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第四十六話 パオ族の少女

四月、真貴は佐間の看護学校に、結衣は京都の大学に進んだ

看護学校で真貴は知佳が言っていた少女と出合う

少女は龍の一族、パオ族の者だった

 四月になった。厳しい寒さは去り、日差しも柔らかく感じられる時期になったが、佐間の桜はまだつぼみのままであった。


 真貴は無事に佐間看護学校に入学した。結衣も志望通り同立舎大学の文学部に入学し、京都での生活をはじめた。


 佐間看護学校の入学式には知佳から聞いていたミャンマーからの留学生は現れなかった。真貴は少しがっかりし、同時に何かトラブルがあったのではと心配していた。留学生は一年生の新学期が始まって、十日が過ぎた頃に一年生に合流できた。学校関係者の説明によれば、ミャンマー側にいろいろ不備があって入国までに時間がかかったとのことだった。やや小柄で笑顔がかわいい留学生の名はナン・イェイェ・モーと紹介された。自己紹介では「イェイェ」と呼んでくださいと言っていた。


 佐間の看護学校では、一年生は座学を中心に授業が進められるが、「演習」という実技を伴う授業も少ないながら始まった。演習は基本的には二人一組になり、交互に一人が患者役、もう一人が看護師役となって行うロールプレイである。日本人学生の大半が、イェイェと組むのをためらうのが分かり、真貴は進んでイェイェとパートナーになった。


 真貴がイェイェに、サンダーバードの龍口知佳を知っているかを尋ねたところ、イェイェは、災害現場で頑張る知佳のようになりたいと、日本留学を強く希望したという。真貴が自分は知佳の親類で、自分も知佳のようになりたいと思い看護師を目指していると打ち明けた。真貴とイェイェは親しくなった。授業が終わった後、昼休みや放課後に話すことが多くなった。看護科の生徒はたびたびレポートを提出しなくてはならない。真貴はイェイェのレポート作成の相談に乗った。彼女は真貴に日本語の使い方を何度も確認した。言葉に苦しみながらも乗り越えようとする努力に、真貴はかつての自分を重ねイェイェに助力した。


 管理栄養士の龍口圭は、佐間病院の食事計画にかかわっており、病院の幹部たちと親しい。その圭によると、イェイェは佐間看護学校が初めて受け入れたミャンマー人留学生とのことだった。看護師不足に悩む総合病院は彼女を特待生として受け入れた。学校の幹部は、イェイェの授業や実習の様子、日本への積極的な順応ぶりを見て大変喜んでおり、病院としても、卒業後は彼女にぜひ残ってもらいたいと考え始めているらしい。


 優しく接してくれる真貴にイェイェは心を許し、いろいろと身の上を打ち明けた。彼女は少数民族パオ族の出身だった。伝説によるとパオ族の始祖のお母さんは龍であり、お父さんは空飛ぶ鳥人であった。その二人が結婚して龍であるお母さんが産んだ卵から出てきたのがパオ族だということだった。


 イェイェは自分の家族の話もした。パオ族の多くの家庭と同じく彼女の実家は農業で生計を立てていた。現在は祖父母を含む七人家族とのことだったが、もともとは大叔父、大叔母をはじめ多くの親類がいたのだが、内戦や自然災害で、多くの親類が命を落としたとのことだった。真貴は一族が穏やかに暮らしていた勢多での暮らしと、浅間山が噴火した後の荒廃した村の様子を思い出し、胸が痛んだ。


 六月の半ば、少し遅くなった真貴が帰宅しようとしていると、校舎の廊下の片隅でイェイェがミャンマーの言葉で電話をしているのに気が付いた。意味は分からなかったが、言葉の響きから重たい内容であることは推察できた。


 真貴が立ち聞きはよくないと思い静かに廊下を通って出入口に向かおうとしたとき、電話を終えたイェイェが顔を上げた。真貴はイェイェと目が合った。彼女の目からは大粒の涙がこぼれ頬を濡らしていた。二人は少しの間、無言で立ち尽くしたがイェイェが泣き声を上げながら真貴に抱きついてきた。

「真貴さん、どうしよう、おじいとおばあ、死んだ」

 真貴は彼女をドリンクコーナーへ導き、落ち着くのを待った。


 おじいとおばあは野盗に襲われたと聞かされた。まずおばあが襲われた。野菜を収穫しようと畑に出向いたおばあは、野菜を盗もうとしていた連中と鉢合わせになった。盗賊はおばあを撃った。その銃撃音を聞いて駆け付けたおじいも撃たれた。盗賊は逃げ出したが、おじいもおばあも銃創を負った。二人とも重傷ではあったが、その時点では命があった。しかし、村には医師はおらず、設備と医師のいる病院にたどり着くまで、数時間かかり、おじいおばあは亡くなったとのことだった。


