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第四十三話 騎射奉納

空は澄み、杜の樹々が色づく

ついに例祭、騎射奉納の日がやってきた

 小昏鹿島神社の例祭の日が来た。前日までの雨が上がり、空は澄み、杜の樹々が色づく。大銀杏の落葉が参道に金のじゅうたんを敷いていた。


 流鏑馬の馬場は参道と駐車場の一部を併せて設けられた全長百七十メートルほどのものになった。有名神社の流鏑馬の馬場ほどの長さは残念ながら確保できなかったが、規模は小さいながらも流鏑馬はできそうだった。宮司の吉野は、流鏑馬指導者の大伴のアドバイスに従い、幕や的などを用意し、見物人と馬場を仕切るロープは前日の夜に設置して、真貴の練習に備えた。


 真貴は早朝に起き出し、食事の後、着付けと身の回りの世話を担当する美和子と一緒に、圭の運転する車で神社に入った。真貴は例祭が始まる前に二度だけ練習することができた。不安なことは多々あったが、大伴の指示で落ち着くことができた。


 例祭は午前九時から始まった。修祓しゅばつ献饌けんせん祝詞奏上のりとそうじょう、さらに玉串奉奠たまぐしほうてんと進み、いよいよ流鏑馬奉納となった。


 真貴は美和子が用意した巫女装束を着て天冠をかぶり、大伴が手綱を取る馬にまたがり、参道の入口から本殿に向かいゆっくりと進む。参道には流鏑馬を初めて見ようという多くの人が集まっていた。


 参道の比較的良い場所には、来賓席も設けられた。神社のある小昏の町長や氏子総代に加え、山野辺神社をはじめ近県の神社で流鏑馬を仕切っている人も招かれていた。


 栗毛の馬に、背筋を伸ばし顔を上げて乗る巫女装束の真貴の凛とした姿に参道には小さなどよめきが広がっていた。


 参道の半ば過ぎで、真貴は馬を降り、待っていた美和子、大伴と一緒に本殿に向かった。吉野が祝詞を奏上し、参拝を済ました。そのまま本殿の脇に設けられた支度場所に向かい、美和子の助けを借りて、袴の裾や、千早の袖口を絞り、襷をかけた。馬は大伴が支度場所まで引いてきた。真貴は馬にまたがる。


 小昏鹿島神社関係者の流鏑馬会場の安全を確保する作業が完了した旨の連絡が大伴の携帯に入った。大伴は、真貴が駆けるコースを徒歩で進んで最後の確認を行った。この後はゴールに立ち、スタートの合図を送るとともに、走りこんで来る馬を止めるのに備える。


 真貴はついにスタート地点に馬をつけた。的の手前には矢を放つ場所の目印を示すため旗が立ててある。緊張感で高まりつつある動悸を沈めるために大きく深呼吸をした。左手に握った弓の弦を右手で何度か弾いて感触を確かめた。

 やがて、ゴール地点にいる大伴が右手を静かに上げた。真貴は駆けだす前の体制を整え、目を凝らした。大伴の手がさっと下がった。真貴は馬の脇腹を足でぐっと押した。馬が走り出した。


 龍口家の家族は礼司と義人の運転する車で流鏑馬会場に着いた。体調のすぐれない義弘のために義人はキャンピングチェアを持参していた。矢を射る場所からは、やや離れた場所ではあるが、参道沿いの場所を確保し、キャンピングチェアに義弘が腰を下ろし、仁、礼司、義人、圭、そして結衣が周りを囲んで、真貴の登場を待った。


 小一時間ほど待つとようやく流鏑馬奉納の儀式が始まった。観客のどよめきが大きくなり参道の入口から大伴が引く馬に巫女装束の真貴がまたがり、見物客の前をゆっくり通り過ぎて行った。結衣は自分が用意した天冠をかぶり美和子が整えた衣装に身を包んだ真貴が神々しく、誰かれなく自慢したい気分になった。


