第六十七話 ナーガ・サウッ、ハンッ、ナーガ・ヨーダー
義弘は病院に戻った
真貴が義弘の見舞いに行こうとすると、イェイェが同行することになった
週明けの月曜日の午前、一時帰宅を終えて義弘は、圭の運転する車で美和子に付き添われて佐間総合病院に戻った。家族は義弘が無理をしたことを心配していたが、症状の急激な悪化は幸いなことに起きなかった。
三日ほどの間に桜の開花は進み、龍口家を出るときには、わずかに花弁が風に舞っていた。
真貴も週明けから看護学校二年生の授業に戻った。授業内容は一年生の時より専門的になり薬理学や病理学といった高度な専門知識に加えて、成人・老年・小児・母性といった対象別の看護学へと専門化していく。
これらの科目の習得のために、学生は試験以外に多くのレポートが課題として要求される。真貴は間違いのない医学的知識を身につけるため、集中してこれらの課題に取り組み続けた。
ミャンマーからの留学生、イェイェも意欲的に課題に取り組んでいた。ただ、一年間を日本で過ごしたとはいえ、高度な専門分野の書籍を読み込んで、その考察を日本語でまとめるのは、翻訳アプリの助けを借りても難事だった。イェイェは一時期、頑なに自分の力だけで何とかしようとしていたが、真貴に心情を打ち明けたのをきっかけに、再び、真貴や周囲の人々に助力を求めることができるようになっていた。
ゴールデンウィークが近づいた四月末、真貴が放課後に図書館でレポートを作成していると、イェイェが課題の理解できない箇所を尋ねてきた。真貴が労をいとわず、丁寧に教えると、イェイェが思いがけない質問をしてきた。
「真貴さんは親切でやさしい。いつもやさしい、誰にでもやさしい。私には特別にやさしくしてくれる。真貴さんは、どうしてそんなにやさしくできるのですか?」
真貴は考えたこともない質問にとまどった。少し考えてから答えた。
「私をやさしいと思ってもらえて嬉しいです。そうですね……私がずっと周りからやさしくしていただいていたので、私も、できるだけやさしくありたいと思っています」
「周りからやさしく……?」
「はい。私は八歳の時に外国で父も母も亡くしました。弟がいましたが、事情があって弟とも別れることになり、龍口の家で世話になることになりました。龍口の家で、私はほんとうにやさしくしていただきました」
イェイェはずっと真貴は恵まれた家のお嬢様だと思っていた。しかしながら孤児だと知ってショックを受けた。
「私、真貴さんを誤解していました。私、おじい、おばあが死んだとき、大泣きし、その後、真貴さんに冷たくしたこと、すごく恥ずかしい」
「そんな風には考えないでください。あのとき、イェイェさんから、看護師になって故郷の村に戻り役に立つのが自分の使命だと聞いて、私も、自分のやるべきことを見つけることができましたから、イェイェさんには感謝しています」
「真貴さんのやるべきことって何ですか?」
「イェイェさんと同じように、故郷の人々の役に立つことです」
翌日、真貴は佐間総合病院の四階病棟の義弘の病室に見舞ってから帰ろうとしていた。真貴がエレベーターに乗ろうとしていた時、イェイェが大慌てで真貴の乗ったエレベーターに乗り込んできた。
「探してました。真貴さん、すみません。昨日、教えてもらったところ、まだ、よくわかりません。提出日、明日です。教えてください」
「いいですよ。おじい様のお見舞いが終わってからでいいですか?」
「おじい様?」
「はい。私がお世話になっている龍口家のおじい様です」
エレベーターに乗ってしまったこともあり、イェイェは義弘の病室の前まで同行することになった。
真貴は個室のドアをノックして声をかけた。
「おじい様、真貴です。入ってもいいですか?」
「真貴か、入りなさい」
真貴がドアを開けると、義弘はベッドの上で体を起こしていた。その手にはタブレットがあった。
「今日は、お加減はいかがでしょうか?」
「まあ、ほどほどかな」
