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第三十八話 流鏑馬(やぶさめ)(一)

龍口家に来て八年 真貴は高校三年生になっていた

礼司に連れられ、結衣とともに訪れた乗馬クラブで真貴は流鏑馬の騎手を頼まれる

 真貴が龍口家に来て八年目に入った。中学校卒業後、真貴は佐間町内の高校に進学した。結衣は長野の進学校に入り寮生活を送っていた。


 五月一日の昼頃、結衣は帰省した。やりたいことはたくさんあった。母の手料理が食べたかった。田んぼの中の道を散歩したかった。満天の星空を見たかった。そして真貴と思いっきりおしゃべりしたかった。


 結衣が圭の手伝いをしながら待っていると、自習で学校に行っていた真貴が帰って来た。母屋の玄関があく音がすると、結衣は待ちきれず玄関まで迎えに出た。

「真貴ちゃん、おかえりーっ!」

「結衣ちゃん、ただいま。そして、おかえりなさい」

「そっか、私もおかえりか」


 二人がそろって居間に入ると、義弘と美和子が笑顔で待っていた。義弘がにこにこしながら言った。

「二人とも、おかえり。久しぶりに二人そろっているところを見ることができると嬉しいよ」

 美和子が続けた。

「ほんと、二人とも素敵なお嬢さんになって……」

「おばあちゃん、真貴ちゃんが恥ずかしがってるよ。そうだ、おじいちゃん、この頃どう?」


 義弘は昨年末に大腸がんが見つかり摘出手術を行った。幸い、さほど進行していなかったので無事取り除くことができたが、目下投薬治療、食事制限が続いていた。

「別に変わらんな。酒を飲めないのは寂しい。寿命を少し縮めても飲みたいなあ」

 義弘が冗談めかして言った。

「そんなこと言わないで養生して、おじいちゃん。うちでは管理栄養士のお母さんがメニュー管理してるから、健康管理はバッチリだから」


 美和子が結衣に尋ねた。

「今回はいつまで居るの?どこか行く予定とかあるの?」

「うん、五日の午前中まで居るつもり。明日の昼から真貴ちゃんと一緒に乗馬クラブに行こうと思ってる。礼司叔父様が連れて行ってくれるって言ってた」


真貴は高校に入ってから礼司に誘われて乗馬をはじめた。礼司は乗馬ができた。農学部の准教授時代に中央アジアでの長期にわたる調査に参加した際に習得していた。礼司の農学部関係者の一人が佐間の町からやや外れたあたりで乗馬クラブを経営しており、礼司もその会員の一人だった。


 礼司から「馬に乗ってみないか」と誘われた際、真貴は昔、勢多にいた頃は家に馬がいて、何度か父に乗せてもらったことを思い出し、乗馬クラブに同行した。はじめは馬の大きさと動き出してからの独特の揺れに戸惑ったが、半日もかからずコツらしいものがつかめ、馬とのコミュニケーションが楽しくなった。コーチも真貴の習得力に驚いた。礼司が真貴は剣道の高校チャンピオンクラスであることと、神楽の巧みな舞い手であることを明かすと、体幹の強さと精神の安定が見て取れると感心していた。


 真貴がおそるおそるもう少しレッスンを受けたい旨を告げると、クラブオーナーは礼司が長年の会員であり専門家として牧場管理の相談に乗っていることもあり、レッスン費用を大幅に割り引くことを約束してくれた。龍口の家族にも勧められ、真貴は月に一、二度通うようになり、一年ほどで、ほぼ自由に乗れるようになった。結衣は真貴が乗馬をはじめた年の夏に帰省した際に一緒にクラブに見学に来て初めて乗馬し、その後は帰省した際にタイミングが合えば一緒に行くようになった。

 

