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気位と誇りの違い

 若い男は、ニヤニヤしながら椎名の正面に立った。身長はそこそこ高い。180センチ前後ってところか。髪は少し長めで、顔は所謂『イケメン』の部類に入るだろう。服装はラフな格好をしているが、やたら装飾品が多い。耳のピアスがブラブラ揺れているのが見ていると酔いそうだ……。前髪をかき上げる仕草が癖のようで、さっきからしきりにその仕草を繰り返す。邪魔なら切ればいいのに。

「ジンライムくれよ」

 男は言った。……あるのか?

「はい」

 無機質な返事をした椎名はウイスキーが入っている棚を開けて、中からジンを取り出した。

「ジンはこれしかないですけど、良いですか?」

 緑色の赤いエンブレムの付いたボトルをカウンターに置いて、椎名が男に確認する。

「ああ、OK! このクラスなら大丈夫でしょ」

 男は答えた。何だ? こいつ。このクラスって……。椎名は一瞬表情を曇らせたが、淡々とジンラムを作る。そして、男の前にグラスを置いた。

「どうぞ……」

 男は不思議そうな顔をして、ロックグラスを覗いている。そして、グラスを持ち上げ、一口。熱いお湯でも飲んだのかと思うようなリアクション! 慌ててグラスから唇を離した。そして引きつった笑い……。


 それを見ていた月野さんが言った。

「あ、『タンカレー』良いなぁ。椎名私も頂戴!」

 そう言って人差し指をたてた。

「あ、はい」

 ほんの少しだが、椎名の表情が明るくなった。その時男は言った。

「何だ? カレーがあるのか? オレ、腹減ってるんだよな。それ一つ出してよ」

 そう言って、男は何故か月野さんに向かって、ジンライムのグラスを軽く持ち上げた。


 月野さんはキョトントした表情で椎名を見る。椎名は俺を見る。俺はこの状況が直ぐに理解出来たので彼に言った。

「『タンカレー』は、そのジンのメーカー名ですよ」

 彼は目の前の瓶を見て、真っ赤になって言った。

「いや、それはわかっていますが、この店のメニューにカレーがあるのかなと思っただけです。無いんですか?」


「ここ居酒屋ですから……」

 椎名が呟いた。


「そうだったな。だからカクテルもいい加減なものを出すわけだ。高校の同級生じゃなきゃ怒っているところだよ!」

 彼はもう一度グラスを持ち上げて言った。いや、それ普通にジンライムだけど……。


「間違っていませんよ。ちゃんとジンライムをお出ししましたが……」

 椎名は言った。


「君の言うジンライムってどんなの?」

 月野さんが椎名からジンライムを受け取りながら聞いた。さっきのカレーの件で、笑いを堪えているのかちょっと肩が揺れている……。こらこら、火に油を注ぐんじゃないよ。


「どうって、細長いグラスに入っていて、炭酸が効いているやつじゃないんですか?」

 男は言った。どうやらジンフィズかジンリッキーと間違っているんだな……。

「それは、ジンライムじゃないよ……。炭酸入っているんならフィズかリッキーだよ」

 俺は、なるべく丁寧に言った。しかし、彼は明らかにムッとした表情に変わった。

「でも、確かに缶には『ジンライム』って書いていましたけど?」

 彼は言った。缶? 書いていた? 何だ? この勝ち気な物言い。正直俺もカチンときた。

「ひょっとして、缶入りカクテルのことを言っているの?」

 俺は言った。

「そうですよ! 確かに『ジンライム』って!」

 いや、別に責めている気は無いけど、彼からは責められているから自分の正当性を認めさせようと必死な雰囲気がありありと……。

 ってか、さっき『このクラス』云々言ってなかったっけ? 缶入りカクテルしか知らないのに、何であんな高飛車気取って……。あ、椎名の気持ちわかる気がする……。ちょい俺も合わないわ……。