 真貴が本殿の方に向かい、少し時間がたった後、結衣には神社関係者が規制のロープから参道に踏み込んでいる見物客を下がらせ、大伴が目の前を参道入口に歩いていくのが見えた。その後、本殿の方で見物客のどよめきが起こった。人垣越しに見ると、真貴が衣装を乗馬姿に整えて弓を弾いている。いつもは穏やかな真貴の周りの空気が一変し、オーラが溢れだしているように結衣は感じた。結衣は自分の動悸が高まっていることに気が付いた。次の瞬間、真貴が駆けだした。


 馬が走り出した瞬間、真貴は意図していたより速く走り出してしまったと感じた。左手の先に目印の旗が迫ってくる。左手で弓を起こしながら、右手で番えた矢を一気に引き絞る。左目が的を捉えた。左に体を回しつつ、矢を放った。一瞬『外したか』と思ったが、木板がはじけ飛ぶ乾いた音がした。急いで足で馬の胴を締めながら、右手で手綱を取って引く。正面に両手を大きく広げた大伴が見えた。大伴が馬の左に回り込みながら、手綱を取って動きを抑えた。


 龍口家の面々は一斉に身を乗り出した。観衆のどよめきの中、蹄の音を響かせ、背で結んだ緑の襷の緒をなびかせて真貴が駆けてきた。天冠が秋の日差しを受け煌めいている。あっという間に真貴は目の前を通り過ぎた。次の瞬間、乾いた破裂音が弾け、観客が一斉に湧いた。『成功した!』結衣は右手を天に突き上げた。


 参道入口で大伴は馬の手綱を締めながら真貴に声をかけた。

「よくやった、見事だった。右、どうする?ここでやめても、まったく問題はないぞ」

「行きます、行かせてください」

「よし、分かった」

 大伴は携帯で神社関係者を呼び出し、再度、的を用意し、馬場の安全を確保するよう、指示した。真貴は大伴に差し出されたペットボトルで水を一口飲んだ。やがて、大伴の携帯が鳴り、準備が整ったと伝えてきた。

「では、向こうに行く」

 大伴は右手を胸元にやり、こぶしを握った。真貴は大きくうなずいた。


 観衆は、一度は流鏑馬が終わった雰囲気になった。帰ろうとしている者もいたが、神社のスタッフが、再度、的を用意し、馬場の安全を確保しはじめたので、まだ続きがあると知った。来賓たちも、特に近県の神社の流鏑馬関係者は戸惑っていた。その前を大伴が進んできて、来賓たちに会釈して本殿側に歩いて行った。


 龍口家の面々にとっても予想外の展開だった。義弘が礼司に尋ねた。

「真貴はもう一度射るのかね?」

「私にもわかりませんが、何かそういう感じですね」

 結衣は真貴が心配だった。凄い緊張感で騎射を終えたばかりなのに、皆が真貴にこれ以上の期待をかけることを不安に感じていた。


 参道入口側のどよめきが大きくなった。再び真貴が駆けだそうとしていることに結衣が気づいた。

「おじいちゃん、真貴ちゃん、今度は向こうから駆けてきて射るみたいよ」

 結衣の言葉に反応したのは仁だった。

「えっ?!右側の的を射るの?」

「たぶん、そうじゃないかな。真貴ちゃん、もともと左利きだから」

「だとしたら歴史的なことよ。私は文献で一度だけ目にしたことがある」


 真貴は馬上から、大伴が本殿側のゴール地点に着き振り返る様子を見ていた。大伴は大きくうなずくと、右手をあげた。真貴は右手に弓を持ち、左手で矢を番えた。一度目を閉じ、大きく息を吸い静かに吐くと、周囲のどよめきも、観衆の動きも気にならなくなった。ふいにかつて礼司から聞いた言葉が脳裏に浮かんだ。

『きっと龍神様が守ってくださる』

 大伴の手が下がった。真貴は馬の脇腹を足で押した。馬が走り出した。 すぐに矢を放つ目印の旗が迫ってくる。右手の弓を的に向けつつ左手で引き絞る。的をしっかり見ながら体を右にねじり、矢を放つ。永遠のような一瞬の後、的が弾け散る乾いた音が聞こえた。


