第四十一話 騎乗の巫女(一)
昌平の説明を聞いて美和子は真貴の流鏑馬の衣装を最高のものにする決意をした
真貴が手元から去る日まで限られた時間しかないかもしれない……
昌平の説明を聞いてから、美和子にはひとつの決心が生まれた。
真貴の流鏑馬の衣装を最高のものにすることである。もともと、真貴にふさわしい衣装を用意してやりたいとは思っていたが、真貴が手元から去る日まで限られた時間しかないかもしれないとわかり、二度と会えなくなる娘の嫁入り衣装を選ぶ気持ちになっていた。
この目的のために、美和子は圭からインターネットの検索術を学んだ。連日、日本各所で行われる流鏑馬の写真や動画を見たり、流鏑馬衣装のオーダーメイドサイトを覗いたり、さらにはイラストまで調べ、真貴を最も輝かせる衣装を考え続けた。
美和子が最も惹かれたのは青森の十和田市で開催されている女流騎手だけが参加するスポーツ流鏑馬大会 「桜流鏑馬」であった。動画では各々工夫を凝らした衣装の女流騎手が見事な技を披露している。しかし、これらの衣装を真似るだけでは、真貴にふさわしい衣装にはならないと美和子は悩んでいた。
九月の初めになって、美和子は結衣の意見を聞こうと電話した。
「もしもし、結衣、おばあちゃんです」
「こんばんは。おばあちゃん、元気?おじいちゃんの具合はどう?」
「私は元気よ。おじいちゃんも、ちゃんと療養してるわ。結衣は大丈夫?」
「もっちろん!今日はどうしたの、わざわざおばあちゃんから電話なんて?」
「真貴の流鏑馬の時の衣装を相談したかったの。今、時間は大丈夫?」
「大丈夫だよ。なにかアイデアがまとまったの?」
「それが、まったくまとまらないのよ。ネットで動画を見たら、華やかで豪華な衣装が多いのだけど、真貴にあまり似合うとは思えなくてねぇ」
「私もそう思うよ。真貴ちゃんって、素顔がすっきりしてて綺麗でしょ。派手な衣装や濃いメークは、良さを損なっちゃうと思うんだ」
「どうしましょう……」
「あのね、私が思う真貴ちゃんの良さが最高に発揮できる衣装があるんだ」
「それはなあに?」
「湯多神社で“龍神の巫女”を舞うときの衣装だよ。姉ちゃんの“龍神の巫女”もよかったけど、真貴ちゃんの“龍神の巫女”は、なんていうか本物が舞ってるような感じがしたんだよね」
美和子は二年前に真貴が“龍神の巫女”を舞ったときの姿を思い出した。その凛とした美しさ、気高さは息をのむものだった。
「たしかにそうね」
「だからさ、巫女の衣装を馬に乗って弓がつかえるようにまとめることができたら、いいんじゃないかと思うんだけど、どうかな?」
「それはいいわね」
美和子の中に、巫女装束で騎乗する真貴の姿が浮かんだ。同時に、もう一つ、大事なこと、馬に乗って弓がつかえる衣服であれば、真貴が千年前に戻るときに身に着けることができるのではないかとの考えが浮かんだ。
「ねえねえ、おばあちゃん。ひとつ教えてくれない?」
「なあに?」
「巫女になって舞うとき、頭に着ける金色の飾り、なんていうんだっけ?前に聞いたことあるけど思い出せなくて……」
「あれは『天冠』というのよ」
「ありがとう。私ね、真貴ちゃんが巫女の衣装で流鏑馬するんだったら、金色の紙で天冠を作るから、被ってもらいたいの。金属製だと危ないだろうから」
「結衣は、いいことをどんどん思いつくねえ」
「だって、私が一番真貴ちゃんのことを分かっているんだから」
九月半ばを過ぎると佐間の町の空気は夏から秋へと入れ替わる。空は高く、空気は澄んでいる。山々の樹々はまだ色づいてはいないが、盛夏の勢いはなく、つくつくほうしの鳴き声も遠くなった。乗馬クラブのあちこちにはコスモスが植えられ、可憐な花が野を渡る風にそよいでいる。
