椎名の同級生
「今日、昼間に高校時代のクラスメートに偶然出会いました……」
あまり浮かない表情で椎名が言った。
「どうした? 浮かない表情だな」
俺は聞いた。
「ええ、高校の時からちょっと苦手なタイプで……」
椎名と出会ってから二年以上経つが、椎名の口から『苦手な人』を聞くのは初めてかもしれない。そんなものがこの子に存在したのかと思ったが、そりゃ椎名も人間だし当たり前と言えば当たり前の話だ。
「喧嘩でもしたの?」
俺は物珍しさで聞いてみた。まあ、この件について言及されたくなかったら、わざわざ話題にも出してこないだろうし、多少掘り下げて聞いても問題ないだろう。
「いえ、高校時代にクラスが同じだったのですが、ほとんど話をしたことが無かったです。だから、そもそも喧嘩にまで発展しない感じで……」
「そうなのか、あれか? 女性がよく口にする『生理的に無理』ってやつ」
勿論俺はそんなことを言われたことはないが、友達に告白したときの返事としてこの言葉をもらってしまった奴がいたな……。『反省も改善もできない』ってかなり落ち込んでいたっけ……。あいつ、結構良い奴だったんだけどな……。その後無事に彼女出来たんだろうか……。高校卒業してから一度も出会ったことがないけど。
「いえ、彼が話をしているのを横で聞いただけなんですけど、その時の言葉遣いや態度がどうにも私とは合わないって言うか……。その会話も別に人を中傷するような内容だったり、反抗的な態度だったりといったことは無かったのですが」
椎名も自分がその友人が嫌いな理由がよく分かっていない様子だ。
「ま、俗に言う『馬が合わない』ってやつかな?」
俺は聞いた。
「ん~~いちいち逆らうみたいで気が重いのですが、そういう感じでもないんですよね……。私、生まれてこの方『馬が合わない』ということを体験したことがないと思うんです。彼の場合は、私の気が付かないところで何か原因があるんだと思うんですよね……」
椎名はその小さな顎をこれまた真っ白で小さな手で摘んでそう言った。
「まあ、本人と会わないと何ともアドバイスしようが無いな……」
俺は呟いた。ま、こんな他愛もない会話をしている理由は、単に店に客が俺しかいないことと、大将が町内会の集まりに一瞬だけ顔を出すと言って、椎名と二人きりってこと。そう言えば、あれから椎名の修行が続いていて、今じゃメニューにあるものなら大抵大将並に作れるようになったとのこと。大したもんだよ、椎名。
「それがですね……」
椎名が露骨に嫌そうな顔をして話し始めた。
「…………?」
「最近この近所を歩いていたみたいで、私、この店から出てゴミ出ししているのを目撃されたみたいなんですよ」
椎名は自分を抱きしめるような格好で言った。よほど苦手なんだな……
「はあ、うん」
俺は返した。何となくその先が読める気がする……。
「で、今日会ったときに、『お前がバイトしているんなら、行ってやってもいいぞ』って」
「…………!」
ちょっと言葉に詰まった。確かにエラい高飛車だな……。どこかの国の王様なのかな?
「でしょ? 自分を何様だと思っているのかしらってちょっと引いちゃいました」
椎名は自分自身を抱きしめていた両手を『お手上げ』のポーズに変えて言った。
「だな……、で?」
俺は聞いた。そんな奴、一気に撃墜モード突入だ! 頑張れ! 椎名!
