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第七十話 結衣と真貴

六月十日、結衣が京都から帰って来た

真貴の帰還まであと二日である

 六月はじめから、真貴は昼の時間は総合病院の義弘の個室に出かけ、義弘の傍らで仁や礼司から教わったことを復習していた。龍口家の自室で、一人、勉強していたが落ち着かず、義弘と最後の時間をできるだけ一緒に過ごしたかったので、まどろむ義弘の傍らで復習を行ってみたところ、心が安らいだ。


 時折、看護師が来て、点滴を付け替えたり、着替えを行ったり、ベッドを整えたり、清拭(せいしき、看護師が患者の体を拭くケア)を行ったりするが、真貴はそれを手伝った。看護師の多くは真貴が総合病院の看護科の学生であることを承知していたので、真貴の助力を、快く受け入れた。


 昌平は美和子や圭とともに、ほぼ毎日、義弘を見舞った。義弘が寝ているときは静かに寝顔を見守り、起きているときには負担にならない程度の会話をして過ごした。病院に来ているときも、昌平は時折スマートフォンで潜龍窟前の観測機材から送られるデータを確認した。データには何ら特異な変化は見られず、静かに時間が過ぎていた。


 六月十日の昼過ぎ、真貴は義弘の病室の窓から湯多神社のある森の方を眺めていた。少し雲は多かったが、山々の樹々は青々と茂り、田んぼには伸び始めた稲の緑が広がっていた。


 静かなノックが聞こえ、真貴が入口を振り返ると結衣が入って来た。悲しみを抑えながら、何とか笑顔を作ろうとしているのが分かった。

「真貴ちゃん……わがとも……おじいちゃんは、眠っているの?」

「はい。今日は眠っている時間が長いです。おそらく、痛み止めのお薬が効いているのだと思います」

「おじいちゃん、すごいよね。がんと闘いながら、とうとう、ここまで生き抜いて」

「すごいです。おじい様がずっと私を育み導いてくださいました。このご恩に報いることは、とてもできません」

「真貴ちゃん、おじいちゃんは真貴ちゃんとの十年間を『奇跡の日々』って言ってたってお父さんから聞いたよ。おじいちゃんは真貴ちゃんが賢く、強く、やさしく育っていったことをすごく喜んでる。私が保証する」

「結衣ちゃん、ありがとう」


 背後からわずかに音が聞こえ、二人が振り返ると、義弘が目を覚ましていた。

「結衣か?」

「結衣だよ。真貴ちゃんも一緒だよ」

 結衣と真貴はベッドの横に行って義弘の手を握った。結衣はベッドの傍らの台の上に、自分たちが先日写真館で撮った写真が置かれているのに気付いた。

「結衣と真貴、二人が一緒にいるところを見ることができて嬉しいよ」

 義弘は優しく微笑んだ。


 その晩、結衣を迎えての夕食になった。結衣と昌平は四年ぶりの対面となったが、穏やかに近況を語り合うだけで、義弘の話も、真貴の話もすることなく、静かに夕食が終わった。入浴を済ませ、居間で皆がくつろぎ、もうすぐ就寝という時間になって、真貴は結衣に声をかけた。

「結衣ちゃん、明日の朝、早起きして、納屋の前の庭に来てくれませんか?見ていただきたいものがあります」

「わかった。何時くらいがいいの?」

「五時半くらいにお願いします」

「真貴ちゃんは、ほんとに早起きなんだから。もちろん行くわ」

「ありがとうございます」


 翌日、六月十一日、朝五時半に結衣が納屋の前の庭に行くと、すでに真貴が来ていた。真貴は剣道着を着て、巻藁を基台に載せていた。

「真貴ちゃん、おはよう」

「結衣ちゃん、朝早くから、ありがとう」

「剣道の型稽古をするの?」

「いえ、違います。型稽古の仕上げです。真剣でこの巻藁を切ります」

「えっ!真剣!」

「はい。おじい様にいただきました。黄金の太刀です」


 真貴は傍の台の上に置いていた漆黒の拵えの太刀を手に取った。

「おじい様に扱い方を教えていただき、修練していました。おじい様に見ていただきたかったのですが、それは叶わないので、結衣ちゃんに見ていただきたいです。あとでおじい様に伝えてください」

 結衣が言葉を失ってうなずくと、真貴が太刀を鞘から抜いた。初夏の朝の光の中に黄金の刀身が現れた。


 真貴は中段に構え、いったん目を閉じた。何十回となく反芻した義弘の一連の動作を再度、頭の中で再生した。

 真貴は目を開けた。目前の巻藁に神経を集中させて気合を発した。

「キェーッ!」

 気合とともに踏み込み、左手の片手突きで巻藁の最上部を突いた。次の瞬間には太刀を引き、右に踏み出しながら剣先を左から右に旋回させて、巻藁の上端部を切り飛ばした。次は左に踏み込み刀を切り返して袈裟懸けに中央上部から斜めに切り下げ、最後は再び右に踏み込みながら、ほぼ水平に逆胴の動作で巻藁を薙ぎ払った。


