第五十七話 特別講義、生き抜くための農学(二)
礼司が言う「晩ごはんはキノコのぼたん鍋だ」
三人はキノコ狩りに向かう
居酒屋「伊那正」を後にして、三人は山の方へ向かった。
「叔父様、この後は民宿ですよね?」
「そうだよ、晩ごはんはキノコのぼたん鍋だ」
「ぼたんって猪肉なんですよね?」
「そうだよ、日本じゃあ表向きは肉食禁止だったから、隠語としてぼたんと呼んだんだ。他にも山鯨なんて呼び名もある」
真貴が尋ねた。
「なぜ、肉食禁止になったんですか?そのせいで栄養不足が増えたと思うんですが」
「少しややこしい事情があるんだ。奈良時代に天武天皇が肉食禁止の勅令を出したんだけど、これは、稲作に役立つ牛や馬の保護が目的で、夏の間だけという期間限定だったんだ。しかもイノシシやシカなんかの肉を食べることは禁止していない」
「では、堂々と食べてもいいんですね?」
「話が面倒になるのは、その後だよ。肉食は穢れているとする仏教思想が広まって、いわば自主規制的に食べにくくなったんだ。それが、どんどん厳しくなって、遂には白河法皇が、完全な殺生禁止令を出したんだ。これは漁業や狩猟さえも禁止するというもので、誇張だろうが、この禁令によって国土の魚や鳥が絶えたという文書もあるんだ」
白河法皇という名前に結衣が反応した。
「叔母様が教えてくれた平安時代の独裁者ね。庶民が食べることにまで口出ししてたなんて、まったくとんでもないわ」
「ただ、庶民はそうは言っても食べるし、貴族たちだって食べる。そこで、猪肉は“ぼたん”、鹿肉は“もみじ”、馬肉を“さくら”なんて呼び変えて、食べるようになったんだよ」
十四時過ぎには三人は山の中の民宿に到着した。民宿の主人も礼司とは旧知のようで玄関まで出て迎えてくれた。結衣と真貴とが荷物を降ろしていると、民宿の主人が、籠と鈴を持ってきた。
「今から、山に入ってキノコ狩りをします。まず、注意です。熊と遭遇する危険があります。必ず、この鈴をつけて鳴らし続けてください。特にキノコを見つけて立ち止まった時は注意です。音が途切れないように鈴を鳴らしてください」
熊と聞いて結衣も真貴も緊張が高まった。
「単独行動をしてはいけません。トイレは出発前に済ませてください。どのキノコが食べることができて、どれに毒があるかは、私か先生に確認してください。けっして素人判断はしないでください。質問はないですか?」
結衣も真貴も質問はなかった。礼司が話を引き継いだ。
「基本的に結衣はご主人と、真貴は私と一緒に行動する。頑張って採ろう。今日の晩ごはんの美味しさがかかっているんだ」
四人は主人の先導で山に入った。秋の午後の日差しが降り注いでいたが、森に入ると寒さを感じるほど、季節は進んでいた。
結衣と真貴は、はじめはどこにキノコがあるか見当もつかなかったが、主人や礼司が「ほらそこだよ」と何度か教えてくれたおかげで、しだいに自分で見つけることができるようになった。
真貴はきつね色のキノコのかなり大きな群落を見つけた。
「叔父様、見つけました。これはナメコと思うのですがいかがでしょうか?」
「おお、これはすごい。ナメコで正解だよ」
結衣は薄茶色の傘裏のひだが美しいキノコの群落を見つけた。
「これ、どうでしょうか?」
「ああ、いいね。これはヒラタケというキノコで美味しいよ」
「こっちのは?」
「おっと、それはダメだ。ツキヨタケという有毒のキノコだ」
「ええ?ヒラタケと似てる」
「だから、怖いんだよ。ほら見てごらん」
宿の主人がツキヨタケの一つを取って、その柄の部分を手で割ると、中に黒いしみがあった。
「これが見分けるポイントだよ」
「なんか不気味」
四人は一時間ほどで十分なキノコを収穫できた。真貴は、礼司から予め送られてきていた資料を頭に入れてきたので、答え合わせをするつもりでキノコ狩りを楽しむことができた。
民宿に戻り、三人が温泉で汗を流しているうちに、日が沈みあたりは急に暗くなってきた。フクロウの鳴き声もときおり聞こえた。
そして、夕食の時間を迎えた。主人の案内で食事場所に行くと囲炉裏が切ってあり、自在鉤に鉄鍋がつるされ、キノコのぼたん鍋が煮えていた。
礼司は焼酎を飲みながら、結衣と真貴は蕎麦茶を飲みながら、味わうことになった。
一口食べるなり、結衣が声をあげた。
「おいしいーっ!味が深いっ!」
真貴もスープを一口飲んで驚いた。
「美味しいです。豚の風味とは、また、違うんですね」
礼司が答えた。
「そうだろう。野菜は、ネギ、ゴボウ、里芋が入っている。すべて平安時代からの日本古来の野菜だ。今日の鍋は、塩と酒以外は調味料を使っていない。これこそが千年前のご馳走と言えるだろうな」
「叔父様、今日はほんとうにありがとうございました。紙すきも、昆虫食も、キノコ狩りも、すべて、千年前に戻った時には役立ちます。結衣ちゃん、私の勉強につきあってくれてありがとう。結衣ちゃんといると楽しいです」
「ううん、私が勉強したいの。そして、私こそ、真貴ちゃんと一緒なのが楽しいんだから」
礼司は二人を見ながら微笑んでいた。
「真貴、私はお前の決意を聞いてから、教えたいことのリストを作ってみたんだ。そうしたら、千冊近い本や論文が必要になりそうだったので、方針を変えたんだ。私は、真貴の賢さにかける。大事なことのエッセンスだけを深く、時には体験を交えて教える。あとは、真貴の応用力に頼ろうと思う」
真貴は礼司の指導の深さに感謝した。
「叔父様のおかげで、私は馬に乗ることも、弓を引くこともできるようになりました。そして、ずっと以前から少しずつ教えていただいていたことに、ようやく、この頃気が付きました。ほんとうにありがとうございます」
「真貴、私もだけど、仁姉さんも、知佳も、流鏑馬の大伴さんも、真貴に教えることができて、ほんとうに幸せに思っている。指導者は教え子の成長こそが嬉しいもんなんだ」
結衣が言った。
「叔父様、私も成長しているよ」
「もちろんだとも、結衣の成長もよくわかっている。結衣と真貴は、親友となることで、二人そろって大きく成長したと思う。ともでやから、そして学友だよ」
十月半ばになると長野の山中は十度を切って冷え込むようになる。天気が良く、星が美しかった。オリオン座が中天に輝き、ときおり星が流れていた。
礼司は言う「結衣と真貴は、ともでやから、そして学友だよ」




