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月野さん

「結構降っていますね……」

 椎名が言った。外から激しい雨音が聞こえる。今外に出たら、傘なんて役に立たなさそうな勢いだ。

「一昨日から梅雨入りしたってさ」

 俺は返す。

「こんな日は、客足もパッタリだなぁ。案外一見さんが飛び込んできたりして」

 大将が言った。

「尾田さんの希望的観測ですね……」

 椎名は笑う……


 店の奥では和久井さんがテレビを見ながら焼酎を飲んでいる。農作業に使う様な黒い長靴を履いている。完全防備だ。テレビではスポーツニュースをやっている。興味があるのかないのか和久井さんは煙草をプカプカふかしながら見入っている……。


 ガラリと玄関が開き、一気に雨音が大きくなった。店の玄関に立っていたのは、ずぶ濡れの若い女性だった。女性の閉じた小さな傘からは大量の水滴が滴り、それを店内に持ち込まないよう玄関で傘を丸めていた。


「いらっしゃい!」

 大将は『ほらね?』と俺に目で合図をした。

 女性はハンドバッグからタオル地のハンカチを出して顔や頭を拭いていた。結構横殴りの雨だったようで、女性の長い髪からは水がしたたっていた。


「これ使ってください」

 椎名はそう言って棚からタオルを取り出し、女性に手渡した。この間の抽選会の備品だろうか、畳んだタオルの端に商店街のネームが入っている。

「あ、済みません……。ありがとうございます」

 女性がタオルを受け取ると、椎名は壁からハンガーを一つ外し、声をかけた。

「上着、お預かりしますね」

「あ、済みません……」

 そう言うと、女性は羽織っていた薄手のコートを脱いで、ハンガーを持って待機している椎名に手渡した。コートはずぶ濡れだったが、レインコートの役割を果たしたようで、女性の洋服は雨の被害には遭っていない様子だった。

 女性は椎名からタオルを受け取ると、念入りに髪を拭きだした。椎名は椎名で、新しいタオルでコートを拭きだした。


「あ、そんな……、大丈夫です」

 女性は恐縮しているが、椎名はニッコリ笑ってコートを拭く。本当によく気がつくやつだと感心。ただ、コートは撥水性が強い生地だったらしく、あっという間に拭き終えた。

「良いですね、このコート。レインコートの代わりになりますね……。柄も可愛いし……」

 椎名は言った。

「いえいえ、実は安物で……」

 女性は答えた。その後、何やら椎名とガールズトーク的な会話を続けていた。


 確かに女性の来ていたのは、普段レインコートと言われて連想するようなものではなく、白基調に淡い色合いの上品な柄が入っており、普通にお洒落なサマーコートだ。女性は恐縮しながらも、髪を拭いている……。

 髪は黒髪、コートを着ていたのでさっきは気が付かなかったが、結構な長さだ。後ろの一番長い部分は、背中の真ん中まで届きそうな勢いだ。

 顔立ちは雨のせいで、ほとんど化粧をしていないようなスッピン状態だが、目鼻立ちのスッキリとした所謂美人タイプ。椎名の様に目がぱっちりしているわけではないが、切れ長な目は少し色っぽい。年は二十代半ばから後半だろうか。やけに落ち着いた雰囲気を醸し出している。

身長は並んだ椎名と殆ど変わらない。今の二人並ぶ光景は、美女二人の絶景だ。椎名同様色が白く、コートの下に来ていた白のブラウスが眩しい。紺色の清楚なタイトスカートからスラリと足が伸びていて、非常にスタイルも良い。

大将には失礼な言い方だが、ふらりと立ち飲み屋に訪れるようなイメージはない。


 程なく落ち着いたようで、タオルを畳む女性。椎名が受け取ろうとしたが、女性はタオルを渡そうとはしなかった。


「いえいえ、このタオルは洗ってお返ししますから……」

 女性が言った。少し癖のある色っぽい声が、見た目通りと言えば見た目通りだ……。

「いいですよぉ……。いっぱい洗濯物ある内の一枚ですから」

 椎名の明るく爽やかな声は、良い意味で両極にある感じだ。

「そうですか……」

 椎名とのやりとりの末、最後は半ば強引にタオルを引き取った。


「さて、何しましょう? 雨宿りだけってことなら、お茶くらいは出しますけど」

 大将は笑いながら言った。


「そんな……。水割りは……」

 女性は店の壁に貼られているメニューを目で追いかけながら言いかけた。


「ありますよ。水割りですね?」

 大将は酒瓶が並ぶ棚とは違い、カウンター後ろの食器棚の下の引き出しを開けて、ウイスキーを取り出した。


「この店、洋酒あったんですね?」

 俺は、思わず聞いた。俺は週末にしかこないが、今まで洋酒を飲んでいる人を見たことがない。と言ってもいつも同じメンバーなので、何とも元になる情報の分母は極めて小さいのであるが……。


