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第六十九話 昌平の準備

昌平がアメリカから帰国した

彼は真貴の帰還、タイムスリップの発生に備える

 カリフォルニア工科大学で四年にわたり地震発光の研究を続けてきた龍口昌平は五月の第三週に帰国した。帰国の目的の一つは日本地球惑星科学連合年次大会において基調講演者として招待されたからである。

 昌平が大学に入ってすぐに着手した地震発光と本震、余震の関係、さらには可視光に留まらない各種電磁波放出とそのメカニズムについての研究は、米国が先行する宇宙空間からの地球観察と結びつくことで、極めて高く評価されるようになっていた。


 もうひとつの目的はプライベートなものである。昌平を可愛がってくれた祖父義弘が病床にあり余命が迫っていた。昌平は祖父と話ができるうちに会いたかった。

 そして、祖父の指示で始めたタイムスリップの研究で、自分が導き出した仮説が検証される場面に立ち会うことが、家族以外の誰にも言えない大きな目的だった。


 ロサンゼルス、ウェストチェスターから成田までのフライトは約十二時間かかる。時差ボケをできるだけ減らすために、昌平は前日の睡眠時間を短くし、離陸後すぐに眠り、その後は学会資料をチェックしたり、なかなか読めないでいた論文を読むなどして過ごした。


 ロサンゼルスを午前早く発った便は、午後三時近くに成田に着いた。成田エクスプレスと新幹線を乗り継ぎ、佐間の最寄り駅に降りたときには十八時頃になっていた。駅には父親である義人が迎えに来ていた。

 義人が車のリアゲートを開けながら言った。

「おかえり、荷物が多いな」

 昌平はトランクと背負っていたリュックを詰め込みながら答えた。

「ただいま。さすがに四年ぶりの日本だからね。それと観測機材が入っている」

「そうか」

 二人は車で龍口家に向かい出発した。

「おじいちゃんの具合はどう?」

「薬の影響もあって眠っている時間が多くなった。次第に食べるのが辛くなってね、一昨日から点滴で栄養補給を始めたとのことだ」

「お話はできそう?」

「それは、まだ大丈夫だ」

「よかった」


 龍口家では昌平の帰宅を待って、母屋で夕食の準備を整えていた。圭は昌平のリクエストに応えてメニューは“むしり”をメインに、白ご飯に合うおかずが並べた。

 当主の義弘、二人の娘、知佳と結衣を欠いて、どこか寂しい感じはあったが美和子と圭は温かい笑顔で、昌平を迎えた。

 義人が昌平に尋ねた。

「飲み物はビールでいいか?」

「はい。久しぶりの“むしり”をビールで楽しみたいと思ってたよ」

 圭を手伝っていた真貴がビールとグラスをお盆に載せて運んできた。真貴と昌平が会うのはほぼ四年ぶりだった。真貴は少しはにかんで小さく礼をしてビールとグラスを配膳した。昌平は成長した真貴の姿に驚いた。

「真貴……久しぶりだね」

「お兄さま、お久しぶりです」


 夕食が始まった。はじめは昌平の米国での暮らしや真貴の流鏑馬の話で盛り上がった。六月十二日の話は誰もしようとはしなかった。やがて話は明日からの昌平の予定に移った。

「明日、おじいちゃんをお見舞いに行くのだろう?」

「ええ、午前中に行きます。その後は、そのまま東京に行って大学です」

「忙しいな」

「はい、大学の元の指導教官と共同研究の打ち合わせがあり、明後日からの学会では基調講演者として話すので準備が必要です。さらにディスカッションのパネリストにも指名されているので……結構やることが多いです」

「東京での宿はホテルか?」

「いいえ、大学近くのウィークリーマンションに泊まります。かなり割安ですから」

「その後は?」

「六月五日にはこちらに戻ります。事前の調査や少し準備しておきたいこともあるんで」

「わかった」


 翌朝、昌平は母親の圭の運転する車で病院を訪ねた。

 病室に入ると、義弘は目を閉じて眠っているようだった。点滴が行われており、傍らにはバイタルモニターが設置され、いくつかの数字と測定波形が表示されていた。

 昌平は椅子に座りしばらく祖父の顔を見てから、毛布の下の手を、自分の手でそっと握った。義弘の目が開いた。

「昌平か?」

「そうだよ、昌平だよ。アメリカから帰って来たよ」

「ありがとう、よく来てくれた」

「なかなか来れなくて、ごめんね」

「何を言ってる。お前の研究には多くの人の命がかかってる。精一杯やるんだ」

「うん……龍の置物と、お守りがあるね」

「ああ、知佳と結衣が持ってきてくれた。これの力を借りてるよ」

「僕も何か用意しておけばよかった」

「お前には、お前にしかできない仕事を頼んでいる。真貴の助けになってやってくれ」

「もちろん。任せておいて」

「頼んだぞ」

 義弘は、再びゆっくり目を閉じた。

 しばらく、祖父の顔を見てから昌平は立ち上がった。

「じゃあ、母さん、駅までお願いします」


 五月の最後の週に入った。真貴は看護学校に六月からの休学を申請した。そして部屋と持ち物の整理を始めた。衣服や学用品、教科書や参考書類をどうしようかと圭に相談したところ「そのままにしておきなさい」と言われた。圭が言うには、もしかしたらタイムスリップは起きないかもしれない、起きたとしても、また帰ってくるかもしれないでしょ、とのことだった。横で美和子もうなずいていたので、真貴は圭の指示に従うことにした。


 洞に入る時に着る衣服は、美和子の提案で流鏑馬の際に身につけたものになった。持ち物は母の形見の篠笛と今の世に来た時に着ていた白装束を懐に入れて、義弘から渡された太刀を持つことにした。


