第四十八話 一族の使命
イェイェは言った
自分の使命は村に戻って、怪我や病気で死ぬ村人を一人でも減らすこと、と……
看護学生には夏休みにいくつかの課題やレポートが課せられる。真貴は八月初めの月曜日の午後、学校に出向き課題図書を借り出して自習室で読み始めた。自習室には、すでに二人の上級生が来て作業をしていた。
しばらくするとイェイェが来た。彼女は自習室の隅の席に座りレポートの作成作業をはじめたようだったが、本を入れ替えながら何度も席を立った。彼女はたびたび髪に手をやり、鉛筆を何度も持ち直した。ため息をついていた。ついには立ち上がり、自習室を出たがいくらもしないうちに戻ってきて、作業を再開した。
真貴は一時間半程度、課題図書を読んでから、トイレに立った。戻ってくると、自習室にはイェイェだけが残っていた。彼女は両手で頭を抱え俯いていた。真貴には彼女が行き詰まり困っているように見えた。そのうち彼女は両手で顔を覆い、泣き出した。
真貴は静かに彼女に近づき、何も言わずに彼女を見つめていた。しばらくして、イェイェは傍らに真貴が立って自分を見ていることに気づき、顔を上げた。目は赤く頬は涙にぬれていた。真貴はそっと声をかけてみた。
「イェイェさん、もしかして困っていませんか?よければ、少し話しませんか?」
イェイェは呆然として真貴を見返していたが、目から新たな涙が溢れだした。しばらくして、ようやく言葉になった。
「真貴さん、教えてください。私、この課題で何を書けばいいのか分からない。ずっと調べた。答えがない」
イェイェが取り組もうとしていた課題は裁判の概要がまとめられた教材を読んで、自分なりの考え方をまとめるというものだった。これまでイェイェが勉強してきたことには必ず正解があり、それにたどり着くことと理解することしかやってこなかったため、対処の方法を見いだせずに苦しんでいた。
真貴はイェイェに、この課題には唯一の正解はないこと、評価は考察の深さと説明の明晰さになるだろうと、根気よく説明した。
イェイェは求められているものは分かったが、取り組み方が分からないと困惑していた。
真貴にはイェイェが祖父母の死を契機に人が変わったように、余裕をなくして自分に厳しく、勉強しているのか気になっていた。
真貴は思い切って聞いてみることにした。
「イェイェさん、おじい様、おばあ様が亡くなってから、とても頑張っているのはわかるのですが、無理をしていませんか?私は心配です」
イェイェはしばらく顔を伏せて言葉を探していたが、やがて顔を上げて言った。
「おじい、おばあは死ぬことで、私が忘れそうになっていた大切な役割を教えてくれました」
真貴は尋ねた。
「大切な役割とは何ですか?」
「村に戻って、怪我や病気で死ぬ村人を一人でも減らすことです」
入学当初のいつもにこやかだったイェイェでもなく、人と距離を置くイェイェでもない、真剣な目をした少女が現れていた。
「私の村は貧しい村です。怪我や病気で簡単に人が死んでしまいます」
真貴は椅子を持ってきて、イェイェを左前に見る位置に座った。
「私はこの国に来て、村を出るとき決意していたことを忘れかけていました。この国は毎日安全。アルバイトをするとお金稼げます。美味しい食べ物たくさんあります。先生たち、ここでずっと仕事をしたらいいと言ってくれました」
イェイェは両手を胸の前で組んだ。
「私は、日本で就職して暮らすことができれば、幸せになれるのではないかと考え始めていました。故郷にはお金を送ればいいと。そんな時、おじい、おばあは死にました。私は大事なことを思い出しました。私の体も心もここに居続けてはいけない。私のいるべき場所はあの村なんです」
イェイェは両手で拳を作っていた。その目には強い光が現れていた。
「おじい、おばあは亡くなって五日後、私の夢に現われました。私は死に目に会いに行けなかったこと、葬式にも行けなかったことをひれ伏して謝りました。おじい、おばあは『いいよ、いいよ』と言ってくれました。そして言いました『賢くなって、強くなって戻っておいで』と。そして二人は龍の姿になって空に消えました」
賢くなれ、強くなれ……真貴は思い出した。中学三年の夏、湯多神社で聞こえた声だった。
「あの夢から覚めた朝、私は誓いました。一人で立てる強さを身につける。この学校でいちばん賢くなる。そして、できるだけ早く立派な看護師になって村に戻ると。龍の一族としての使命です」
イェイェはいつのまにか両手で強く机の天板を握っていた。再び涙が溢れていた。
「それなのに、私にはぜんぜんできない。頑張ってもうまくできない」
真貴は立ち上がり、イェイェを抱いた。
「イェイェさん、そんなに焦らないで。イェイェさんならきっとできます。おじい様、おばあ様は信じて待っていてくれます」
二人の話声がやむと、自習室にはエアコンの音が大きくなった。窓の外からかすかにセミの鳴き声が聞こえた。
真貴はその日の夕方、湯多神社で行われた神楽の練習に参加した。今年の“龍神の巫女”の舞手は真貴である。
練習をしながら真貴の脳裏には多くの思いが湧いてきた。千年前、自分がいた頃の村では龍神の巫女の話も黄金の太刀の話も聞いたことがなかった。やがて蜘蛛の化け物が村を襲うのか?それは何かの例えなのか?だが、黄金の太刀は実在した。では、それを振るう龍神の巫女はどこからくるのか……。
龍口家に戻り、夕食と風呂を済ませ、真貴は自室で机についた。机の引き出しを開けて、久しぶりに、母の形見の篠笛を取り出し、唇に当ててみた。
頭の中では昼間に交わしたイェイェとの会話が再現していた。彼女は言っていた。自分はここに居続けてはいけない、私のいるべき場所はあの村だと……あの村……真貴は千年前の村の様子を鮮明に思い出した。今の町からは隔絶した貧しさ、厳しさだった。怪我や病気で簡単に人が死んでいた。ここでなら、幸せに暮らし続けられる。だが……四年前の夏の朝、湯多神社で聞こえてきた声は「やがて明らかになるなすべきことに立ち向かえる力を蓄えよ」と言っていた。では、私が“なすべきこと”とは……。
真貴は唇から篠笛を離した。
真貴の脳裏にとてつもない“なすべきこと”が浮かんだ。恐ろしい考えだったが、胸に落ちる考えだった。町長に立候補したとき、義人は「人には果たすべき使命があり、その時期はおのずから訪れる」と言っていた。今日、自分は龍の一族の少女の言葉に貫かれ、使命を知ってしまったかもしれない……真貴は呆然とした。
真貴はイェイェの言葉に貫かれた
自分の使命は……




