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第六話 生贄の少女(一)

マキは身の上を語り始めた

学校から帰った結衣はマキの話に聞き入った

 食事が終わり、義人が膳を片付けていると、圭が今度は温かい飲み物を運んできた。圭がマキに尋ねた。

「食事の後のお茶です。マキちゃん、お茶は飲んだことはあるかな?」

 マキに代わって仁が答えた。

「お茶が広く飲まれるようになったのは江戸時代だから飲んだことはないよ。マキちゃん試してみる?」

 マキはおそるおそる口にすると温かくさっぱりした味わいと香りが、口の中に残っていた鯉の匂いを消していくのが分かった。マキはお茶が大好きになった。


 皆が落ち着いたところで義弘が慎重に話しかけてきた。

「マキちゃん、気持ちは落ち着いた?よかったら、マキちゃんのことをお話ししてくれるかな?みんなマキちゃんのことを知りたいんだ。ただ無理をしなくてもいいからね」

 マキは仁の訳を聞いて、しばらく考えてから話し始めた。


「わかりました。お話ししたいと思います。どこから何を話したらいいのかわからないので、父母のことからお話しさせていただきます。私の父は望月五郎秀隆、母はウネ、加納幸宗の娘です。望月氏は信濃の滋野氏の一族で、当家は寛平の御代に国府を守る武者のお役目をいただき信濃から上野こうずけに移りましたが、天慶の乱の際に将門様の軍に敗れ、勢多に逃れたと伝え聞いています。勢多に落ち着いたのち望月家は代々小さな村の長を務めていました」


 仁が年号と地名を確認して訳をはじめた。皆がうなずいたのを見てマキが続けた。

「私が七つになった天仁の夏に、浅間権現様が火を噴き上げ、灰が降り注ぎました」

 今度は義弘が手を挙げた。義弘は小さな板状の装置を懐から取り出し、その表をなぞり、皆に告げた。

「天仁の浅間山の噴火は一一〇八年だ」

 義弘はマキに続けるよう促した。


「灰は三日間降り続け上野国一帯の田畑はすべて埋もれて作物はだめになってしまいました。そのあと、食べていけなくなった人々がたくさんになり、食べ物を奪い合う恐ろしい争いが立て続けに起きました」


「何度も野盗の群れが村を襲いました。父は勢多の村を一族の者とともに守ろうとしましたが、飢えもあって一族のものは次々に亡くなりました。父は最後に残った母と私と弟、父の弟である叔父叔母夫婦それに二人の郎党とともに村を離れ、浅間権現様の風上にあたる一族にゆかりの信濃の方に向かおうとしました」

 

 結衣は小学校の五時限目の授業が終わるとすぐに学校を飛び出し家に駆け戻った。龍口家が預かることになった結衣と同じ歳の子が来る特別な日だと聞いていた。ふだんは仕事が忙しい父母も今日は休みを取って自宅で出迎えると聞いて、自分も学校を休みたいと言ったが、さすがに許されず、授業も上の空で一日を過ごし、大急ぎで帰宅した。龍口家は広い敷地に、義弘と美和子が住む日本建築の母屋と義人圭夫婦に結衣が住む新居が建てられている。


 母屋に直行し玄関を入ると見慣れない草履があった。台所にも居間にも誰もいなかった。座敷のほうから仁の声が聞こえた。結衣は居間にランドセルと帽子を放り出すと、座敷に向かった。廊下から座敷を覗くと祖父母も両親もいた。白い着物を着た女の子が仁と並んで座り、聞きなれない言葉で話していた。


 結衣が廊下にいるのに気づいた圭が手招きをしたので結衣はそっと座敷に入り、義人と圭の間に座った。女の子は黒い長い髪を後ろで束ねていた。ほっそりしており日本人形のような風情だった。女の子は結衣に気づき目が合うと話すのをやめ小さく会釈してから仁を見た。仁がうなずくと、女の子は話をつづけた。結衣は女の子が話し、仁が分かりやすく説明するのを黙って聞いていた。


「私たち一家は、上野から下仁田を経て山中を西に向かいました。ところが、もう少しで信濃というところで野盗に襲われました。父や叔父たちが賊を防いでいる間に、母と私と弟それに叔母は逃れましたが、途中で叔母がはぐれてしまいました」


「母と私と弟とが追分にたどり着き身を潜めていると、父と叔父が賊を振り切って追い着いてきました。父も叔父も傷を負っていました。ことに叔父の傷は深く私たちと会った翌日には亡くなりました」


「父の話によると賊は七人で、父たちは、まず四人を倒しましたが、父の郎党二人も討たれたとのことです。さらに残り三人の賊と切り結び、叔父が頭目を打ち取りましたが、その時に深手を負ってしまったそうです。父は相手にした二人のうち一人に深手を負わせ、今一人のおもてを斬りつけ、何とか野盗を振り切ることができたそうです。それから父は叔父を助けながら私たちに追いつくために山道を懸命に辿ってきたとのことでした」


「私たちは叔父を葬り、峠を下って、信濃に入りました。持っていた食べ物が無くなって二日目に里のお寺の前で動けなくなっていたところを和尚様に助けていただきました」


 結衣は着物の女の子が淡々と語る話のむごさに圭の腕をしっかりつかんだ。女の子の話は続いた。


「和尚様は父の話を聞き、すぐに村の主だった方々を呼んで、私たちのことを話してくださいました。村長様によれば、私たちを襲った賊は、この数年、この里も含め近隣の里を荒らしていた者たちであり、父達が賊を倒したことに驚き、とても喜んでくれました」


「私たちがお寺で何日か体を休めている間に村の主だった方々と和尚様とが相談して、私たちは村はずれの畑と住まいがいただけることになりました。ただ、そのときは荒畑になっていたので、作物が穫れるまでは村のお手伝いをしながら食べ物を分けていただくことになりました。村に落ち着けるという話をうかがったとき、母が私と弟とを抱き涙を流していたのを覚えています」


「私たちはまず冬までに収穫できる蕎麦を育てようと懸命に働きました。村の方々もよくしてくれて、その年は飢えることなく年を越すことができました」


「翌年、私は八つになりました。この年のはじめは穏やかに過ぎていきました。春の終わりに麦が穂をつけ風に揺らいでいるのを父と母が目を細めて見ていた姿は忘れられません。ところが年の瀬が近づき寒さが増してくると、父の体の具合が悪くなり、時々寝込むようになりました。野盗から受けた傷のあたりがひどく痛み熱が出るようになり、冬の寒さに耐えられず、新年を迎えてまもなく亡くなりました」


「父が亡くなったので母は父の分まで懸命に働きました。私も弟も手伝いましたが父がいたころのようにはいきません。加えて、この年の天候は変でした。曇っていて日が照ることは少ないのに、雨が少なく、作物がうまく育ちませんでした」


 女の子の母に起こる悲劇が結衣には予想できた。唇を噛みしめ圭の腕により強くすがった。女の子の話は続いた。


淡々と語られる平安末期の過酷な日々

つらい話に結衣は震えた

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