 皆が必要以外に六月十二日のことを話さないでいてくれることが、真貴にはありがたく、そして胸が痛かった。理性では、タイムスリップは起きないかもしれない、起きたとしてもとんでもない場所や時代に飛ばされ命が尽きるかもしれないと思いつつも、自分はとうとう、あの残酷で厳しい、しかし懐かしい村に戻るんだという期待も膨らみつつあった。


 六月に入った。

 真貴は護身術の講習を受けた大阪の三河から郵便で封書を受け取った。中には三河からの「一緒に講習を受けた入江さんが望月さんに届けてほしいと送って来ました」と書かれたメモと、入江からの近況を知らせる手紙と数枚の写真が入っていた。写真はウズベキスタンの大平原で馬に乗っている場面、子どもと遊んでいる場面、食事をしている場面などがあった。形式的なものを除けば、真貴が生まれて初めて受け取った私信だった。

 真貴は少し悩んで返事を書いた。手紙をもらえて嬉しかったこと、近いうちに自分も旅立つことになるかもしれないと綴った。この手紙を書きながら、真貴は新たに思いついたことがあった。真貴はもう一通、手紙を書くことにした。


 六月五日。昌平が東京から戻って来た。

 夕食の後、昌平は自室で荷物を解いて観測用機材を取り出した。十年前、離れた場所にあった地震計や交通監視カメラ映像、さらには人工衛星による観測データからは湯多神社で強力な地震発光とごく浅い震度での地震が観測されていた。昌平の用意した観測機材は、これらの現象を詳細に記録するため、小型の地震計と広帯域電磁波測定記録装置、さらにはビデオカメラをコンパクトにまとめ、屋外でも電池駆動で十日間は機能するように作られたものだった。


 昌平はデータ通信用のSIMを装填し、電池に充電しながら装置を起動した。三分間ほどのセルフチェックを終え、装置は起動した。ノートパソコンにつないで通信系や時刻の初期設定を行い、ネット経由でスマートフォンにつなぎ、アプリの操作画面を出した。カメラを選択すると部屋の片隅が画面に映った。いくつかの操作を確認してアプリを閉じた。


 六月六日。昌平は朝食の後、野外用の服に着替え、高校生の時に使っていたリュックを出して、観測機材を入れた。さらに納屋に行って、玄翁と鉄杭、さらには丈夫なロープとカッターを収めた。


 昌平は車で湯多神社に向かった。雨の心配はなさそうだったが、空気が湿っぽく重かった。参道の入口付近に車を停めて、杉木立ちの中を徒歩で参道を登り、そのまま神社の裏手に回って潜龍窟の前に出た。潜龍窟の入口は石積みでしっかり塞がれていた。


 昌平はリュックを降ろして周囲の様子を確かめた。十年前に来た時と何も変わっていないように思えた。スマートフォンを取り出して、少し歩きまわり電波状態が良く、潜龍窟の入口が臨め、しかもしっかりした地盤の場所を探した。最終的には入口がやや斜めに臨める七メートルほど離れた草むらに場所を決めた。やや大きめの石をいくつか拾ってきて、鉄杭と玄翁で地面を掘り起こし、石を半ば埋めて基礎を作り、観測機材を置いて起動した。


 スマートフォン画面で確認すると入口付近の全貌を画面に納めることができたので、玄翁を取り出し、石の周囲に鉄杭を打ち込んで、ロープを使って機材を固定した。そのうえで、スマートフォン画面を三軸加速度センサーモードに切り替え周囲を歩き回ったり地面を叩いたりして、データが想定範囲にあることを確認した。設置が完了したところで、アプリを操作して、データ送信をリアルモードから十分毎の送信に切り替えた。


 最後にいくつかの確認作業を終えて、昌平は車に戻った。車を少し走らせて川を渡ったところで土手の道に入り、車を停めた。予想していた通り、この場所からであれば、湯多神社の位置するあたりが木立以外の障害物なしに見通せることが分かった。


 昌平は昼の少し前に、龍口家に帰り着いた。美和子と真貴が昼食の用意をしていた。台所に入ると美和子が声をかけてきた。

「ごくろうさま、準備は終わったの?お昼ごはんにできる?」

「はい、終わりました。この後、何度か確認しますが、神社まで行くことはないと思います。お昼ごはん、ありがとうございます」

 昌平が手を洗いに行っている間に、真貴が配膳を整え、昼食になった。三人は特に話すこともなく、黙々と食べ終えた。


 食後のお茶を飲み始めてから昌平は真貴に話しかけた。

「真貴、少しいいかな?」

「はい。何でしょうか?」

「さっき、神社に行ってきたんだけど、その時、感じたこと、考えたことを話しておきたい」

「わかりました」

「正直に言うと、仮説を立てておきながらの話だけど、地球物理学者の龍口昌平はタイムスリップが起こるとは考えていない」

「……」

「しかし、この地で少年時代を過ごした龍口家の息子は、今朝から一人で湯多神社の裏手で二時間ほど過ごすうちに『きっと何かが起こる』という奇妙な予感を感じている。なんというか――あそこには時が閉じ込められている感じがするんだ」

「お兄さま、私も湯多神社に一人で行った時には、不思議な感覚にとらわれます」

「なんだろうな、この言いようのない感覚は」

「なんでしょうね……」

 昌平は立ち上がり、縁側に出て湯多神社の方に視線を向けた。真貴は昌平の背越しに神社の方を見やった。先ほどまで立ち込めていた雲が一部晴れて、神社のあたりが明るく照らされていた。


昌平は言う「きっと何かが起こる」

それは真貴も感じている

★★★★筆者より★★★★

この物語は、もうすぐ終わりを迎えます

読んでくださった方々に感謝申し上げます

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