第六十八話 去り行く五月
結衣が連休を利用して京都から帰省した
結衣の運転する車で、美和子と真貴は、佐間総合病院に義弘の見舞いに向かう
やや春が遅い佐間でも、五月に入ると花を落とした桜の枝からは若葉が芽吹く。田植えが終わった田んぼの苗の合間には山々が映り込み、燕が飛び交う様子を見ることも増える。
結衣が連休を利用して京都から帰省した。その翌日の午前、免許取りたての結衣が、母親の圭がふだん使っている車に美和子と真貴を乗せて、佐間総合病院に義弘の見舞いに向かった。
後部座席の美和子が結衣に声をかけた。
「結衣、ありがとうね。結衣の運転する車に乗る日が来るなんて夢みたい」
「おばあちゃんのお役に立てて嬉しい」
結衣は助手席の真貴の様子が気になった。
「ねえ、真貴ちゃん、ちょっと緊張してない?」
「そんなことはないです。ただ、お母さまの運転よりメリハリが効いてるので、少し戸惑っているだけです」
「そうかなあ……」
車は田んぼの中の道を抜けて、病院に着いた。義弘の個室まで行くと、義弘はベッドの背を少し起こしたままで、目を閉じていた。真貴は掛けられている毛布の胸のあたりの呼吸に伴う上下が安定していることに少し安心した。
三人が腰を下ろし静かに様子を見ていると、義弘が目を覚ました。
「おお、結衣も来てくれていたのか」
「おじいちゃん、来たよ。春休み以来だから二か月ぶりかな」
「もう、そんなになるか」
「そうだ、これ」
結衣はバッグの中から飾りのついたストラップを取り出した。飾りは金色の龍が水晶玉に絡むデザインになっている。
「これ、京都の九頭竜神社のお守りだよ。姉ちゃんの龍と併せてパワーアップだから」
「それは心強いな。ありがとう」
義弘は穏やかに微笑んだ。
三人は病室を後にした。義弘を毎日のように見舞っている美和子と真貴は、一時退院以降、義弘がまどろんでいる時間が増えつつあることに気が付いていた。二か月ぶりに会った結衣は、明らかに義弘の精力が衰えつつあることに気が付いていた。しかし、三人はそのことには触れなかった。
駐車場に出ると、美和子が結衣に声をかけた。
「結衣、新海写真館さんへの道、わかる?」
「うん、わかるよ。行くの?」
「そう、行ってちょうだい。あなたたちの写真を撮っておきたいの」
「えっ、私も真貴ちゃんも、まったくの普段着だよ。お化粧もしてないし、髪も適当だし……」
「それでいいの、それがいいの。二人が普段通り佇んでいる写真が欲しいの。この前、写真を整理してたんだけど、この頃のあなたたち二人がそろっている写真は意外にないのよ」
「わかった。私も真貴ちゃんとそろって映った写真が欲しくなった。真貴ちゃん、いいでしょ?」
「はい、おばあ様に喜んでいただけるのなら、私も嬉しいです」
結衣の運転で車はすぐに写真館に着いた。昨年の湯多神社の例祭の日に、真貴は、この写真館で神楽の衣装を身につけ黄金の太刀を佩いて撮影を行った。
館内に入ると写真が何枚か飾られていたが、その一番目立つところに“龍神の巫女”姿の真貴の写真があった。この写真は正月の市報にも載り、モデルについての問い合わせが何件もあったらしいのだが、町長の義人の指示でモデルの詳細は伏せたままにされたという経緯がある。
すぐに館長が出てきて、三人をスタジオに案内した。撮影の用意はすでに整っていた。真貴が、館長と美和子とのやり取りを聞いていると、美和子は数日前には撮影を依頼していたようだった。
結衣と真貴はスタジオの一角に置かれている化粧台の前で髪と衣服を整えた。その後、カジュアルな居間のようなセットで撮影が始まったが、館長でカメラマンでもある彼の指示は「二人でそろって楽しんだ思い出について話してみて」というだけだった。
結衣と真貴ははじめは思い出を探ってゆっくり話しはじめたが、初めて一緒に習字をした時のこと、ポートボールで連係プレーが上手くいったこと、一緒に食べたおやつのこと、さらには昨年、昆虫食を食べたことなど具体的な場面やその時の言葉、動きなどを思い出すと、自然と笑顔になり表情が豊かになった。カメラマンは頃合いを測り、何枚も撮影を行った。そして最後に寄り添ってレンズを見るポーズで撮影を終えた。