九月第三週の土曜日、真貴は流鏑馬の練習に余念がなかった。騎乗のまま矢を射ることについては、ほぼ問題なくできるようになった。今の段階で課題は、馬の速さと矢を放つタイミングであったが、これも真貴の記憶にあった父親の騎射のイメージに近づき、見通しが立ってきた。
この日は午後から大伴の指導を受けることになっていたが、真貴には試してみたいことがあった。実は先週から、龍口家の庭に設けた練習場でやってみて、それなりに手ごたえをつかんでいた。
真貴はいったん馬から降りて、練習のために放った矢を回収した。矢を箙に収めたが、箙の位置を右腰から左腰に変えた。馬上に戻り、的を右手に見る位置で止めた。弓を右手に持ち替えた。いったん目を閉じ、イメージを再現した。目を開け弓を構え、矢を番えずに左手で弦を引き放ってみた。この段階で想定と実動とにずれはない。真貴は意を決して、馬を速歩で進めた。
左手の操作で矢を番え、弦を引き矢を放つ。タイミングが遅れ、的からは大きくそれたものの騎射はできた。馬を戻し、イメージを修正し、再度挑戦した。繰り返しているうちにタイミングが合ってきた。弓矢の操作に関してもどかしさは少なくなっていた。昼まで繰り返しているうちに、駆歩でもかなりの確率で的に当たるようになってきた。
大伴は昼過ぎに乗馬クラブに着いた。ぐんぐん成長を見せる真貴の指導は大伴にとって、もはや最高の楽しみになっていた。真貴の流鏑馬の技量は十分に人前で披露できるレベルに届いており、矢の命中率と馬の速さをどの程度でバランスさせるのかを考える段階だと大伴は考えていた。
乗馬クラブの敷地は広い。流鏑馬を練習している場所は、クラブハウスから馬で十分程度のところにあり、クラブハウスとは低い丘と林で隔てられている。大伴は馬に乗り、初秋の風を楽しみながらゆっくりと練習場に向かった。林を抜け、丘を越えると練習場が見えてくる。大伴の視界に、騎乗している真貴の姿が見えてきた。大伴はその風景に違和感を覚えた。次の瞬間、違和感の正体に気づき、大伴は驚愕した。真貴は右手で弓を持ち、左手で矢を番え放っていた。しかも、馬の速さは馬はやや速い駆歩であった。あっけに取られて大伴はしばらく、真貴の練習模様を眺めていた。
やがて真貴の方が大伴が来ていることに気づいた。真貴は馬を降り、弓を左手に持ち替え、丘の上の大伴に丁寧に頭を下げた。大伴は丘を下り、真貴の傍らまで来て馬を降りた。
「先生、申し訳ありません。自分勝手なことを試していました」
真貴は改めて頭を下げ、詫びの言葉を述べた。
「謝ることなど何もないよ。私は……私は、ただ驚いている。右手で弓を握り矢を射るなんて、しかも走る馬の上から射るなんて、考えたこともなかった」
「流鏑馬は神聖な儀式と伝え聞いています。右手に弓を持つことが伝統や信仰に反するようでしたら、もう二度としません」
「いやいや、そんな風に考える必要はまったくない。そもそも流鏑馬は女人禁制だったんだが、今、そんなことにこだわる指導者はいない。それなら左右どちらで矢を射ろうとも伝統や信仰に反することはない」
「ありがとうございます。心が楽になりました」
「それでいい。それより、右手に弓を持っての騎射をもう少し見せてくれないか?いろいろ考えたいことが出てきた」
「はい、ではやってみます」
真貴は練習で放った矢を回収して、再び乗馬し、弓を右手に持った。早めの駆歩で馬を駆り、左手で矢を放った。大伴は指示は出さずに、ただ黙って見ていた。
大伴は例祭での流鏑馬の情景をイメージしていた。むろん、これまでに真貴の成長レベルに合わせ、イメージを修正してきたが、今回の修正は、これまでのイメージを根底から覆すものになりつつあった。
真貴は騎射を左右で行える技を身につけつつあった
指導者の大伴は、誰も想像したことがない流鏑馬の情景を思いはじめた




