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和やかな時間

「さて、週末だ」

 仕事を終えた俺の行き先は決まっている。

もう何年になるだろうか。カウンターだけの小さな立ち飲み処。

 外観は、いつからやっているのかわからないほど随分古びてはいるが、開店当初は恐らく『ハイカラ』な店だったのだろうと思う。

 今では逆にそれがレトロな感じになっている。

 俺は、ここで、一週間の気持ちを一旦リセットして帰宅するのが習慣になっている。


 店に入るとカウンターの中に大将とバイトの女の子が。

バイトの女の子は洗い物をしている。

店の端、上部の簡易棚の小さなテレビからは、音楽が流れている。もう野球は終わったようだ。


「あ、いらっしゃい」

 大将は言った。

「今日はもうみんな帰っちゃった」

 バイトの女の子は少しほっとした表情で言った。


 確かに店には誰もいない。とは言っても七人も入れば満員状態の店なのではあるが。


「最終回に富士波ふじなみが満塁ホームラン打たれちゃってさぁ……」

 大将は絶望的な表情を浮かべた。

 ここまで聞くと、大体のことが想像できる。


 俺は野球に興味は無いが、ここの常連は地元ということもあって、熱狂的なジャガーズファンが多い。

 面白いのは、ジャガーズファンの常連は、ジャガーズの勝敗に関わらず選手や監督に悪態の限りを叩く。

まるで、自分が監督や選手になれば、確実に優勝するかの如く。


 まあ、これがジャガーズファンの正しい楽しみ方なのかもしれないと最近理解するようになってきた。

注意が必要なのは、俺のようなプロ野球全般に疎い存在が、下手に意見したりすると、怒濤の反撃を受ける。彼らの主張に関しては、やや肯定的な態度で受け流しておくのが無難だ。


 話を戻すと、察するに、ジャガーズが負けて、常連が怒り狂ってさっさと帰ってふて寝決め込んだってわけね……。


「大将、赤下さい」

俺は函館ビールの赤生を注文した。

「あいよ! おい、椎名しいな! 赤生だ」

大将はバイトの女の子に言った。

バイトの女の子の名前は小坂こさか 椎名しいな。生物学を勉強している二四歳の大学院生だ。

若いのに、愛想が良く気配りができるのでここの常連のおっさん連中のアイドル的存在だ。

 椎名は俺がこの店に来るようになったきっかけでもある。


「はい、どうぞ」

瓶ビールとコップを出してくれたその手は、小さく白い手だ。

椎名は所謂いわゆる美人タイプだ。

しかし、さっきも言った通り気取ったところが微塵もなく、誰にでも優しく笑顔で接することができる。


 見た目、明るいブラウンの髪は地毛のようだ。そのきれいな髪が背中まで伸びている。フワフワのウエーブがかかり、とても華やかな印象を与える。目鼻立ちがはっきりしていて、ちょっとハーフっぽい。背はそれほど高くないが、低くもない。体型は中肉中背よりやや細めか。とにかく色が白い。服装はいつもシンプルなデニムのボトムとプリントシャツのことが多い。店では、その上からハッピみたいなのを羽織っている。大将曰く、怪我防止とエプロン代わりだそうだ。  焼鳥屋のハッピが物によって防燃素材&防油素材でできていると聞いて、驚いた。


 この店には、常連の嫁さんや近所のおばちゃんも来たりするが、口を揃えて『私の若い頃にそっくりだ!』と主張する。

 まあ、店中で何とも言えない苦笑いで充満するのだけれど……。

 ただ、椎名だけは、そんな時にもにこやかに『そんな……』と恐縮する。心得ているな。こいつ。


 程なく大将が小皿を出した。この店には『突き出し』という制度はない。単純に俺があれこれ考えて注文するのが面倒なので、いつも大将が勝手に酒の肴を出してくる。

 今日はささみの湯引き梅肉和えが出てきた。こいつは大好物だ。最高にビールに合う。まあ、日本酒でも完璧だろうけど。


 洗い物が済んで、店が一段落した様子の時、大将はテレビのチャンネルを変えた。

 お笑い芸人のトーク番組のようだ。それを見ていた大将がポツリと言った。


 「『カモシカのような足』で何が悪いのだ?」

 

