第八話 教科書
マキの現代での生活が始まった まずは言葉の習得である
仁は教科書を四日で作り上げた
結衣はこれまでは小学校で放課後友達と遊び、帰ってからは祖父母のいる母屋に顔を出した後は新居の自分の部屋で宿題をしたりゲームをしたりして両親の帰りを待っていた。しかしマキが来て結衣の生活は一変した。授業が終わると一目散に母屋に向かい、マキが美和子に言葉を教わっている傍らで宿題をしたり本を読んだりした。結衣とマキは時々顔をあげては目を見合わせて笑った。
仁が四日ぶりに龍口家に来た。結衣が学校から戻り母屋に直行すると、座敷でマキが仁と美和に挟まれて机に向かって座り、何かを教えてもらっている最中だった。美和子が顔をあげた。
「結衣、おかえり。おやつ食べる?マキちゃんの勉強もちょうどいい区切りだし」
「もっちろーん!」
結衣が答えると、マキが仁と一瞬顔を見合わせ声をかけてきた。
「結衣ちゃん、おかえりなさい」
「マキちゃん、ただいま!うれっしぃー!」
マキから初めて帰宅の挨拶をされてうれしくて、結衣はマキに駆け寄り祖母とマキの間に割り込んで座った。
「お茶と羊羹にしましょう」
美和子が笑いながら立ち上がった。
マキの前には教科書のようなものが広げてあった。縦書きの仮名文字が余白を持ってやや大きめのフォントで記されていた。
「叔母様、これ教科書なの?」
「そうよ、マキちゃんが今の言葉をつかえるように勉強する教科書よ」
「えっ、そんなピッタリの教科書って本当にあるの?」
「私が作ったの」
結衣は仁と教科書を交互に見た。結衣が小さいころから仁叔母は颯爽としていたが、マキが龍口家に来た日にマキの言葉と現代の言葉を同時通訳する姿に驚いた。加えて、わずか四日で特別な教科書である。
「結衣の分もあるよ」
仁は傍らのトートバッグからもう一冊取り出した。
「ありがとう。でもわたし、平安時代の子じゃないし……」
「これはね、今の子が平安時代の子の言葉が話せるよう勉強する教科書、結衣にピッタリでしょ」
「すごい!これもあわせて四日で作っちゃたの?」
美和子がいい香りのするお茶と羊羹をお盆に載せて運んできた。
「叔母様はすごいでしょ。でも、おばあちゃんもお手伝いしたのよ」
「なんで、こんなすごい教科書がすぐにできちゃったの?」
結衣が美和子を手伝い羊羹を配りながら尋ねると仁が答えてくれた。
「もともと高校生向けに、昔の言葉を楽しく学べる教材を作ってたの。それを結衣用に小学生バージョンに直したのよ。今、結衣が手にしているそれ」
「おばあちゃんは、内容が小学生向けにちょうど良くなるよう一緒に考えたの」
美和子が皆にお茶を注ぎながらちょっと自慢した。
「でも、マキちゃんの分はまったく準備できていなかったんでしょ?」
「そう、でもそこは今の技術を使うことが早くできたの。結衣ちゃんはAIって知ってる?」
今度は仁が自慢そうに尋ねてきた。
「パソコンに関係する言葉かな……いろんなところで聞くことがあるけど、何なのかわからない。それに叔母様は国文学の先生なんでしょ?パソコンなんて使うの?」
「使うわよ」
仁が軽く笑った。
「そうか、国文学の先生とAIとはまだ結びつかないか……。結衣、AIはね私にとっては助手……物凄く物知りで仕事が早い『執事』みたいなものなの。執事はわかる?」
「漫画で出てくるよ」
「AIはお茶を入れたり、お使いに行ったりはしないけど、すごい量の文章を翻訳したり、内容をまとめたりするのは得意なの。それでね、後輩でAIに詳しい言語学研究所の人に頼んで、『今の小学生』用を『平安時代の子』用にAIを使って変換したのがマキちゃんの分ね。二時間もかからずできちゃった。もっとも、修正には半日かかったけどね」
結衣は早速教科書を開いてパラパラめくった。すぐに「ともだち」という言葉を見つけ、昔の言葉では「友」だとわかった。めくっていくと「ありがとう」は「ありがたう」、「おいしい」は「うまし」で、今の言葉に近い感じがした。ところが「好き」は「なつかし」となっていて「えっ、なつかしいって??」と思ったが、「友達はなつかしい」と考えるならなんとなくわかる気になった。
マキは、仁と結衣が教科書の話をしていることは分かったが、ついていけないので自分の教科書を丁寧に見ていた。ところが、結衣が自分の教科書を開いて口の中でつぶやきながらマキの言葉を練習しているのに気づいた。マキはお昼に教科書を受け取ってからすぐに仁に頼んで教わった言葉を口の中で何度か練習して、思い切って結衣に話しかけた。
「ゆいちゃん、ともだちになってくれて、ありがとう」
結衣が目を丸くして、次は満面の笑顔になってマキに抱きついてきた。
「ともーっ、なつかし、ありがたう」
マキが現代で生活できるよう龍口家では対応が始まった
マキに相応しい現代での名前は……