義弘はドアの外に誰かいることに気が付いた。
「誰か外で待っているのかな?」
「はい。同級生です。以前、お話したことがある留学生のイェイェさんです。この後、一緒に図書館に行きます」
「おお、龍の一族の子だね。機会があれば会いたいと思っていた。よかったら入ってもらいなさい」
真貴はイェイェを招き入れた。イェイェは少しためらったが、真貴に促されて、おずおずと入ってきて挨拶した。
「はじめまして、ナン・イィイェ・モーです。真貴さんに、いつもお世話になっています」
義弘は小柄なパオ族の少女が少し不安そうな表情を浮かべていることに気が付いた。真貴がはじめて龍口家に来た時の表情を思い出した。
「龍口義弘です。真貴と仲良くしてくれてありがとう」
イェイェは少し恥ずかしそうに微笑み小さく礼をした。そして、義弘の傍らの台の上に置かれている小さな龍の置物に気が付いた。
「ナーガ……龍……」
義弘はイェイェの視線が龍の置物にあることに気が付いた。
「ああ、これは我が家のシンボルだ」
真貴が説明した。
「“たつくち”というファミリーネームの“たつ”は日本での龍の呼び方です。龍口家は日本の龍の一族と言えるでしょう」
イェイェは目を見開いて義弘を見た。
「日本の龍の一族……。私、龍口知佳さんに留学を相談して、ここに来ました。知佳さんは……」
「知佳は私の孫娘だよ。真貴の姉のようなものだ。その小さな龍は知佳が持ってきたんだ」
「ああ、ナーガが導いてくれた。うれしい……」
イェイェの不安そうな表情が消え、運命の導きに高揚している喜びが滲んできた。
義弘はイェイェに、真貴も龍の一族であることを伝えなくてならないと思った。
「イェイェさん、この望月真貴も龍の一族なんだよ。真貴は龍神様の導きで我が家に来た。そして龍の一族として、やさしく、賢く、強くなった」
「おじい様」
真貴は義弘の言い回しが少し恥ずかしかった。
「真貴、せっかくだから、イェイェさんに真貴の自慢をさせてくれ」
そういうと、義弘は手元のタブレットを操作して、動画を映し出した。
始まった動画は真貴が神楽“龍神の巫女”を舞ったときの様子を、ケーブルテレビが収録したものだった。龍の模様の浮かぶ千早を着た巫女姿の真貴が、篝火に照らされながら、優雅に力強く舞う姿にイェイェは驚いた。
次の動画は真貴が高校二年生の時、剣道の高校選手権で準優勝したときの準決勝の様子だった。初めて見る剣道の試合に困惑していたイェイェに、義弘が、この赤い目印をつけているのが真貴だよと教えた。
もう一つだけと言って義弘が披露した動画は、小昏鹿島神社での流鏑馬の様子だった。巫女の衣装の真貴が栗毛の馬にまたがり、駆け抜けつつ矢を放つ。イェイェは、真貴の活躍に圧倒されていた。
一連の動画を見た後、イェイェは思わず母国語で呟いた。
「ナーガ・サウッ…ハンッ…ナーガ・ヨーダー…」
「どういう意味かな?」
義弘が尋ねると、イェイェが考えながら答えた。
「正しい日本語、よくわかりませんが、“龍に仕える人”そして“龍の戦う人”です」
思いがけず長時間になったお見舞いを済ませて、真貴とイェイェは義弘の病室を後にした。
イェイェが真貴に言った。
「真貴さん、私、真貴さんのことが少しもわかってなかったです。真貴さんは龍神に選ばれたすごい人なんですね」
「イェイェさんこそ、ナーガに導かれたすごい人ですよ」
「真貴さん、ずっと友達でいてください。私、真貴さんの友達になれて誇らしいです」
「ありがとうございます。ただ、私、六月に入ると、休学することになるかもしれません」
「どうしてですか?」
「故郷を訪れる機会がありそうなんです。もしかしたら、弟と再会できるかもと思っています」
「会えたらいいですね」
「ありがとう」
二人は図書館に向かった。屋外に出ると、四月の終わりとはいえ、高原の町の黄昏時はまだ肌寒かった。
龍神の導きで会った真貴とイェイェ
しかし、真貴の旅立ちの日は近づいている