 この大将のつぶやきのきっかけは、テレビに映っているフリップの人間の足がカモシカになっているイラストだ。

 よく指摘される日本語の揚げ足を取る類のものだ。

「風呂が沸いた」とか、あの手の……。


 俺は言った。

「確かに『猿みたいな顔だな』って普通に通じる。『猿の顔みたいな顔だな』って言わないね」

 よくよく探せば猿の手のひらの様な顔をした人もいるかもしれない。

 しかし、その時はそう言えば良いわけで、通常顔が似ているときに説明を入れる必要はない。


 すると、椎名が言った。

 「大体、『カモシカのような足ですね』って、殆ど慣用句として使われているのだから、今更それを蒸し返して細かい指摘したところで何の意味も無いような気がしますね」


 大将はニッコリ笑って、力強く頷いた。


 「それにしても、『猿みたいな顔だ』って人に言うと、基本的には悪口みたいになるけど、そういうことじゃなくって本当にその動物に似ている人っているのだよな。造形がその動物とダブるというか、その人の顔をみる度にその動物を思い出すっていうか……、ああ、この人、絶対に前世はヤギだったのだろうな、とか。」

 俺は言った。

すると、ちょっと怒った表情で、人差し指を立てた椎名が言った。

「だからってその人にそんなこと口に出したりしちゃダメですよ」


 ああ、勿論口には出さないけど……。

「悪口になっちゃうものね……」

 大将は言った。


「でも、私、『ウサギに似ている』ってたまに言われるけど、それほど嫌な気分でもないのよね」

 椎名はさっき立てた人差し指を今度は腕組みしながら顎に当てて言った。


「そりゃ、世間様が『ウサギ=可愛い』公認している感じだからじゃないのか? 暗黙の了解で」

 大将は言った。まあ、その通りだろうね。


「じゃあ、その暗黙の了解ってどこで線引きされているのかしら。『ウサギに似ているね』って言われた人が実はめちゃくちゃウサギに対して嫌悪感を持っていた場合、『ウサギを選択するあたり、褒めようと思っているのね』と解釈するのか、『私の大嫌いなウサギだと? 許せん!』と激高するのか……。はたまた世間の多数決みたいな感じで、良いイメージを獲得した動物には、寛容な態度で対応するのがルールになっているのかって感じですよね?」

 椎名が面倒くさい定義を聞いてきた。


「椎名は気にならないのだよね? ウサギは好き?」

 俺は聞いた。

「ン、どうだろ……。小学校の時に、学校で買っていたウサギにたまに餌をあげたりしたことあるけど、それ以外ウサギとの接点ないからなぁ……」

 腕組したまま、人差し指もそのまま顎に当てたまま、今度は天井を眺めながらそう言った。


「俺が小学生の時、クラスで『ケロちゃん』って呼ばれていた子がいたよ。確かにカエルに似た子だったけど、本人高校生になってもそう呼ばれていた気がするな……」

 大将は何かを思い出したように言った。


「え~~~っ、カエルは微妙だなぁ、私の場合は。私、カエル自体が苦手ってのもあるけど……」

 椎名は言った。

「確かに、好き嫌いの大きく分かれるカエルの場合は微妙だな……。でも、基本目が離れている人ってカエルに似ているって言われる傾向があるよな」

 俺は言った。


「あと『ヒラメ』ね」

 大将が続けた。

「決して『カレイ』と言われないところが不思議だね。方向だけの違いなのに……」

 俺は言った。

 

