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第五話 龍口家の人々

マキは龍口家に迎えられた

マキの言葉を解する仁が、マキのたどり着いた世界を説明する

 ヨシヒロは皆を見渡し、静かに口を開いた。

「みんなそろったみたいだね。じゃあ、始めようか。姉さん、通訳をお願い」

 ヨシヒロがそう言うと、サトがうなずき、小声でマキに言葉の意味を伝え始めた。

「マキちゃん、驚かせてしまってごめんね。まず伝えておきたいのは、私たちは“龍神の化身”なんかじゃないんだよ。マキちゃんと同じ、人間だよ」

 サトが訳すのを待って、ヨシヒロは続けた。

「うちに龍の飾りが多いのは、家の名前が“龍口”っていうのと、龍神さまを祀る神社をずっと大事にしてきたからなんだ」

 マキが理解したようにうなずくのを見て、ヨシヒロはさらに言葉を重ねた。


「実はね、私たち一族はずっと、マキちゃんが現れるのを待っていたんだ。龍口家には昔から伝わる言い伝えがあるんだ。『千年の後の世に至りて、龍神の御心に適ひし童女、龍の洞より現れ出づべし。一族の宝として崇むべし。恭しく迎へ奉り、慎みて仕ふべし(千年の時を超えて、龍神に選ばれた少女が龍の洞から現れる。その子は一族の宝である。大切に迎えよ)』って」


 マキには「ずっと待っていた」という話の意味はすぐには理解できなかったが、「千年」という言葉に衝撃を受けた。

「わたしは住んでいた時よりも、千年の後の世に来てしまった……ということになるのでしょうか?」

 サトがマキの質問の意を伝えるとヨシヒロはうなずきながら答えた。

「あぁ、マキちゃんの話をもっと詳しく聞かないと正確なことは言えないけれど、たぶん、千年ぐらいは経っていると思う」


 マキは息を呑んだ。だが山々の姿はそのままで、湖が田畑に変わっていたことや、巨大な建物、道を走る車の群れを思い返すと、不思議と納得できる気がした。


 ヨシヒロがマキをしばらく見つめ、意を決めたように語り掛けてきた。

「マキちゃん、私たち家族はね、君をこの家の一員として迎えたいと思ってるんだ。よかったら、ここで一緒に暮らしてくれないかな」

 ヨシヒロの目は穏やかで声もあたたかかった。サトを見ると小さくうなずいていた。マキは少し戸惑いながらも、心を決めて静かにうなずいた。


 ほっとしたようにヨシヒロが笑顔を見せ、家系図のように数名の名が記された一枚の紙を取り出し、説明を始めた。

「ありがとう。じゃあ、家族を紹介するね。わかりやすいように、こんなものを作っておいたんだ。これが私、龍口義弘ヨシヒロ。マキちゃんに通訳してくれてるのが姉のサトだ。今は別の家に嫁いでるけど、今もよく行き来してるよ。弟の礼司レイジは別のところに住んでいて、今日は来られなかった。ここにいるのが私の妻、美和子ミワコ。そしてこっちが息子の義人ヨシトと、その妻のケイ


 義弘は図を指さしながら、一人ひとり丁寧に紹介していった。

「義人たちには三人の子どもがいてね。長男の昌平ショウヘイと長女の知佳チカは、今は学問のために家を離れてる。末の娘・結衣ユイは近くの学校に通っていて、もうすぐ帰ってくるはずだよ」


 マキは次々と聞こえてくる名前と顔を何度も心の中で繰り返し、紙の上の図を見ながら一生懸命覚えようとした。そして姿勢を正して、ゆっくりと口を開いた。

「義弘さま、龍口家のみなさま、このたびは本当にありがとうございます。わたしは、この世界でこれからどうなるのか不安でいっぱいでした。でも、こうして龍口家のみなさまにお世話になれると聞いて、とてもありがたく思っております。少しでもお役に立てるよう、精いっぱいがんばります。どうぞ、よろしくお願いいたします」 