 真貴、結衣を連れた礼司が乗馬クラブに着くと、二人の男性が礼司を待っていた。礼司は二人を真貴と結衣に紹介した。

「こちらはこの近くの小昏鹿島神社の宮司の吉野さん、こちらは群馬の山野辺神社の関係者で大伴さんだ。吉野さんは私の高校の同級生でね」

 真貴と結衣は神社の関係者が乗馬クラブで礼司を待っていた理由がわからないままに挨拶をした。

「龍口結衣です」

「望月真貴です」

 吉野は笑顔で二人に小さく礼をすると言った。

「とりあえず座りましょう」


 皆が腰かけると吉野が話し始めた。

「突然、押しかけて申し訳ありません。先週、礼司君と別件で電話相談していたら、今日、こちらに来られるかもしれないとうかがい、大伴さんに連絡したら都合がつくとのことなので参りました」

 吉野の話は回りくどかったが真貴と結衣は聞き続けた。吉野は少し姿勢を正し、改まった口調で話し出した。

「私の務める小昏鹿島神社は、今年で創建七百年の節目を迎えます。例祭をどう盛り上げるか、ずっと考えてきました」

一同の視線が吉野に集まる。結衣が思わず背筋を伸ばした。


「ちょうどその折、こちらの乗馬クラブのオーナーから“流鏑馬を取り入れてはどうか”という提案を受けたのです。私は膝を打ちました。これだ、と」

 言葉の熱を帯びる吉野に、礼司はうなずき、真貴と結衣は思わず顔を見合わせた。

「ご存じかもしれませんが、茨城の鹿島神宮では、五月の御田植祭に合わせて流鏑馬が行われます。これが大変な盛り上がりでして――」

 吉野は少し言葉を切り、二人の反応を確かめるように笑みを浮かべた。

「小昏でもぜひ実現したいと考え、私はこの方に相談しました」

 そこで吉野は隣の男性を紹介した。

「大伴さんです。群馬の山野辺神社で流鏑馬を指導しておられます」

 吉野は大伴と礼司に視線を送ったあと、真貴を見て言った。

「私は望月真貴さん、あなたに例祭の時の射手をやっていただきたいのです」


 真貴はびっくりして礼司を見た。礼司は小さくうなずいた。

「じつは私は昨年の夏、湯多神社で『龍神の巫女』を舞うあなたを見て心揺さぶられました。そして礼司君にその話をしたところ、礼司君がよく知ったお嬢さんで、こちらの乗馬クラブの会員と聞いて、これは大事な縁だと思い、お会いできるよう礼司君にお願いしたのです」


「これを見てください」

 大伴がバッグからノートパッドを取り出して動画を再生した。カメラは大勢の人が仕切りのロープに沿って居並んだ参道らしき場所を映している。画面右奥から狩衣姿の騎乗の射手が駆けてきて、画面中央付近で画面右手の的を射て駆け抜ける。

 真貴の脳裏に幼い日に勢多で見た風景がよみがえった。父と叔父が垂領の片肌を脱いで弓矢を持ち騎乗していた。父と叔父は交互に馬を走らせ三間(約5.4m)ほど先の的に矢を射かけていた。