 結衣は目の前で真貴が行ったことが現実とは思えなかった。真貴は台の上に置いていた晒を取り、刀身を丁寧に拭って鞘に収めた。

「はじめて、イメージ通りにできました。結衣ちゃん、おじい様に見たとおりに伝えてください」

 結衣はただただ大きくうなずいた。


 夕方、仁と礼司が一緒にやって来た。美和子が出迎えた。

「よくお出でくださいました」

 先に玄関に入って来た仁が答えた。

「今日は来ないとねえ」

 礼司が荷物を持って後から入って来た。

「病院に行ってきたよ。兄貴と少しだけど話ができた」

「それは良かったです」


 仁は出迎えに出た真貴をいきなり抱きしめた。

「真貴、龍神の巫女よ。何も仰せられずとも、よろしうはべります。御身は我らにとりて、かけがへなき人。いと安らけく御つとめ果たされんことを、心より願ひ奉ります」

「叔母様……」

「さあ、晩ごはんだね。美味しくいただきましょう」


 圭の指示で昌平と結衣が座敷にお膳を運んでいた。昌平が礼司に尋ねた。

「叔父さん、ビールでいいですか?」

「おお、ありがとう。義人はどうした?」

 圭が答えた。

「町役場を今から出ると、さっき連絡がありました」

「そうか。昌平、もうちょっと待とう」


 まもなく義人も戻り、久々に龍口家の面々がそろっての夕食となった。メインメニューは鯉の羹だった。圭がメニューの説明をした。

「真貴にね、十一日の夕食に何か食べたいものはないって尋ねたら、『初めて龍口家で食べたもの』とのリクエストでしたので、このメニューです」

 仁が真貴と結衣を見ながら感慨深げに言った。

「あのとき十歳だった二人を、まだ昨日のことのように思い出すよ。ほんとうに十年なんてあっという間だった気がする」

 美和子が続けた。

「義弘さんが言ってました。まさに龍神様がくれた時間でしたね」


 夕食は穏やかな雰囲気のまま終わった。


 食事が終わった後、礼司が昌平に確認した。

「明日は、お前と私で真貴を潜龍窟に送る。時間は皆既日食の二時間前でいいんだな」

「はい。その予定です」

「潜龍窟を見てきたと聞いたが、異常はなかったか?」

「まったくありません。実は観測機材を設置してきて、ずっとデータを取り続けているんですが、兆候らしきものはまったくないんです」

「そうか……結衣はどうする?」

「本人が希望すれば連れて行きましょう」

「そうだな……」


 二十二時。真貴は自室でシンガポールの知佳からの電話を受けた。

「真貴、明日だね」

「はい。お姉さま、長い間、ありがとうございました」

「長い間じゃない。短かった。もっともっと真貴と剣道をやりたかったよ……気をつけてね」

「お姉さま……」

「真貴は、私の妹で一番弟子だからね」


 電話を終え、寝る準備をしているとノックの音がした。ドアを開けると、結衣が枕と毛布を持って立っていた。

「真貴ちゃん、一緒に寝ていい?」

「はい。嬉しいです」


 二人は寄り添って布団に入った。

「真貴ちゃん、覚えてる?初めて会った時のこと」

「もちろんです。決して忘れません。あのとき、私の悲しみと辛さを、結衣ちゃんとは初めて会ったのに、一瞬で分かってくれました」

「私は真貴ちゃんの強さ、健気さに圧倒されちゃったんだ。今でもそうだよ」

「結衣ちゃん、私は正直に言うと、生贄には立ちたくありませんでした。でも、あの時、村への恩義を考え、弟の今後を考えると、立たざるを得ないと感じました」

「真貴ちゃん……」

「しかし今は違います。私は弟と村を救うために立ち向かいたいのです」

「……」

「父も母も亡くし、弟とも別れた私を、龍口家の皆が待っていてくれました。そして、私が失くしたもの、手に入れることができなかったもの、すべてを、それ以上のものを、私に注いでくれました。私は、この力で、龍神様の呼びかけに応えることができると信じています」

 二人とも、相手が涙ぐんでいることに気付いていた。

「真貴ちゃん……」

「結衣ちゃん……」

 二人はそっと抱き合い、ゆっくり眠りに落ちていった。


明日、真貴は千年前に戻る

真貴と結衣は抱き合い眠った

★★★★筆者より★★★★

この物語は、もうすぐ終わりを迎えます

読んでくださった方々に感謝申し上げます

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