 マキの言葉を仁が訳し終えると、美和子が満面の笑顔を浮かべて言った。

「マキちゃん、はじめまして。そしてようこそ、我が家へ。会えて嬉しいわ。本当のことを言うとね、言い伝えは龍口の血を引く者だけに代々伝えられてきたもので、私も圭さんも三日前にようやく知ったばかりなのよ。掟だからって、こんな大事な話を黙っていた義弘さんと義人にはちょっと腹が立ったけどね」


 圭も思わずうなずいた。

「本当にそうです。三日前に義人と義父様、それに叔母様が急にいらして真剣な顔で話し出した時は、正直、信じられませんでした。でも今日、マキちゃんとこうして会って、お話して……心から納得しました。そして……可愛らしさにもびっくりしました」


 圭はにっこりと笑いながら続けた。

「そうそう、皆さん、お茶にしましょう。マキちゃん、この飲み物は“麦茶”っていうの。冷たくて香ばしくて、飲むと落ち着くから」 

 皆が手にした器から麦茶を飲み始めたのを見て、マキもそっと器を持ち、一口含んだ。冷たさとほのかな香りが口の中に広がって、気持ちがすっとほぐれていくのが分かった。確かに圭の言う通りだった。

 

 マキの緊張が少し解けたのを見て義弘が声をかけてきた。

「マキちゃん、つい私ばかり話してしまったね。今度は君からも、何か聞いてみない?私たちに尋ねたいことはいろいろあるじゃないかなと思うんだが……何でも聞いてもらっていいよ」

 皆の視線が自分に集まっているのを感じながらも、マキは思い切って口を開いた。

「たくさんお聞きしたいことがあります。まず……なぜ仁様だけが私の言葉をお話しできるのでしょう?」


 仁がやさしく微笑み、説明を始めた。

「さきほど義弘が、マキちゃんがいた時代から千年ほどが経っていると話したよね。人が話す言葉や書く言葉は、時がたつにつれて少しずつ変わっていくの。百年くらいではそこまで違わないけれど、もっと長い時間がたつと、だんだん通じなくなってくるものなのよ。私はね、龍口家の言い伝えを初めて聞いたときから、昔の人やその言葉に強く惹かれて、ずっと勉強してきたの」


「女性でも勉強することができるのですか?」

「ええ、今は女性でも学ぶことができるのよ。女性が高等な学びを受けられるようになったのは百年ほど前からだけど、今では男性と同じ大学に行くこともできるし、勉強したことを生かして仕事に就くこともできるようになってきたの。もう引退したけど、私は大学で、マキちゃんの時代でいえば“文章博士(もんじょはかせ)”のような役割をしていたのよ」


「女性が男性と同じようにお勤めができるのですか?」

「まったく同じとまではいかないけれど、お勤めする女性は増えてきているわ。ここにいる女性は、私も含めて三人ともそう。私は大学で教えていたし、美和子さんは“小学校”という、子どもが学ぶところで教えていたの。そして圭さんは“管理栄養士”という仕事をしているわ。マキちゃんの知っている役職でいえば、“膳司(かしわで)の長”みたいなものかしら。マキちゃんがいた病院の食事も、圭さんが関わっていたのよ」


「“病院”というのがすごいところというのはわかりました。この世界では病気の人は皆、病院で体を治すようになっているのでしょうか?」

「そうね。マキちゃんのいた時代には病院はなかったものね。昔は薬師が来てくれるのも、身分の高い人の家だけだったでしょ。でも今では、体を痛めたり病気になったりした人は、誰でも病院に行って治療を受けることができるの。重いときは病院に泊まって、しばらく療養することもあるのよ」


「母から聞いたことがあります。薬師のくる家は、お公家様か大きな家だけと……この世では百姓であっても治療を受けることができるのでしょうか?」

「ええ、もちろんよ。そうなったのも百年ほど前からだけど。今は“お公家様”という身分そのものがなくなっているの」


 仁とマキとの古語での会話を聞いていた義弘が、我慢できずに口を挟んできた。

「姉さん、マキちゃんを一人占めしないでくれよ。マキちゃん、私たちにも何か聞いてくれないかな?」

 仁が笑ってマキに言った。

「ごめんなさい。マキちゃんの質問がとても良いものだから、つい夢中になってしまったわ。マキや、義弘さんや義人さんに、何か聞いてみたいことはないかしら?」


 マキは少し緊張しながら口を開いた。

「おそれながら……義弘様、義人様は、どのようなお立場のかたがたなのでございましょう? 龍口の御家は、たいそう名高い家柄とお見受けし、このたび訪れたお屋敷も大変立派で……つつしんで、ご身分をうかがいたく存じます」

