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第三話 我が名はマキ

言葉が通じず、途方に暮れていたマキの前に、高齢の男女が現れた


女性が話しかける「我が言の葉はわかりはべるや?」

マキが分かる言葉だった。



 マキは不思議な仕掛けだらけの部屋から、窓のある部屋へと移された。窓には透明な板がはめられ、外の風は入らなかったが、朝昼晩の移ろいが分かるようになった。


 少し起き上がれるようになったが、依然として左肘に巻かれた布から延びる紐が衣紋掛けの袋とつながり、手首と指先には紐のついた器具が取り付けられていた。襟のない水色の衣を着た女性たちが、食事から体を拭くこと、排せつの世話までしてくれた。朝になると、白衣をはおった優しい目の男性が現れ、平たい金属の小皿のようなものをマキの胸や背に押し当て、何かを確かめては水色の衣の女性たちに声をかけていた。


 マキは、こんなにもよくしてもらっていることが申し訳なく、ありがたく思いながらも、自分の言葉はうまく伝わらず、相手の言葉もよくわからなかった。部屋を移った日から、食事が出されるようになった。お粥と野菜の煮物から始まり、回を重ねるたびにおかずが増えた。マキがこれまで食べたことがない美味しくてぜいたくな食事だった。


 部屋を移って三日目には体に取り付けられていた器具が取り外され、立ち上がることができるようになった。(かわや)(トイレ)と沐浴(もくよく)(シャワー)のやり方を身振り手振りで教わり、一人で行えるようになった。マキが全く知らないやり方であり、初めての沐浴の際に壁の金具からお湯が噴き出してきたときには驚愕してしまった。


 四日目の昼過ぎに、濃い色の窮屈そうな衣を着た男性二人と女性一人が白衣の男性とともにやってきた。女性が男性たちと相談しては盛んに話しかけてきた。何かを尋ねられていることは分かったが意味が理解できないため、マキは首を振っては「モウシワケアリハベラザレドワカリハベラズ(申し訳ありませんがわかりません)」と何度も繰り返した。やがて三人は白衣の男性に促されて帰っていった。


 一人の時間、マキはひたすら窓から外の風景を見ていた。空も遠くの山々もなじみのあるものだったが、点在する建物や建物の間を貫いている道やその上を移動しているものはまったく見知らぬものだった。夜になっても闇は訪れず、家々や道の上に無数の灯が流れていた。マキはきっと自分は龍神の力で別世界に連れてこられたのだと考え、自分を納得させた。ただ、生贄の自分はここで何をしたらいいのか、龍神の意図を図りかねていた。


 やがて五日目の昼過ぎ、高齢の男女が白衣の男性に案内されてやってきた。男性は濃紺のゆったりした衣、女性は浅葱色の美しい衣をまとっていた。マキには比較的なじみのある服装だった。二人はしばらくマキを見つめ、やがて女性が微笑み、腰をかがめてゆっくりと話しはじめた。

「我が名はサトと申す。御身、我が言の葉はわかりはべるや / 私の名前はサトと言います。あなた、私の言葉が分かりますか?」


 マキは驚き、涙がこぼれた。

「わかりはべる、わかりはべる。ようよう言の葉通ずる人に出会ひはべりき / わかります、わかります。ようやく言葉が通じる人に出会いました」

「御名をお聞かせたまへ / お名前を教えてください」

「我が名はマキと申す / 私の名前はマキといいます」 

 サトと名乗った女性はマキの傍らに腰を下ろし、しマキの肩を抱き、しずかに話しかけてきた。


「マキ……御身は屹度恐ろしき目にあひしことならむ。よくぞたへはべりき。いまは、うしろやすうて候ふ。我ら、御ことの御まうでを、ひねもす、待ちわびまいらせ候ひき / マキ……あなたはきっと恐ろしい目にあったことでしょう。よく頑張りました。もう安心してください。私たちはあなたと出会う日を、ずっと待っていました」


 張りつめていたものが緩み、思いがあふれ、マキは嗚咽を抑えることができなくなった。何か話さなくてはと思ったが言葉にならなかった。女性はマキの背を優しくなでながら続けた。

「何も話さざりてもよかりはべるなりかし。御身は我等にとりてだいじなる人なり。是より先のことは我等に任せたまへ / 何も話さなくてもいいんですよ。あなたは私たちにとって大事な人です。これから先のことは私たちに任せてください」


 サトはマキの肩を抱いたまま、マキは今、体を治す所にいること、もう少ししたらここでの生活が終わり、その後は同行してきた自分の弟「ヨシヒロ」のところに迎えられる予定であることなどを丁寧に説明した。サトの弟は微笑み大きくうなずいていた。


 佐間総合病院での面談を終え、義弘と仁は無言のまま車に戻った。車が動き出して間もなく、義弘が堪えきれずに口を開いた。

「……姉さん、義人の話じゃ、潜龍窟が本当に開いていたそうだ。やっぱり、マキちゃんは本物だな。間違いない」

 仁は前を見据えたまま、静かにうなずいた。

「ええ、本物でしょうね。あの年で、あの口調と語彙……平安時代の口語を自然に話せる子なんて、今の世にはいない」


「とうとう、言い伝えの子が……来たんだなあ……」

「でも義弘、感激してる場合じゃないよ。退院までに受け入れの準備をしないと。まず、あの子をどうやって龍口家で迎えるつもりなの?」

「その点は、義人と打ち合わせてある。警察としては、マキちゃんは“身元不明で記憶喪失の未成年”という扱いになるだろうから、まずは児童相談所に話がいく」


「そのあとは?」

「役場にも通知が来て、相談所と連携して保護先を探すことになる。義人の総務課の管轄だ。我が家が仮保護という形で引き受けることにすれば、筋も通る」

「引き取ったあと、どうするの?」

「表向きには“事故で親を亡くした遠縁の子”ということにする。我が家の一員として迎えて、普通に学校に通い、普通の生活を送ってもらいたい。幸い、うちには同じ年頃の結衣がいる。あの子なら、きっとマキちゃんの支えになってくれると思う」


「そうね、結衣ちゃんなら……。マキちゃんにとって、まずは言葉の壁が大きいけど、同年代の子と触れ合うのはいい刺激になるわ。私も、しばらくはできるだけ通うつもり。最初は通訳がいるだろうから」

「助かるよ、姉さん。よろしく頼む」


ついに現れた伝承の子


龍口義弘は受け入れ態勢を整える

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