「どうしたんですか? 今日は熱烈歓迎ですね……」
月野さんはそう言って笑った。
「あはは、間違えた。てっきり椎名の友達のアメちゃんかと……」
原田さんは頭を掻きながら言った。アメちゃんってまた……。
「誰か友達が来るの?」
月野さんは椎名に聞いた。
「ええ、大学の友人です。留学生なんです」
椎名は答えた。
「水割りで良いかい?」
大将が月野さんに聞いた。
「ええ、お願いします」
それからしばらくいつもの和やかな時間が過ぎた。椎名の友人はなかなかやって来ない。
「遅いですね……。私連絡してみます」
椎名がそう言った瞬間、玄関が開く音がした。
「コンバンハ! イラッシャイ!」
そこに立っていたのはまさしくアメリカ人。しかも結構あちこち怪我をしている……。
入ってくるときの挨拶も微妙に間違っているし……。
「ええっ! エドワード! どうしたの!? 顔から血が出ているわよ!」
椎名が叫んだ。どうも、彼の名はエドワードらしい……。
「ズイブン探シタヨ。ヤットツイタ……」
エドワードは笑顔でそう言った。その後、椎名が何か言っている。英語だから良くわかんないけど。
しばらく二人は会話して、事情は飲み込めたようだ。横で月野さんが笑っている。何があった?
「尾田さん! 救急箱お借りしますね」
そう言って椎名は奥に引っ込んだ。
「何事だい?」
大将が聞くと、横から月野さんが話し始めた。
「ここに来るとき、道が分からなくなってタクシーに乗ったみたいね。で、降車の時にドアが自動で開いて、そのまま転んじゃったみたい」
あれ? 女性陣は全員英語堪能? なんとなく劣等感……。
「日本くらいじゃないかな、タクシーのドアが自動なのは」
月野さんは言った。そうなのか。自動が当たり前だと思っていたけど。と言いながらも、タクシーのドアって実は自動っていうより、運転手さんがレバーで操作しているんだよな……、確か。
エドワードは椎名にペタペタと絆創膏を貼られている。本人は至って元気で顔の傷も全然気にしている様子はないけど。
程なく椎名の治療処置も完了し、椎名は救急箱を棚にしまった。ちらりと中身が見えたけど、結構いろんな薬が入っていた。使うのか?
「改めて、紹介します。私の友人のエドワードです」
椎名が紹介した。
「コンバンワ、イラッシャイ! エドワードデス。皆サンヨロシクオ願イシマス」
うん、だからちょっとおかしいって。
「エドワード、『いらっしゃい』はお店の人が言うのよ」
月野さんが突っ込んだ。
「ソウナンデスカ? コノ前ノパーティーデハ、『イラッシャイ』ガ挨拶ダト聞イタヨ?」
エドワードはいらっしゃいの意味が分かっていない様だ。
「『いらっしゃい』は『ウエルカム』と同じだよ」
月野さんは言った。
「ナルホド、ソレデ完璧ニ理解デキマシタ。アリガトウゴザイマス」
エドワードは子どものような表情で微笑んだ。
「何飲む?」
大将が聞いた。
「焼酎ヲクダサイ。ポテト焼酎ヲ、ロックデ」
エドワードは答えた。
「椎名、芋焼酎のロックだ」
大将は椎名に指示した。椎名は棚から焼酎の瓶を下ろし、ロックを作り出した。
「はい」
椎名はエドワードの前にグラスを置いた。
「サンキュー、シイナ」
エドワードはグラスを持って、ちょっと持ち上げた。そして一口……。
「アアア、ウマイネ。スイートポテトノ香リガ素晴ラシイ!」
かなり喜んでいる。
「エドちゃん、焼酎の味が分かるのかい? いけるねぇ」
原田さんが言った。この人には人見知りという言葉はないんだよな……。まあそこが良いんだけど。
「エエ、日本ノオ酒デ、一番好キデス」
エドワードは本当に美味しそうに芋焼酎を飲んでいる。椎名はそんなエドワードを微笑みながら見ている。
「ソウダ! 酒ノ肴ヲクダサイ! 『サカナ』ナノニ『フィッシュ』デハナイノデスヨネ?」
エドワードは大将に言った。
「あはは、確かに。フィッシュの時もあるけどね」
大将は答えた。
「何でもいけるのかい?」
大将は椎名に聞いた。
「ええ、恐らく。タコとかイカとかは食べる習慣は無いかも……」