 仁がふたりに通訳すると、義弘が笑いながら答えた。

「つまり、私たちがどんな仕事をしているかってことでいいかな。私は五年前までこの町の町長を務めていたんだ。今はもう引退して、相談役のような立場かな」


 続けて義人も答えた。

「私はこの町の役場で“総務課長”という仕事をしているよ。叔母さん、“町の総務課長”って、どう説明したらマキちゃんに伝わるかな?」

 仁は少し苦笑して言った。

「それを平安時代の言葉で説明するのは、ちょっと無理ね。兄さんは元町長、義人は役人、とだけ伝えるわ。義人、自分の仕事の説明ぐらい自分で考えなさいな」

 それから仁がマキに向かって話しかけた。

「義弘殿は、かつてこの里の長であられました。義人殿は、今もなお、この町の政に携わっておられます」


 美和子が話に加わってきた。

「私もマキちゃんと……お話しできるかしら?」

 マキは先ほど仁が話していた“小学校”という言葉を思い出した。

「美和子さま、“小学校”というのは、どのようなところなのでしょう? このような童女(わらわめ)でも、学ぶことは叶いますでしょうか?」


 美和子はすぐにマキの言葉の意味を理解し、にっこりとうなずいた。

「もちろん叶いますよ、きっと。すぐに通うのは難しいけれど、仁さんの助けを借りて、夏休みが明ける秋には通えるよう、私が教えてあげますね」

 その言葉にマキは少し不安げな表情を見せた。

「私は千年前の世からまいりました。このような私が、秋までに言葉を覚えて、みなさんと共に学ぶなど、できるのでしょうか……」

 仁が優しく答えた。

「大丈夫。言葉は変わったけれど、根本のかたちは変わっていないの。新しい言葉や言い回しを少しずつ覚えれば、きっと大丈夫よ。最初は戸惑うこともあるけれど、心配いらないわ」


 ニコニコしながら話を聞いていた圭が壁にかけている皿のようなものを見上げて立ち上がりながら言った。

「そろそろお昼ですね。マキちゃんも少しリラックスしてきたことだし、お昼にしましょう。義人さん手伝って」

「すっかり夢中になっていたな、お昼にしよう」

 

 圭が膳にのせた食事を持ってきて、まず、マキの前に置いた。次に義人が仁の前に膳を置いた。二人はその後も往復して全員の前に膳をそろえた。義人が最後に腰を下ろしたところで、圭が皆を見渡して話し始めた。

「今日は、マキちゃんが懐かしいと思えるような献立にしてみたの。白飯に鯉の(あつもの)、それに茄子の浅漬けです。マキちゃん食べられそうかな?」

「はい、とてもおいしそうです。鯉の羹は小さいころいただいたことがあります」

 椀に盛った米飯を食べ、羹を口にしているうちに、マキは涙がにじんで手が止まった。圭が気づき心配そうに声をかけてきた。


「マキちゃん、味が口に合わなかったら無理して食べなくていいのよ」

「ちがうんです。私はこれまでこんなおいしいものをこんなにたくさん食べたことはありません。私の弟も村の衆もいつもおなかをすかせていました。飢えで亡くなった方もいました。このご馳走を弟にも村の衆にも食べさせてあげたいです。私だけが食べているのが申し訳ないです」

 皆の手が止まり言葉をなくした。少しあって美和子がマキに語り掛けた。

「マキちゃん、私はマキちゃんがここに来ることになったのは、龍神様の思し召しだと思います。だとしたら、龍神様はマキちゃんが安心してご飯を食べることをも望んでいると思いますよ」


マキは、なじみのある食材を口にしたが涙が溢れた

「このご馳走を弟にも村の衆にも食べさせてあげたい」

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