「かっこいい!」

 結衣が大きな声を上げた。

「真貴ちゃん、これ真貴ちゃんのイメージにピッタリだよ」

 真貴は困った表情になった。

「私にお話を持ってきていただき、とても光栄なのですが、とてもできるような気がしません。これから受験勉強で忙しくなりそうなので時間を作れるかわかりませんし……」

 大伴が言った。

「せっかく今日お会いできたのですから、少しだけ試してみませんか?流鏑馬用(騎射用)の弓矢を持ってきているんです」

 結衣が畳みかけてきた。

「真貴ちゃん、せっかくだからやってみてよ。ですよね、叔父様」

 礼司が微笑みながらうなずいた。


  馬場の端には的として牧草ロールが据えられていた。大伴が持ってきた弓は全長二メートルほど。真貴には、これを馬上で使えるとは思えなかった。

「まずは弓の引き方を練習してみましょう。私がやってみます」 

 大伴は矢を弓につがえて弦を引き、すっと矢を放った。流れるような動作だった。

「細かい注意点はいろいろありますが、まず弓矢に触れてみてください」

 真貴は弓を手にすると、その重さに驚いた。父の姿を思い浮かべながら矢を放った。狙いより低く外れたが、大伴はうなずいた。

「素晴らしい。落ち着いている。体幹がぶれないし、弓を持つ手もしっかりしている。何かスポーツをしてますか?」

 真貴に代わって結衣が答えた。

「真貴ちゃんは昨年、剣道全国二位です」

「なるほど、これなら、矢を番える動作と弓を引く動作を反復すれば、すぐに上達します」

 数度の繰り返しで矢筋が整ってきた。礼司は目を細め、吉野は感心したように口元に手を当てていた。

 やがて大伴が礼司に向かって言った。

「馬を連れてきていただけますか?真貴さんがいつも騎乗している馬がいいです」

 結衣が礼司より先に反応した。

「私が行ってくるよ」

 結衣はクラブハウスへ小走りに行き、やがて真貴がよく乗る馬で戻ってきた。

「では、馬に乗ってみましょう」


 真貴が愛馬に跨がると、三人の視線が自然と集まった。結衣は息を詰め、礼司は静かにうなずき、吉野は神妙な面持ちで見守る。

「流鏑馬では手綱を持てません。膝で馬をはさみ、体の芯で乗ってください。立ち上がってみましょう」

 大伴が首付近の握り革をすぐに握れる準備をした。真貴は鐙に立ち、恐る恐る手綱を緩め――ついに放した。結衣が小さく「あっ」と声を漏らす。だが馬は落ち着き、真貴は姿勢を保った。礼司の顔に安堵が浮かんだ。

「いいですね。ではいったん輪乗りを。手綱を持っていいですが、できるだけ膝の圧で指示を送ってみましょう」

 真貴が馬を回すと、馬体が素直に応じた。吉野が目を丸くし、結衣は「やっぱり真貴ちゃんだ」と囁いた。

 輪乗りを終え馬を止め、再び手綱を放し、今度は両腕を広げる。さらに大伴の指示が出た。

「上半身を左右にひねって。馬の揺れは膝で吸収です」

 真貴は集中し、体幹でバランスを保った。

「素晴らしい。この調子なら、流鏑馬の基本姿勢はすぐに身につきます」

 大伴が少し目を細めて言った。

「もしかして、真貴さんは左利きですか?」

「はい、そうです。やはりわかりますか?流鏑馬に向かないのでしょうか?」

「そういう意味ではありません。真貴さんは両手利きと言ってもいい巧みさを持っています」

 その言葉に、結衣と吉野は顔を見合わせた。



 結局その日、真貴は流鏑馬の基本練習で終えた。礼司は真貴を見守り、結衣は一人でゆるゆると乗馬を楽しんだ。練習を終えると大伴は所作の練習をするよう真貴に弓矢を渡した。そのうえで所作練習用の動画を送ると言った。吉野は何度も真貴の才能を褒め、流鏑馬の騎手を是非お願いしたいと言って大伴と一緒に帰って行った。


 夕日が西の山にかかり始めた頃、三人は龍口家に戻った。結衣は真貴を引っ張って居間に急行した。

「おじいちゃん、おばあちゃん、聞いて、聞いて!」

 美和子がびっくりした。

「結衣、何があったの、そんなに慌てて」

「今日ね、乗馬クラブに行ったら、なんと真貴ちゃんは流鏑馬をすることになりました!」


 真貴が急いで訂正した。

「いえ、まだ何も決まっていません。乗馬クラブで叔父様の知り合いの方に流鏑馬をすすめられて、少し弓を引いたり騎乗しただけです」

 そこに礼司が入ってきた。

「真貴、弓と矢を車から降ろして玄関に置いておいたから」

 義弘が礼司に言った。

「今日はご苦労だったな。泊っていくだろ?」

「そうさせてもらおう」

 礼司はちょっと真貴に目をやり義弘に言った。

「少し相談したいこともあるんでね」

 義弘は黙ってうなずいた。


 礼司と結衣を迎え、その夜の龍口家の夕食は賑やかになった。真貴が恥ずかしそうにしているのをよそ目に、結衣は今日の真貴の流鏑馬への挑戦を熱く語った。

 美和子が真貴に尋ねた。

「ほんとうのところ、真貴はどうなの?流鏑馬、やってみたいの」

「とても迷っています……これから受験勉強が大変になることはわかっているんですが……今日、はじめてやっているうちに、子どもの頃に父と叔父が馬に乗って矢を射る練習をしている姿を思い出して……正直なところ、やってみたいです」


