第五十二話 残された時間
知佳のアドバイスで真貴と結衣は立ち直った
残された時間を大切にする……
知佳と電話で話した翌朝、真貴は早起きした。使命を決めたのに、昨日を無為に過ごしたことが悔やまれた。今日から生活を立て直そうと、木剣を持って庭に出て型の稽古をはじめた。
千年前のあの世界で生きて行くと思うと、剣道の鍛錬がまったく別のものに見えてきた。あの世界では真剣でわたり合うことになる。少しでも気を抜けば命はない。真貴はこれまでにない緊張感で型稽古を行った。
小一時間かけて稽古を終えると、母屋の玄関に結衣が立っていた。真貴と目が合うと意を決めたように言葉が出た。
「真貴ちゃん、おはよう」
結衣の表情は明るく、声は朗らかだった。
「結衣ちゃん、おはよう」
「昨日は気持ちの整理がつかなくてごめんね」
「私だって……」
「姉ちゃんに言われちゃったよ。親友としてやるべきことをやれっ、て」
「私も残された時間を大切にするように言われました」
「あー、悔しいけど、姉ちゃんにはまだ敵わない!」
「私もです」
「朝ごはん、一緒に食べよう!残された時間は大切だもの」
「はい」
翌日、昼過ぎ。礼司と仁が龍口家に到着すると、義弘は居間に全員を集めた。結衣と真貴もそこに座り、静かな緊張が漂った。
義弘は一人ひとりの顔を見渡し、大きく息を整えて口を開いた。
「すでにメールで知らせたが――真貴が、伝承に従って千年前へ戻る決意を固めた。私は今の時代に留まるよう強く説得したのが、その思いは揺るがなかった。……そうだな、真貴」
促され、真貴は立ち上がって深々と頭を下げた。
「はい。私の幸せを案じてくださったこと、本当に感謝しています。ただ、私はずっと、なぜ龍神様が生贄の私を千年先へ送り届けたのか、答えを探してきました。つい先ごろも、贄に立ったときの村の人たちの縋るような眼差しを思い出しました。そして伝承の後半を知り、悟りました。私は戻り、村を救うために全力を尽くします。ここまで育ててくださった皆さま、本当にありがとうございます。残された時間、どうかもう少しお力を貸してください」
その言葉に、居間は重い沈黙に包まれた。しばらくののち、義弘が続けた。
「……腹は決まったな。ならば我々も六月十二日に備え、準備を進める」
全員が静かにうなずいた。
「私たちはこれまで、真貴が、賢く、強くなれるよう努めてきた。真貴は医療の基礎を学び、剣を鍛え、馬を操り、弓を射る技も身につけた。だが、まだまだ身に付けてほしいことがある。千年前の過酷な状況を乗り切るのに役立つ知識と技術だ。私は、仁姉さん、礼司とこの日に備えて、やるべきことを検討していた。まず、仁姉さんから説明してもらおう」
仁がうなずいて口を開いた。
「私は歴史を教える。たとえ貧しい村でも租税は課される。無知でいれば一方的に搾り取られるだけ。知識があれば、立ち向かう術も見つかるの」
義弘が言葉を添えた。
「そう、『苛政は虎よりも猛し(過酷な政治は虎よりも恐ろしい、という意)」』という言葉もある。飢饉や疫病も恐ろしいが、村を滅ぼすのは、為政者の無策と圧迫だ」
真貴はしっかりと顔を上げた。
「ありがとうございます。千年前、私は村が苦しい理由を深く考えませんでした。ですが今は、マニやイェイェを通して歴史や世界の現状を知り、考え始めています。もっと学ばせてください」
結衣がすぐに手を挙げた。
「私も歴史を勉強します。真貴ちゃんが挑もうとしていることを、親友として理解したいから」
仁は微笑みながらうなずいた。
「いいわ。それこそ現代に通じる歴史学よ」
次に礼司が口を開いた。
「私は農業を教える。食べられなきゃ生きられない。江戸時代までに編み出された農法、野草や薬草の見分け方と使い方……全部役立つ。村の飢えを少しでも減らすために、必ず知っておかなきゃならない」
義弘はさらに続けた。
「もう一つ。真貴に身につけてもらいたいものがある。むき出しの暴力に対する護身術だ。知佳にも受けさせた訓練だ。野盗に襲われた経験がある真貴ならわかることと思う。是非身につけてほしいと思っている」
真貴は真剣な目で答えた。
「お願いします。千年前の世界は暴力が当たり前でした。命を狙われる場面も避けられないでしょう。恐ろしいですが……どう対処すべきかを知りたいです」
「わかった。すぐに手配しよう」
居間の空気は重くも引き締まっていた。真貴は胸の奥で震えるように思った。
『今日からすべてが変わった』。真貴は十か月足らずでやらなければならないことに身震いした。同時に、ここまで準備を進めていてくれていた義弘をはじめとする龍口家の人々に強く感謝した。
龍口の家族は全員で真貴の帰還を支援する態勢に入った
真貴に残された今の世での時間は十か月しかない