館長の奥さんがお茶を運んできて、三人が一息したところで、館長が机の上のモニターに撮影した写真を映しはじめた。ピント、陰影と明るさのバランスなどはプロの手際で美しく、枚数を重ねるほど表情がいきいきしていた。三人はさんざん悩んだ挙句、数ショットを選んで発注することにして写真館を後にした。
翌日の昼を過ぎてから礼司がやって来た。礼司は玄関で大きな声で挨拶すると、そのまま居間に上がって来て、美和子にあらためて挨拶した。
「お義姉さん、こんにちは」
「礼司さん、いらっしゃい。お昼ご飯、召し上がりますか?」
「ありがとうございます。弁当を買って行って、先ほど病院で兄と一緒に食べてきました」
「あら、それは良かった。主人も喜んだことでしょう」
「ええ、ただ、食欲はかなり落ちてきてますね。ゆっくり、ゆっくり食べて何とか三分の二くらいでした」
「それは、がんばった方だと思います。ずっと、何としても見送るまでは、と言ってますから」
「はい。私も聞きました」
二人の会話がしばらく止まった。少しして礼司が尋ねた。
「結衣が京都から戻ってきてるんでしょう?結衣と真貴はどこかな?」
「何やら道具を持って河原の方に行くと言ってましたね」
「では、ちょっと様子を見てきましょう」
結衣と真貴は昼ごはんを食べた後、運動できる服装に着替え、帽子をかぶって河原に向かった。真貴は肩にかけた大きなトートバッグの中に藤森達志から提案を受けた投擲武器の試作品を入れていた。
二人は河原についた。瀬を渡る水音が響き、空気には川独特の匂いがほのかに漂っていた。背の低い柳類が新緑を伸ばし、荻、葦などが芽吹いていた。
二人は周りに人がいないか、自動車や交通ミラーなどがないかを確認した。
結衣が見ている前で、真貴がバッグから投石器を取り出した。以前に結衣が見たものとは別の投石器だった。
「真貴ちゃん、これ、また新しいの?」
「そうです。細かな改造は別にして四作めかな」
「シンプルなのに改造するとこがそんなにあるの?」
「ええ、けっこうたいへんです。はじめに荷造り紐で作ったものは、紐が絡まりやすくてうまくいきませんでした。もともとの紐に撚りがかかっているのは良くないようです。布紐にすると絡みにくくなりました」
真貴は適当な大きさの石をいくつか拾って足元に置いた。紐の一端にある輪を左手の小指に通した。投石器中ほどの幅広部分で石を包み、紐のもう一端を調整しながら握り、石が二本の紐で安定して吊り下げられる位置を見つけた。
「そろそろ投げる?」
「はい、離れてください。頭を低くしておいてください」
結衣が少し離れた大きな石の背後に移動したのを確認して、真貴は体の正面で投石器をゆっくり反時計回りに回し始めた。次第に勢いをつけて、左手を頭上にあげて、回転面をほぼ水平にした。狙いは川下の流れの真ん中である。回転する石が体の左真横に来るタイミングで、真貴は握っていた左手を開いた。石は低い軌道の放物線を描きながら、七十メートルほど飛んで、川の中に落ち、しぶきが上がった。
「真貴ちゃん、すごーいっ!」
結衣が大きな石の背後で立ち上がり、発射された石の行方を見ていた。
真貴が笑顔で結衣を振り返った。
「今までで一番うまくいきました。今の感触を忘れないうちに、もう少し試します」
「了解!」
結衣が隠れると、真貴は二度、投げてみた。二投目は狙いよりかなり右に外れたが、三投目は、ほぼ一投目と同じ軌道で投げることができた。
続いて真貴はバッグの中から五十センチほどの木の棒を取り出した。結衣が興味深そうに見つめている。
「これは新作です」
「もしかして、アトラトル?」
「はい、動画や資料を見ながら作ってみました」
「割と小さいのね」
「まず、どういうものなのか確かめたくて、簡単に作れるものにしました」
「投げ矢も用意してます」
真貴の取り出した三本の矢は、七十センチほどの細い丸竹の先端に釘を押し込んだものだった。結衣が手に取ってみて言った。
「これ、刺さらないよ」
「いいんです。先端が重くないとまっすぐ飛ばないので、重りとして押し込んだだけですから」
真貴はスマートフォンを取り出し、アトラトルを使っている動画を再生し、投擲フォームを確認した。次に左手にアトラトルを持ち右手に持った矢をアトラトルの片側のくぼみにはめて、左手を動画で見た位置に合わせ構えた。今度の狙いは十メートルほど先の土手である。