椎名は答えた。
「リクエストあるかい?」
大将はエドワードに聞いた。
「ソウデスネ……。ソノ『タコ』ト『イカ』ニチャレンジシテミタイデス。駄目ナラ、シイナ、オ願イ……」
エドワードはそう言って椎名を見た。椎名はニッコリ笑って頷いている。
「それじゃ、ちょっと待ってな。珍味を出してやろう」
大将は言った。
「チンミ?」
エドワードは椎名を見た。
「ん~ストレインジテイスト? 違うな……。何て言うんだろ……」
椎名が悩んでいる。
「デリカシーかな……」
月野さんが言った。デリカシーってあのデリカシー? 思いやりとかの? すぐさま椎名がスマホを取り出して調べる……。
「あ、確かにそう言う意味がありますね……」
知らなかった。
「Hey! edward! It is taste you've never eaten so far,but those delicious.(今まで食べたことがないけど、美味しいものだよ)」
月野さんは言った。
「ソレハ大変楽シミデス!」
エドワードは楽しそうだ。
まもなく、大将が二つの小鉢を出した。横から覗いてみると、イカの塩辛とタコわさだった。一つ一つ指を指して、『こっちがイカ、こっちがタコ』と説明している。エドワードはおそるおそる箸で摘んでしばらくあれこれ見回していたが、意を決したようにパクッと口に入れた。
暫くモグモグしてから、おもむろに焼酎を一口。そして一言。
「トテモ美味シイデス!」
エドワードは言った。
「本当に? 大丈夫?」
椎名は聞いた。
「本当ニ美味シイデス! 全部食ベマス!」
エドワードはお世辞じゃなく、気に入った様子だった。
「エドちゃん、いけるねぇ」
原田さんは言った。
「両方美味シイデスガ、コッチ、ツーントシマス」
タコわさを食べたエドワードが鼻を押さえている。だろうな……。
「今日、シイナノ店キテ、本当二ヨカッタ」
エドワードは言った。
「日本に来て、苦労はないかい?」
横田さんが話しかけた。
「ミンナ親切ニシテクレルカラ、トテモ楽シイヨ! 特二、シイナハアメリカニ連レテ帰リタイデス」
エドワードは明るくそう言った。
「それは困るな、椎名はここのみんなの大切な娘なんだ」
横田さんはちょっと本気モードだ。その空気を察してか、エドワードは言った。
「アハハ、今ノトコロ、ソウ思ッテイルノハ僕ダケネ」
椎名も笑っている。これはアメリカンジョークなのか? よく分からんが。
「サッキノ話デスガ、日本ニ来テ特ニ困ッテイルコトハアリマセンガ、日本語ガ難シイノハヨク思イマス」
エドワードは言った。
「例えば何だい?」
大将が聞いた。
「数学デ、歩合ヲ知リマシタ。アメリカデハ全テ『パーセント』デス」
「ふんふん……」
大将は頷いた。
「割、分、厘ヲ知リマシタ。分ハ0.01、ツマリハ一%ノコトデスヨネ?」
エドワードが言った。
「そうだよ」
大将が言った。
「ソレカラ知ッタ『腹八分目』……。タッタ八%ダケデ食事ヲ我慢シテタラ、死ンジャイマス……」
エドワードは言った。それを聞いてみんな笑った。
「アト『村八分』。変ナ意地悪ダト聞イタケド、九十二%も面倒見テモラエルナラ、幸セダト思イマス……」
またまた大爆笑……。そんなこと考えたこともなかったな……。
「エドワード、『十分』って言葉を知っている?」
月野さんが言った。そして、その意味をエドワードに説明している。しばらくして意味が分かったようだ……。
「ヨク分カリマシタ! アリガトウ! ツキノ!
実ハ七分ソデモ意外ニ長イとト思ッテイタネ」
エドワードは月野さんに言った。
「私は月野 光って言うの。よろしくね!」
月野さんは自己紹介した。
「OK! ヒカリ、デハ僕ト一緒ニアメリカニ帰リマショウ!」
「あら、嬉しい。ありがとう、エディ」
月野さんの大人らしい対応。アンド、あの笑顔……。暫くエドワードは月野さんに見とれてから、もう一度、言った。
「ヒカリ! マタ会イタイデス……」
あれぇ、これは月野さんの新しい展開かな……。