「え? 普通にあるよ。最近じゃ『ハイボール』が流行っているから、結構出るんだよ。置いているウイスキーの種類は限られているけどね」

 水割りを作りながら大将は言った。


「ハイ、どうぞ」

 大将が作った水割りを椎名が女性の前に置く。

「あ、ありがとうございます」

 そう言って女性は一口飲んで、ハァと溜息をついた。


「外、凄いですね。仕事の帰りですか?」

 椎名が聞いた。

「ええ、そんなところです。ちゃんとした傘を会社に忘れちゃって……。会社出た時に気付いたのですが、その時はそれほどでもなかったので、折り畳みで大丈夫かなって……」

 女性はそう言って苦笑い。

「で、思わずこの店に飛び込んだ、と?」

 大将が笑っている。

「何処かで食事して帰るつもりでした。この先に商店街があるので、その辺でお店が見つかるかな、と思って歩いていたのですが、雨が一気に強くなって……。ここに辿り着いたのも何かの運命ですね」

 そう言って、女性はニコリと微笑んだ。

「…………!」

 和久井さんを除く店の三人は同じ衝撃を受けた……と思う。この女性、笑うと目尻が下がり口角が跳ね上がって真っ白な八重歯がチラリと見え、いきなり愛らしい表情になる。その破壊力や椎名と同等かそれ以上かも……。

「え? どうかしましたか?」

 女性はまた涼やかで色っぽい表情に戻って俺達に聞く。いや、でもどう答えたら良いものか……。

「お客さん、笑顔になると凄く印象が変わるなぁって……」

 椎名が言った。うんうん、エライ。優秀な代弁者だよ、椎名くん。グッジョブ!

