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第七話 生贄の少女(二)

父母亡くしたマキは、不作の年、生贄になる覚悟を決めた

村への義理そして弟のためでもあった


白装束を着て生贄の洞に向かった

「父が亡くなった年の夏、母は亡くなりました。水汲みに川に下っていく途中、倒れたようです。私と弟は死に目に会えませんでした。母の亡骸にすがって泣きました。和尚様と村の方々が葬式を出してくれました」


「私と弟はお寺の世話になることになりました。和尚様と村の方々のおかげで、私と弟は冬を越すことができました。ただ弟はいつも泣いて私から離れようとしなくなりました」


 結衣は自分の目と鼻の中が熱くなるのを感じた。


「私が十になった年は長雨の年になりました。卯月のころから日は差さず雨が降る日が続きました。前年も不作でしたので、この天気が続けば飢饉になるのは明らかでした」


「信濃の皆様は龍神様をとても大切にし、恐れていました。龍神様は天候をつかさどり、穏やかな時は恵みの雨をもたらせてくれるのですが、お怒りの時には長雨が続けたり嵐を起こしたりされるそうです。天候だけではなく恐ろしい力を持っており、仁和の昔には北八ヶ岳の洞に住んでいた龍神様がお怒りになり地震を起こし山を崩して、たくさんの村と田畑を湖に沈めたとのことです」


「いつもの年であれば龍神様には雉や山鳥を贄とし、鹿を供える年もあるそうです。しかし激しい怒りを解くためには人の子を贄として差し出すしかないとされていました」


「皐月の中頃の夕暮れ、私と弟がお世話になっていた里の長が主だった方とともにお寺を訪ねてこられ、和尚様と相談されていました。近隣の里の方々が何度も話し合い、人の子を贄とし、龍神様にお助けいただくしかないとのことが決まったそうです。相談は夜遅くまで続きました」


「私は寝たふりをして話を聞いていました。七年前には北の里が、さらにその前には南の里が贄を出したそうで、今回は、この里が出す番なのだが、誰の子を差し出すか……里の方々の声はとぎれとぎれで、何も決まらずにその日は終わりました。」


 結衣は秋の湯多神社の祭りの光景を思い出した。祭りでは三宝に載せられた鮒が供物になっていた。さらに木桶に砂を入れ、その砂に男の子たちが蛙や蜥蜴をつるした小枝を差して供えていた。あれが贄で特別な贄として自分のような子どもが差し出されると気づくと鳥肌が立ってきた。


「和尚様と里の方々の話は翌日も、その翌日も続きました。贄の儀式の日は新月の二日前に定められており、その日が迫っていました。しかし、どの方も辛く、どの家の子を贄に出すべきかを言い出す方はおられませんでした。私はずっと隠れて話を聞いて考えていました」


「贄を出した家は村の人たちに感謝され神に連なったとして大切にされます。しかし村の子供たちはみな大切な子で贄に差し出すことなど考えられません。私はお寺で手伝いをしていましたので村の子どもたちみんなをよく知っていました」


「私は自分が贄となるのが一番いいのではないか、そうするしかないのではないかと思い至りました。私たちは死にかけていたところを村の方々に助けられ、畑まで与えていただきました。父母が亡くなった時には葬式を出していただきました。そののち、私と弟を食べさせていただきました。私は、これらの恩には報いることができていません」


「私が贄になると弟が残されます。弟にはつらいことでしょうが村の方々が弟を大事にしてくれます。もし今年が不作に終わっても、弟が一人なら私と一緒にいるよりたくさん食べることができるでしょう」


「話し合いの五日目の夜、私は願い出て話し合いに加わりました。そして贄になる覚悟を述べました。和尚様は驚き、何度も首を振って『それはならない、それはならない』とおっしゃいました。村の方々は顔を伏せて涙を落としておられました」


 結衣は涙と鼻水が溢れ出したのを止めることができなくなった。仁はマキの言葉を訳し終わると口を一文字に結びマキを見つめ次の言葉を待っていた。祖父は目を閉じ腕組みし、祖母は口を手で押さえ目を伏せ、父は膝を両手でつかみ顔は天井を仰いでいた。母は小さく嗚咽し結衣の肩を抱いていた。マキの語りは続いた。