 椎名が何かに気づいた様子で話し始めた。

「よく考えたら、ヒラメとかカレイって、動物全般から考えても目は非常に寄っていると思うのだけど……」


「本当だな、気付かなかった……」

 大将は目からうろこが落ちたような表情で言った。


「『ヒラメ』を『平目』ではなくって勝手に『広目』って脳内変換して解釈しているような気がするな」

 手の平に書いて俺は仮説を唱えてみた。


「「なるほどねぇ~」」

 二人は何となく納得した様子だ。


「しかし、話は戻るがね……。ワシの世代はスーパーカーブームだったのだが、カエルとポ○シェカレラって似ていると思うのだが……」

 大将は言った。

「じゃ、カエルに似ている人へは、安全策として、『カレラに似ているね』はどうですかね? ちょっとお洒落っぽいし……」

 笑いながら椎名が言った。

「いや、『彼ら』と解釈されて『どなた?』となりかねん。ここは却下だ」

 俺も笑いながら返す。


「ところで、カエルってなんでカエルなのだろ……」

 椎名が言った。


「何か聞いたことがあるな……。諸説あるのだけど……。俺が一番しっくりきたのは、暑い時期に天を見つめることで、雨を降らせるとか思われていて、『天候を変える』から来ていたような……」

 俺は言った。

「そうなのですか! ちょっと感動してしまいました」

 ちょっとうっとりした様子で椎名は言った。

「お前さん、生物学の院生じゃなかったっけ?」

 ちょっと皮肉交じりに大将が言う。

「名前の由来なんて授業はありませんよ!」

 椎名は怒ったポーズで言った。

 さっきもそうだったが、椎名の怒った表情は、やたら迫力がなくって可愛い。黙っていると少し冷たいイメージなので、そのギャップも手伝う。だから、大将や俺だけでなく、ここに来る常連たちもその表情見たさにわざと不謹慎なことを発言したりする。ま、オヤジにありがちと言われたらそれまでだけど……。


「じゃ、人間からは、まあまあ崇高な存在だったのかなぁ。あれ、結構旨いのだよ! だろ?」

 大将が俺を見てそう言った。

「『だろ?』って言われても……」

 食べたことがない俺が、返答に困っていると、大将は俺の目の前にある小皿に目を移した。


「えっ!? ひょっとして……」

 俺も目の前の小皿を凝視した。確かにささみだったと思ったのだけど……。


「きゃあっ!」

 椎名が叫んだ。


「私、さっき尾田さんに言われて味見しちゃったわよ! これ、カエルなの?」

 ちょっと涙目になって椎名が言う。『尾田さん』は大将のことだ。

「ああ、うまかっただろ。 『田んぼのささみ』って言われているのだから……」

 大将は自慢そうに笑う。


 俺と椎名はしばし呆然……。


「『食用カエル』とかって自分がそう言う名前だって知ったら嫌な気分だろうな……」

 椎名がポツリと呟いた。

「ああ、それを言うなら、『うまづらはぎ』とかもね……」

 俺も思わず呟いた。


「『うまづら』って何ですか?」

 椎名から予想外の質問。確かに最近使わないけど……。

「面長な人に使う悪口かな」

 俺は返した。

「じゃあ、うまづらはぎは、悪口を言われているだけだからまだましですね。食用ガエルは、命かかっているのですよ!」

 椎名は主張した。

「いやいや、大体、『はぎ』って名前自体、元々『かわはぎ』で、皮がペロッと剥ぐ《はぐ》ことができるから『はぎ』だし、その上外見的な欠点をついて『うまづら』がついてくるのだよ。」


「なるほど、命かかっている上に悪口まで言われているってわけか……」

 大将は笑ってそう言った。


「でも、私が『うまづら』って言われても、それほど悪く言われている気がしないな。今日意味を知ったからかもしれないけど……」

 椎名は言った。


「まあ、あれだろ。人間より馬の方が下等動物だという認識があるから成立する悪口だよな。『馬鹿にしやがって』って言葉もあるくらいだし……」

 俺はまた、手の平に『馬鹿』の文字を書いて説明した。


「それなら、私の得意ジャンルで解釈すると、魚が馬に例えられるのは、寧ろ昇格していることになると思いますが?」

 椎名は言った。


「なるほど、その観点から言えば、『牛カエル』とかは、確実に昇格しているな。

 大将が続けた。

「『イボいのしし』はああいう骨格を人間のイボになぞらえているとすれば、やや昇格? 『象アザラシ』……。微妙だな。どっちだ? 昇格? 降格? さっきのヒラメ。『舌平目』っているけど、この舌が何の舌かで昇格か降格かが決まるな……」


 こうやって、今日も和やかに「立ち呑み処 そう」の夜は更けていく……。

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