結衣が見守る中、真貴は左手を引いて右足を踏み出しながらアトラトルを振った。矢は放たれたが、軌道が低すぎてすぐ目の前に落ちた。二投目はもう少し前に飛んだが、やはり軌道が低い。真貴はスマートフォンでフォームを再確認した。気が付いたのはボールを投げるようなフォロースルーではなく、押し出す感じのフォロースルーである。真貴は押し出す感じを意識しながら三投目を放った。今度は、かなり狙いに近いコースに飛ばすことができた。
真貴が矢の回収に行こうとすると、結衣が走り出て、一番遠くに飛んだ矢を拾ってきてくれた。
「真貴ちゃん、やはりすごいよ。三回目でちゃんと飛ばせるなんて」
「結衣ちゃん、ありがとう。でも、まだまだです。もっと力強く投げないと。今のところ距離も威力が足らないです」
「でも、村の自衛の最初の一歩は踏み出せたんだから」
「はい……ただ、実際に作ってやってみると、頭の中で考えていたようにはいかないことがたくさんあることに気が付きます」
二人は河原の石に腰を下ろした。
「どういうこと?」
「投石器はすごく威力がありますが、大勢が一斉に使うことは難しそうです」
「え、どうして?」
「危険なんです。石を吊り下げた紐を振り回すので、間違えて近づくと大怪我をします。それと、発射するタイミングがとても微妙なので、焦って発射して近くの味方を傷つける可能性が高いです」
「そうか……」
「アトラトルはその点はいいのですが、投げる動きが大きいです。たぶん、敵に全身を晒す危険を冒さないと使えません」
「なるほどね……」
「そうしてみると弓矢の優位性がよくわかります。今回やってみると、弓矢は続けざまに射てるのも特長だと気付きました。投石器はセットするのに、ずっと時間がかかります」
「難しいんだね」
「はい、難しいです……」
結衣のスマートフォンが鳴った。礼司からだった。
「二人を探しているんだけど、今どこかな?」
「えーっと、大橋から三百メートルくらい下流の河原です。河原に降りる階段があるところです」
「たぶん分かった。今から行くよ」
二人が武器類をかたづけて土手の階段を昇ると、礼司がSUVでやって来た。結衣と真貴が後部座席に乗り込むと、礼司が尋ねた。
「河原で何をやっていたんだい?散歩じゃなさそうだけど」
結衣が答えた。
「実験です。真貴ちゃんが作った投石器やアトラトルを試してました」
「なるほどねえ。どうだった?」
今度は真貴が答えた。
「まだまだです。でも、いろいろなことがわかってきました」
「それはいい。科学は試行錯誤だ。経験の積み重ねと本質の見極めが力になる」
「はい。実感しています」
結衣が窓の外の風景を見ながら尋ねた。
「叔父様、今日はどこに連れて行ってもらえるの?」
「ああ、春先に有機農法を教わったタケさんの田んぼを見に行こうと思ってる」
「そっか、あの種籾、上手く育っているかなぁ」
三人が乗った車は田植えが終わったばかりの田んぼの中の農道を走っていく。春先に比べて湿度が下がってきたので、遠くの山並みがくっきり見えて、空の青さが鮮やかだった。
しばらく走ると四月初めに訪れた阿部丈雄の農家近くまで来た。
「ああ、あそこだ。黄色の布がついた竹竿のところ」
近づくと大きな田んぼに四本の竹竿が立てられ、紐で区切られた一角があった。
「あの区切られたところに、結衣と真貴が温湯処理のタイムキーパーをした種籾から発芽した苗が植えられてるとタケさんから聞いてるよ。肥料もスズメノエンドウを鋤き込んだ緑肥を使ったそうだ」
三人は車から降りて、苗の様子がよくわかるよう田んぼのあぜ道まで行ってみた。区切られた区画の中の苗は、区画外の苗とまったく変わらない成長ぶりに見える。
しばらく田んぼを見ていた結衣がいきなり両手でメガホンを作り苗に向かって呼びかけた。
「頑張れ、有機農法、スズメノエンドウ!化学肥料なんかに負けるな。豊作になれ!」
結衣の叫び声が広々とした田んぼに響いた。
「頑張れ、有機農法、スズメノエンドウ!化学肥料なんかに負けるな。豊作になれ!」
結衣の叫び声は、もうすぐ去り行く友へのエールだ