「私が贄に決まった後は昔からの決まりごとに従い、準備が進み始めました。和尚様は都から信濃に向かうときに師から賜った白麻の反物を出してくれました。村の女房方がそれを白装束と白帯に仕立ててくれました。私は弟に自分は龍神様の許に使いに行くことになったので、これからは和尚様の導きに従い勉学と修行に励むよう言い聞かせました。弟はそのうち私が使いから戻ると思っているようでした」


「贄に立つ日の三日前から私は白い米粥を朝晩いただきました。贄に立つ日の朝、小雨が降る中、私は村はずれの川で体を清め、白装束を着て、髪を整えました。贄になる者はひとつだけ自分のものを龍神の許まで持参できることになっています。私は母の篠笛を持参することにしました」


「私は川べりから輿に載せられ、村を一戸一戸めぐりました。幸い雨はしだいに止んできました。村の人たちは頭をたれ手を合わせてくれました。村を回り終えると輿は湖のほとりにある船着き場に向かいます。先ほど自動車で通ってきた田んぼのあたりには昔は龍神様が造られた湖がありました」


「私は村の方々と和尚様と一緒に湖の対岸に渡りました。そこからは再び輿に乗って龍神様が贄を喰らうとされている洞穴に向かいました。洞穴につくと私は中に入りました。入口が閉ざされた後、私は念仏を唱えていましたが、いつしか眠ってしまいました。ところが突然、地面が揺れ、穴の中が光で満たされ、激しい音が鳴り響きました。このあたりから、私は何が起きているのかわからなくなりました」


「その後、急に静かになり洞穴の入口が開いたので外に出てみるとすべてが変わっていました。私は洞穴に戻ろうとしましたが気が遠くなりました。気が付くと病院で手当てを受けていました。あとは皆さまご存じのとおりです」


 長いマキの話が終わった。開け放った廊下の外から初夏の乾いた風が座敷に流れ込んでいた。大人たちは皆、口を結び、目を伏せ涙をこらえているようだった。


 結衣は自分の肩を抱く母の手に力がこもっていることを感じていた、と同時に、白装束の子には肩を抱いてくれる母がいないことに、父も母も失い、弟を残し、たった一人、生贄になってここにたどり着いたことに気が付いた。自分だったらと考えた瞬間、結衣にはマキが味わった辛く恐ろしかった気持ちの塊が突然見えた。結衣は母の手をほどき立ち上がり、大声で泣きながらマキに駆け寄り抱きしめ語りかけた。

「辛かったね、怖かったね、マキちゃんはすごい。でも、もう一人にしない。私がずっと一緒にいる、一生の友達になるよ」


 マキは結衣が涙を流しながら話を聞いてくれていることに気づいていた。結衣が泣きながら駆け寄って抱きしめられた時、まず、びっくりした。しかし、仁が二人の肩を抱き、結衣の言葉を説明してくれた時、自分を心から受け入れてくれる人がいる、この家に来てよかったとの思いが湧きあがり涙が溢れてきた。


 マキが龍口家で迎えられた日、皆での夕食の後、マキは結衣と一緒に風呂に入り、体や髪の洗い方を教わり、下着やパジャマの着方を教わった。マキは全身をお湯で洗うことや寝るときには寝るための服に着替えることは初めてだった。


 夜、マキは仁と一緒の部屋で休んだ。結衣も両親と仁にせがみ一緒に休むことになった。マキは初めて畳の上に敷かれた布団に横になった。とてつもなく気持ちよかった。隣で横になった結衣が手をつないできて「オヤスミ」といって微笑み目を閉じた。


 あまりにたくさんのことがあり疲れていたが、マキはすぐには眠れなかった。気づいた仁がマキの肩をゆっくりそっと叩きながら優しく声をかけてきた。


「マキ……贄として立たねばならぬ世が、どれほど過酷なものであったか、我はよう知っております。けれど、そのさだめを、幼きながら背負い抜かれた。その御強さに、私は深く頭を垂れます。その役目は、もう終わったのです。よく、ここまで生きて来られました。これからは、恐れずともよいのです。ここは、汝を受け入れる世。安らかに、心やすくお過ごしなされませ」


 仁の言葉にマキはまた涙がにじんできた。浅間山が噴火する前、勢多での楽しく美しかった日々にマキを可愛がってくれた祖母の面影が仁に重なった。マキは仁の手の温かみを感じ眠りに落ちていった。


マキの話が終わった

結衣は駆け寄ってマキを抱きしめた

「私がずっと一緒にいる、一生の友達になるよ」

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