 突然大きくなった歓声の中、真貴が参道入口側から駆けだしたのを結衣は見た。息をする間もなく、的に迫り、矢を放った。命中音が境内に響く。結衣は、真貴がいったん大きく開いた左腕をたたみ、胸元を押さえ、一瞬天を仰いだのが見えた。観衆が一斉に立ち上がったので、本殿側に走り去った真貴の姿は、結衣の視界から消えた。

「……すごいことをやり遂げたな」

 礼司が呟いた。

「まったく伝説の子ね」

 仁が続け、座っている義弘を見た。義弘の目には涙がたまっていた。

「義弘、どうしたの?」

 仁が尋ねると、義弘がこたえた。

「真貴は強くなった、ほんとうに強くなった……まさしく龍神の巫女だ」

 仁が義弘の肩に手をおいた。

「そうね……やはり、予言は自ずから実現するものなのかもね」


 本殿側のゴールの前で、大伴は真貴の右への騎射を固唾をのんで見守っていた。走り出したときの速度が想定より速かったので『まずい』と思ったが、真貴は冷静に弓矢を操作し、絶妙のタイミングで矢を放った。命中音が響き的が割れて木片が宙に舞うのがスローモーションのように見えた。一瞬、天を仰いだ真貴が馬の速度を落としながら入ってきた。大伴は手綱を取って馬を抑えた。


 真貴が馬から降りた。真貴は両手で弓を握り、紅潮した顔で大伴に言った。

「先生、できました。ありがとうございます」

 大伴は真貴の両手の上に自分の両手を重ねた。

「ほんとうによくやった。やり切ったな。見事だった」

「先生のおかげです。はじめたときには想像もできなかったところまで連れてきていただきました」

「いやいや、君は自分の力で登り切ったんだ。最高の弟子だ。君の成長にかかわれたことは私の誇りだよ」

大伴は笑顔で来賓席を指した。

「見てごらん、来賓席を。流鏑馬の関係者が総立ちになって君を見てる」

 真貴は弓を左手に持ち直し、来賓席に向かい、深くお辞儀をした。大伴には何人かの関係者が、立ち上がり拍手をしているのが見えた。


 真貴が支度場所に戻ると、吉野宮司と美和子が待っていた。美和子の目は涙でいっぱいだった。美和子は真貴をしっかり抱きしめた。

「真貴、よく頑張りました。真貴ならできると信じてました」

「おばあ様、ありがとうございました。この衣装に力をいただきました」

 我慢できずに吉野宮司が声をかけてきた。

「望月真貴さん、ありがとう。ほんとうにありがとう。私がはじめに考えていたより、何十倍も素晴らしいものになりました。この神社始まって以来最高の奉納ができたと思います」


 美和子の助けを借りながら、真貴は襷を外し、袴の裾や千早の袖口を絞っていた紐を解き、着付けを直した。吉野はスタッフから真貴が射た二本の矢を受け取った。馬を停めに行っていた大伴も戻ってきた。四名は支度場所を出て本殿に向かった。

 本殿前におかれた祭壇の上の三宝に吉野は二本の矢を載せ、一歩下がった。その後ろに、左手に弓を持った真貴を中心に大伴と美和子が並んだ。吉野は深々とぬかずいた後、懐から奉書を取り出し、流鏑馬の奉告祝詞を奏上した。


「掛けまくも畏き小昏鹿島の大神よ。

今日の例祭にあたり、龍神の巫女 望月真貴、騎射の技をもって奉納の務めを果たし、無事、流鏑馬の儀を仕え奉りぬ。

この奉納の矢は、邪を祓ひ、道を拓く祈りをこめて捧げ奉るものなり。

願はくは、この地に安寧と豊穣を授け給ひ、氏子らが営みを守り導き給へ。

また奉仕の者の身魂を清め、その使命を果たす道を照らし給へ。

畏み畏みも、申すあへなきかしこさにて、申し上げ奉る。」


十一月の空は蒼々と高かった。色づいた木々の葉がときおり風に乗り境内に舞った。風はやや冷たかったが、流鏑馬の昂奮冷めやらぬ真貴には心地よかった。


挿絵(By みてみん)

真貴は奇跡のような左右への騎射を成し遂げた

祝詞が響く 「その使命を果たす道を照らし給へ」

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