「そうか、じゃあ缶入りが間違っているんだろうな。もしくは『ジンライム味』って意味かもしれないね」

 俺にとって最大限の譲歩だ。子供相手に熱くなるのも大人げないし……。

「じゃあ、オレが悪いわけじゃないじゃないか! 缶には本当にそう書いてあったんだよ! 大体そんな小さなこと、どうでも良いじゃないか!」

 あ、ダメだ……。切れそう……。最初にそのどうでも良いことで喧嘩ふっかけたのは誰だ? こいつ、我慢できんな……。とその時、


「小さなことでもキチンと理解しようと素直に耳を傾けた方が、誰から見ても魅力的に映ると思いますよ」

 月野さんが笑顔で言った。あのエンジェルスマイルで。


「……!」

 月野さんの言葉の説得力と笑顔の破壊力が合わさった最強コンボ技。若者は抵抗出来ない……。


「私、思い出した。湖仲こなか君って高校生の時からそうだった……。気位ばかり高くて……。周りの人に対して、毎回『あいつはレベルが低い』『オレは間違っていない』って……。高校時代の友達なんて、毎日強制的に同じ部屋に入れられているけど、その三年が過ぎたら確実に一人一人違う道を進んで行くんだよ? みんなまだ一人前になっていない子ども同士なんだよ? なのにそんな蹴落とし合いみたいな高校生活の過ごし方って、本当に勿体ないって思った」

 思っていたことを一気に爆発させるように椎名が言った。怒っているというより悲しそうな表情だ……。


 やがて、湖仲からあの必死だった目から力が抜け始めた……。

「何か……ゴメン。オレ、八つ当たりしてたかも。三十社に祈られちゃってさ……」


 あちゃぁ~、お祈り三十連発はキツいな……。椎名も気の毒そうな表情に変わる。


「祈られた?」

 小さな声で月野さんは俺に聞いた。

「社員採用試験不採用のことですよ。不採用通知書の最後に『貴殿のますますのご活躍、お祈り申し上げます』とかあるでしょ?」

 俺もできるだけ小さな声で言った。


「あ、そういうことか……。でも、あれじゃあねぇ……」

 月野さんは呆れ顔で呟いた。


 ガラリと玄関が開いた。入ってきたのは和久井さんだ。

「あ、いらっしゃい」

 椎名の爽やかな声が響く。和久井さんは玄関で一瞬止まって、店内を見回し、いつも通り一番奥に行ってテレビを見だした。椎名は何事もなかったように和久井さんの焼酎のお湯割りを作り始めた。


 和久井さんが店に入ってきたことで、俺たちも何となくさっきの話の続きはしづらくなって、しばらく無言が続いた。


「新顔さんは、誰かの友達かい?」

 テレビを見たまま和久井さんは言った。


「ええ、椎名の高校の時の同級生だそうです……」

 俺が返した。その言葉を聞いて、和久井さんは言った。

「椎名の友達なら一杯ご馳走しようかの……。おい、若いの、芋焼酎は好きか?」

 和久井さんは湖仲に声をかけた。

 半分もなくなっていないジンライムのグラスを持ったままの湖仲は言った。

「いや、あんま無いです……」


 それを効いた和久井さんは首を傾げた?