「私の村、お医者さん、看護師さんいない。怪我人、病人、行くところない」

 

 真貴は野盗と闘い深手を負って亡くなった叔父を思い出した。翌年、体調を壊し発熱しやせ細って亡くなった父を思い出した。あの時、自分は泣くばかりで何もできなかった。真貴は現代に来て、龍口家に迎えられたときの仁との会話を思い出した。真貴が「今の世では誰でも病院で治療を受けることができるのか」と尋ねたところ仁は「できる」と答え「今は身分制度がなくなっている」と言ったが、それは今の日本に限ってのことだとあらためて知った。


 イェイェは語った。今回のような事件は年に一、二度は起こる。それに加え、地雷により大怪我を負うようなこともある。病気も多い。難産あるし、産後のケアも不十分で、医療が圧倒的に不足している……。

 語っているうちに、イェイェは落ち着いてきた。最後は涙を拭いて立ち上がり、真貴に深々と礼をして、寮に帰って行った。


 真貴はその夜なかなか寝付けなかった。イェイェの心の痛みが、真貴がふだんは心の奥底にしまっている痛みを呼び覚まそうとしていた。


 ようやく寝付いたものの真貴は恐ろしい夢にうなされた。はじめに現れたのはニュース映像か何かで見た風景だった。ジャングルの中を半裸で銃を抱えた男たちが近付いてきた。近づくにつれ男たちの様子が変わった。男たちは上野から信濃に移動中の真貴の家族を襲った野盗たちだった。父と叔父、郎党たちが盾となって食い止めるのを背に真貴は弟の手を引いて走った。いつのまにか場面はショッピングモールの駐車場になっていた。手を引いていたはずの弟は窃盗犯の少年マニになっていた。少年は悲しそうな顔でじりじり近づいてきた。マニは小さく「助けて、助けて」と繰り返している。見る間に様子が変わり少年は弟の小太郎だった。真貴は白装束を着て小太郎に「私はいまから龍神様の許にお使いに行きます」と告げた。小太郎はかぶりを振って真貴にしがみついてきた。


 真貴は小太郎を振りほどこうとして目が覚めた。寝汗をびっしょりかいていた。弟を突き離そうとした感覚が両手にあった。真貴は罪の意識に涙が出てきた。


 ぼちぼち梅雨が始まりつつあった。空は雲に覆われ星は見えなかった。蒸し暑くはなかったが、空気は重く湿ってきていた。


 祖父母を亡くした後、イェイェはしばらく打ちひしがれた様子だった。口数が少なくなり、昼食を学食の隅で一人で食べ、俯いていることが多くなった。真貴はイェイェが心配だったが、どう接したらいいのかわからず、しばらく様子を見ることにした。

 

 七月に入るころには本格的な梅雨になった。佐間の野山は細かな雨に煙り、田植えの後、伸び始めた稲に雨粒が散っている。


 イェイェの様子が徐々に変化してきた。次第に顔を上げるようになり、会話も増えてきた。ただ、表情や雰囲気が別人のように変わってきた。以前はいつもにこやかで、「おはようございます」「ありがとう」と柔らかな響きで挨拶をしていたのが、表情が乏しくなり、挨拶は事務的になった。学習態度も変わってきた。席を自由に選べる講義の時、以前はやや後ろ側の席に座って背を丸めるようにノートをとっていたが、最前列近くに席を取って、集中力をあげて講義を聞くようになった。講義後も頻繁に講師に質問をするようになった。


 夏休み前の看護技術総合演習で、真貴はイェイェとパートナーシップを組んだ。真貴はイェイェが目指す演習の出来栄えをとても高いレベルに設定していることに気が付いた。動作に少しのミスもないように、それでいて素早くできるよう、イェイェは執拗に自分を追い詰めていた。失敗が続いたとき、真貴が「少し休んでからやろう」と提案したが、イェイェはかぶりを振って挑戦を続けた。演習の成果についてはレポートを提出しなくてはならない。真貴は以前のようにイェイェのレポート作成の相談に乗るつもりだった。イェイェは自習室で辞書を広げて、長い時間かけてレポートに取り組んでいた。真貴は「大丈夫?わからないとこ、ない?」と声をかけたが、返事は「ありがとうございます。自分でやってみます」というものだった。


 この年は比較的早めに梅雨が明けた。佐間を取り巻く山々の緑に溢れ、町の樹々からはセミの鳴き声が大きくなった。


傷心のパオ族の少女、イェイェを真貴はそっと見守る

そして、佐間に夏が訪れつつあった

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