「『常連のお客さんが集う店だから、お気遣いなく』って」
椎名は言った。今の台詞が言いたいことの半分も表現できていなかったもどかしさが本人の顔の表情から容易に見て取れた。
「まあ、その通りだしな……」
俺は答えた。
「そしたら、『まあ、あの店自体どう見てもそんな感じはするけど、俺もいろいろ見ておきたいって部分もあってさ』って」
「……何だ? 訳わからないな……何を見るんだ?」
「そこで何となくバカにされているような気分になって、わざと時計見て急いでいる振りして振り切ってきたんだけど……」
ハァ、と溜息をついて腕組みをする椎名。椎名の溜息の訳をそこで察した。
「あ、そいつが、ここに来るかもしれないのね?」
俺は言った。椎名は静かに俺を指さした。あ、ビンゴなのね。
「そう、私は我慢すれば良いけど、尾田さんや店の常連さんに失礼なことを言わないかなぁって……」
椎名がとても心配そうな顔で言った。
「あはは、言っても大丈夫じゃない? ここの常連、手強いから」
俺は笑って返した。
「ところが、この店の強力打線の常連さん、町内の集まりで今日は誰も来ていないでしょ?」
椎名は言った。
「なるほど、俺じゃ役に立てないものな……」
俺は頭を掻きながら言った。
「そんなこと言っていませんよ! 寧ろ一番頼りにしているっていうか……」
椎名が赤くなって反論。いや、お前、絶対に俺は戦力外だと思っているだろ? いっそ傷ついてやろうか! って脅しになっていないか……。
二人でそんな話をしていた時、がらりと玄関が開いた。まさか!? 奴か?
まだ一度も会ったことの無い人間にこれだけ警戒感を持ったのは生まれて初めてだ。予想に反して、玄関に立っていたのは月野さんだった。
月野さんは先日雨の日に立ち寄って以来、週末には時々現れる。和久井さんに会いに来ているのかと思ったら、単純にこの店が気に入ったとのこと。特に椎名とは年が近いこともあって気が合うらしく、仲良くガールズトークに花を咲かせているらしい。
「あ、光さん! いらっしゃい!」
飼い主を見つけた犬のようなキラキラした目で挨拶をする椎名。
「チャオ! 椎名」
月野さんも挨拶。『チャオ』って挨拶する素人の日本人はこの人が初めてだ。
椎名は早速ウイスキーのボトルを取り出し、水割りを作り始めた。
「今日、尾田さんは?」
月野さんは椎名に聞いた。
「町内会の集まりに顔を出すって言って出たきり……。もう一時間以上経ちますね」
ちょっとあきれた様子で言う椎名。
「まあ、椎名がそれだけしっかりしているって思われているんだよ」
月野さんがフォロー。
「椎名も飲みなよ」
月野さんが声をかける。
「ああ、飲みたいけど、尾田さんが帰ってくるまでは辛抱します。何があるかわからないので」
椎名が口惜しそうに言った。
「何があるって言うの? 常連さんは町内の集まりでしょ?」
不思議そうな月野さん。椎名はさっきの話をもう一度月野さんに説明した。
「やだねぇ……。尾田さんが帰るまで、表の看板ひっくり返しておこうか?」
月野さんはそう言って笑った。相変わらずこの人の笑顔は無敵の可愛らしさだ。
「それは、良い考えかもしれませんね。ここの常連さんなら看板の表裏関係なしに入って来られますものね……」
椎名は笑った。ちょっと悪い顔をしている。この椎名の悪い顔も結構俺にはポイントが高い。今日は両手に花だな。二人の美女に囲まれて、酒の美味いことと言ったら……。
「そう言われたら、元からここの看板って殆ど役目を果たしていない気がするな……。俺も最初は椎名に連れてきてもらったから、それ以後看板なんてどっち向いているか見たこと無かったし……」
俺は呟いた。
「あはは、私はちゃんと見たよ。勿論あの雨だったから、軒先にはお世話になるつもりだったけど……」
月野さんは笑った。この人、いつも思うけど、笑うと本当に可愛い少女みたいな顔になるんだよな……。
「そう言われてみると、そもそも今日、看板をどっちにしたか覚えていない……。ちょっと確認してきます」
そう言って、椎名は玄関を出た。
「月野さんが来てくれて、助かりましたよ。椎名ちょっと元気無かったので……」
俺は言った。
「何言っているんですか。ここは椎名の期待に応えてあげないと!」
月野さんはそう言って、またあの愛くるしい笑顔で俺に言った。
「それほど頼りになる対象だとは思われていないようです……。残念ながら」
俺はそう言って笑った。正直、椎名が俺を頼ってくるのであれば、そりゃ受け入れるつもりはしているけどね。
そんな話をしていると、椎名が入ってきた。表情がやや沈んでいるように見える……。椎名は店の中に入っても玄関の扉を閉めようとせず、そのままカウンターの中に戻った。
玄関からは、一人の若い男が入ってきた。……来ちゃったのね。