 義弘が言った。

「じゃあ、やってみたらいいじゃないか。費用が必要だったら遠慮なく言いなさい」

 礼司がこたえた。

「それがですね、小昏鹿島神社の吉野さんが真貴にぞっこんで、費用は全部もつと言ってるんですよ。そして乗馬クラブのオーナーもぜひ応援したいって言っていて」

 結衣が続けた。

「真貴ちゃんが流鏑馬するとこ、見たいなあ。ぜったいにかっこいいよ。今年は夏の剣道の大会は出ないんでしょ。そうだ、今年の湯多神社の例祭の“龍神の巫女”は私が舞う番だから、そっちの練習もないでしょ」


 真貴は昨年度、知佳の指導もあり。剣道の高校選手権で二位となった。しかし、その夏以降、知佳が海外に赴任したため、剣道からは距離を置くことになった。龍神の舞は、知佳が引退した後、真貴と結衣が交代で舞ってきたが、たしかに今年は結衣が舞う番だった。


 美和子が言った。

「そうね、たしかに真貴の流鏑馬は見てみたいわ。どうかしら、もう少しやってみて、難しいようだった辞退するとことにしたら。ちゃんとしたコーチの方もいらっしゃるのなら、見通しは立つでしょうから」

 真貴はためらいながら言った。

「では……やってみようと思います」


 そうこうしているうちに、町長夫婦としてゴールデンウィークのセレモニーに出席していた義人と圭が帰って来た。

「お父さん、お母さん、おかえり。ニュースがあるんだよ」

「結衣こそおかえり、ああ、叔父さん、いらっしゃい」

 圭が結衣に尋ねた。

「ニュースって、どうしたの?」

「真貴ちゃんは流鏑馬をすることになりました!」

 今度は真貴は訂正しなかった。少し困り顔で小さくうなずいた。 


 その夜、義弘と礼司は二人だけで居間にいた。

「兄さん、すまんな。俺だけオン・ザ・ロックで」

 礼司はグラスを手にしていた。

「いいさ、麦茶もいいもんだよ」

 義弘は麦茶のグラスを掲げた。

「礼司、真貴のこと、しっかりサポートしてくれてありがとうな。うまく乗馬に誘導してくれて、今回は騎射だ。これで真貴は剣、馬、弓と三つの武器を使えるようになる」

「乗馬は意図的に誘導したんだけどね、今回の流鏑馬の話は、本当に向こうから来たんだよ。俺は取り持っただけ」

「こういうことがあると、姉さんが言っていた“予言の類は自ずから実現していく”というのがよくわかるよ」


 義弘はグラスをテーブルに置いて尋ねた。

「今日の相談とは?」

「ああ、四年前、例祭の夜に昌平に託したミッションの話だ」

「真貴が千年前に戻る時が分かったのか?」

「先日、昌平がある仮説を連絡してきた。場所と時間の特殊性に着目している」

「……」

「なにせタイムスリップにかかわる話なので、確証のようなものはない。しかし、俺は方向性はいいと思った」

「それは“いつ”なんだ?」

「そこまではまだ……。今、昌平は詰めようとしている。彼は今、准教授に抜擢されて猛烈に忙しい。それでも、あと数か月で結論を得られると、私は思うよ」

「……そうか。正直なところ、分からないほうがいいかとも思っていたんだ」

「“予言はおのずから実現する”んだよ。やはり」


 佐間の五月の夜はまだ寒い。それでも冬の星座は退き、春の星々が夜空に輝きだしていた。


真貴は流鏑馬に挑戦することになった

他方、礼司は義弘に、昌平とともに調べてきた”タイムスリップ”現象の理解に進展があったことを告げる

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