「あんま? ワシは肩こりが酷いんじゃが……」

「……それは……」

 椎名が訂正しようとすると、和久井さんは少し厳しい目で椎名を牽制した。椎名も和久井さんのその目を見て、そこで黙った。


「いや、『あんまり』無いって意味で……」

 湖仲が言った。


「ほお、面白い表現じゃな……。芋焼酎を飲んだことがあるかどうかで『あんまり』ってどのくらいなんじゃ? 一度くらいはあるということかな?」

 和久井さんは湖仲から決して目線を外さずそう言った。湖仲は小さく首を横に振った。


「なんじゃ、一度も無いのか。では、初心者にお勧めのやつがあるわい。椎名、棚の三段目、右から二つ目のやつを湯割りにしてやってくれ……」

 和久井さんはそう言って椎名に微笑みかけた。椎名は言われたとおり、棚から焼酎を取ってお湯割りを作り、湖仲の前に置いた。


「ども……」

 どうにもさっきまでの勢いがすっかりなくなった湖仲は、ようやくジンライムのグラスを置き、焼酎のお湯割りを一口飲んだ。


「ああ、美味い! これ、凄く美味いですね!」

 湖仲は、少し興奮気味に和久井さんに言った。

「それは良かったの……。初めて芋焼酎を飲むときは、これが良いんじゃ。今まで何度か飲んだことがあれば、好みを聞こうと思ったんじゃがな」

 和久井さんはそう言った。

「いや、初めてです。こんなに美味いものなんですね」

 湖仲は答えた。

「時に……」

 和久井さんはゆっくりと湖仲に体を向けて話し始めた。

「お主がさっき使った『あんま無い』は、経験がないことを隠したかったのかい?」

 いきなり結構つっこんだ質問をするな……。和久井さん。


「そんなつもりはないっていうか……口癖かも」

 湖仲は答えた。

「初対面なのに差し出がましいことを言うが、年寄りの言うことじゃ、聞いておきなさい。その言葉がお主の口癖ならもうやめなさい。経験や知識が無いことは恥ずかしいことではない。寧ろ、そのことを誤魔化す方が恥ずかしいと思いなさい。質問には正確に答えてもらわんと、お主には合わないものしか出てこんよ。さっきも危うくよろしくないものをご馳走してしまうところじゃったろ?」

 そう言うと、和久井さんは煙草をくわえ、火をつけた。

「…………」

 何も言わない湖仲。もう一口焼酎を飲んだ。そして何か決意を固めた表情に変わり、言った。

「……すみませんでした」


「ほう、素直に謝るとは、潔いのう……。それで良い。それが良い」

 和久井さんはそう言って微笑んだ。湖仲はじっと芋焼酎を見つめている。そして、残りの芋焼酎を一気にあおった。


「ああ、美味かった。小坂、オレ今日この店に来て良かったよ。何かいろいろ勉強になった! 一度自分自身をしっかりと見つめ直すことにするよ。お勘定してくれ」

 その表情は晴れ晴れとしたものだった。焼酎一杯でこの若者をさとす和久井さん、凄いな……。


「これ、勿体ないから……」

 椎名が出してきたのはロングタイプのグラスに入ったカクテル。

「……?」

 グラスを見て、椎名を見て首を傾げる湖仲。

「さっきのジンライム、ほとんど減っていなかったから、リッキーに作り替えました」


「ありがとう! 頂くよ」

 そう言って湖仲はジンリッキーを飲んだ。

「これこれ! このジュースみたいなこれだよ! オレが知っている『ジンライム』!」

 子どもみたいな表情ではしゃぐ湖仲。店に入ってきたときとは別人のようだ……。間もなく一気に飲み干して、勘定を払って出て行った。


「はぁ、皆さんがいて、助かっちゃいました……。ありがとうございます」

 椎名が言った。まあ、一番の功労者は和久井さんだけどな……。当の本人は、湖仲が店を出てからずっとテレビを見ているけど。


「それはそうと……」

 和久井さんが言った。

「ジンリッキーにライムは絞らんし、乗せんぞ」

 椎名が俺を見た。


「うん、リッキーはレモンもライムも絞らないでグラスの底に入れる。フィズはその逆、絞ってから上に載せる」

 俺は答えた。学生時代に読んだ雑誌に書いてあった気がする。『ここが違う!』って本だったかな。

「それとリッキーはミキシングと言って、リキュールと炭酸を混ぜるだけ。フィズはリキュールをシェイカーで降ってから炭酸で割るって感じ」

 俺の説明が終わると、椎名は自分のおでこに手を当てた。


「別に良いんじゃない。『椎名オリジナル』ってことで」

 月野さんが言った。

「良くないですよ! 全然オリジナルにしている理由がないのに……」

 椎名が笑った。相変わらず真面目な奴だ。


「次にこの店で、『ジンリッキー』が注文されるのは、いつなんだろうな……」

 俺は言った。大体この店でカクテルを注文する客を見たこと無いし、そもそもメニューに無い。


「それもそうだね」

 月野さんが言った。

「湖仲君がまた来たら……。次はキチンと作ろうっと」


「大丈夫じゃよ。次からあやつは芋焼酎を飲むだろうから……」

 和久井さんはニッコリ笑って言った。





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