「あはは、時々言われます。八重歯のせいか、幼く見えるのでしょうね」

 女性は言った。


「何か食べますか? この店だと立ち食いになっちゃうけど……」

 大将は笑って聞いた。

「あ、お願いします。実はお腹ペコペコで……」

 そう言って、女性は壁に貼られたメニューを目で追い出した。端から端まで見た後、その目線は俺の手元に着陸。


「それ? 何ですか?」

 彼女は俺に聞いて、メニューを指さした。

「あ、恐らくメニューには書いていないんじゃないかな。メニューの名前は俺も知らない。いつも、大将に任せているので……」

 俺は返した。

改めて目の前の小鉢を見ると、ますます説明できない。

そうめんつゆの中にそうめんが入っていて、トッピングに焼いた薄揚げを刻んだものと蒸鶏の照り焼き風のものと、茎わかめが入っている。

極めて和風でミニチュアな冷たいラーメン風のものだ……。

あ、最初真ん中にうずら卵の黄身が真ん中に乗っていたな……。

 すると、彼女は大将に聞いた。

「あれ、なんて料理ですか?」


「あはは、俺もわかんない。気に入ったなら作ろうか?」

 大将は聞いた。

「ええ、是非!」

 彼女は答えた。


「――まだ帰れそうにないかの?」

 和久井さんが小窓から外を眺めていた椎名に聞いた。

「ええ、まだ結構激しく降っていますね……」

 椎名が答えた。


「和久井さん?」

 彼女が言った。すると和久井さんは彼女の声に気が付いたようで、彼女を見て、少し驚いたような表情を一瞬浮かべた後、ニッコリ笑ってベレー帽をちょいと上げて挨拶した。

「ああ、覚えていて頂けたんですね。ひかりです」

「覚えとるよ、月野つきの ひかりさんじゃな? 立派なお嬢さんになったのう……」

「感激です! こんなところでお会いできるなんて……」

 何だ? 二人は知り合い? どこに接点があったんだろ……。


月野さんはやや興奮した様子で、和久井さんに話しかけた。

「お久しぶりです! お元気でしたか?」

 月野さんの言葉に、優しく微笑んだ和久井さん……。

「見ての通りじゃよ。相変わらずさ」

「やはりこのお店に立ち寄ったのは運命だったんですね!」

「大袈裟じゃよ……」


 こんなやりとりを繰り返しているうちに、大将が月野さんの前に小鉢を置いた。

「お待ちどうさま」


 大将が置いた小鉢を見て、月野さんの表情が更に明るい笑顔になった。

……もはや、天使の微笑み。大将も作った甲斐があっただろうな……。

「頂きます!」

 そう言って、月野さんは小鉢の麺をすすりだした。

「嗚呼……。美味しい……」


「和久井さんと、お知り合いだったんですね?」

 椎名は和久井さんに言った。

「もしかして、彼女さんですか? 私がいるのに」

 椎名はそう言って笑った。俺たちも笑った。

「ああ、元カノじゃな」

 意外にも和久井さんの口からは肯定の発言。嘘だろ? そのとき、横にいた月野さんも一旦箸を置いて言った。

「元カレです」

 月野さんはそう言ってにっこり笑った。一体?




「なあんだ、そう言うことでしたか……」

 椎名が笑った。ついでに店中に和やかな笑い声が広がる。

「ええ、ホンの三週間だけでしたけれどね」

 月野さんが笑う。愛らしい子どもの表情だ……。


「私、お祖父ちゃんっ子だったので、入院で三週間も離ればなれになるなんて、生まれて初めてだったんですよ。もう泣き叫んで大変だったようです……」

 月野さんは言った。


「それで、お祖父さんと友人だった和久井さんが代役として……」

 大将が言った。


「ところが、私もその辺頑固だったようで、『お祖父ちゃんはお祖父ちゃん一人だ!』って頑張ったみたいで……。面倒な子だったんですね、私」

 月野さんはちょっと恥ずかしそうに言った。


「で、『彼氏』ってことに……?」

 と俺。

「……ええ、『お祖父ちゃんがイヤなら、彼氏だな?』って」


「それにしてもそんな小さいときのことで、よく一目で和久井さんってわかりましたね?」

 椎名が聞いた。


「あはは、初めてのカレの顔は忘れませんよ。と言ってもお祖父ちゃんの退院の時、病院の前でみんなで撮った写真が仏壇に飾ってあって、和久井さんとは毎日お会いしていましたから。いきさつについては、もうちょっと後になってから母から教えてもらいました。『あなたの彼氏よ』って」


 ……なるほど、そう言うことだったのか。納得。


「ああ、美味しかった……。水割りをもう一杯頂けますか?」

 月野さんはそうめんを平らげて、大将に水割りグラスを差し出した。


「はいよ! 濃さ、さっきくらいで良いかい?」

「ええ、丁度良かったです」


 大将は水割りを作り出した。

「ワシももう一杯もらおうかの……」

 和久井さんが言った。


「はい。同じので良いかい?」

 大将が言った。

「いや、光ちゃんと同じ水割りをくれ」

 和久井さんは答えた。


「あ、じゃあ、その一杯は私にご馳走させてさい」

 月野さんが言った。

「ほほう……、これはありがとう」

 和久井さんはそう言って微笑んだ。


「お祖父ちゃんが好きだったんですよ。『ウイスキー』いつも本当に美味しそうに飲んでいるのを見て育ったせいでしょうね。私もいつもウイスキーなんですよ」

 懐かしそうに言う月野さん。


「月ちゃんは貿易商で働いていたから舶来モノの洋酒が手に入る機会が多かったんじゃよ。まあ、洋酒好きが高じて貿易商の会社に入ったって話もあったがな……」

 和久井さんはそう言って笑った。


「いえ、否定しませんよ。と言うより正解ですよ。お祖父ちゃん、そう言っていましたから」

 月野さんも笑った。


「俺も何となく水割り飲みたくなってきたな……」

 思わず呟いた。カウンターの中では、椎名も自分を指さして、ちょっとだけ手を挙げている。

「大将、椎名と俺の分もお願いします」

「あいよ! じゃ、俺も一杯飲もうかな……」

 そう言って、大将は水割りを作った。カウンターにはずらりと並ぶ水割り。この店でこんな光景初めて見た。全部で六つ……?


「あれ? 尾田さん。一つ多くないですか?」

 椎名が言った。

「これだけ話題になっているんだ。彼女のお祖父さんも多分一緒に飲みたいかなって思ってさ」

 一人一人に水割りを配り、最後の一つは俺と月野さんの間に置いた。丁度月野さんが和久井さんとお祖父さんに挟まれる格好だ……。


「ありがとうございます……」

 少し目が潤む月野さん。その時、和久井さんもベレー帽の前をちょっと下げてたけど、見なかったことにしよう……。



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