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第三十五話 選挙戦

選挙戦が始まった

開発推進派はなりふり構わぬ手に出る

真貴は義人の隠し子だ、とする怪文書まで出始めた

 義人の予想通り、町の世論は二分された。


 開発推進派は義人の父が町長だった時代を含むこの十年の税収と人口の減少を失政だとなじった。このままの町政を続ければ町の活気は失われ、やがて限界集落になるとまで主張した。

 開発慎重派は軽井沢や新潟のリゾート開発の失敗を示し、拙速な開発は町に長期にわたる打撃を与えることになると主張した。加えて、佐間の町の価値は人為的に作られた観光資源ではなく、これまでの歴史に基づく生活環境だと主張した。


 土建関係の住民は仕事がなくなるのを恐れていた。佐間の土建の需要はその大半が町が発注する公共事業だった。しかし、公共施設の更新は少なく、今期終了する河川改修が最後のまとまった案件である。倒産や失業への恐怖に駆られ、彼らは手段を選ばなくなっていった。最初にはじめたのは戸別訪問である。ただ、巧妙に偽装して行われた。飲食の提供は、さらに公然と行われた。選挙事務所には茶菓、果物が用意され夜には誰ともなく酒を持ち込んで飲み会になっていた。


 開発慎重派の町の若手議員グループは勉強会、講演会の開催で対抗した。地方自治の専門家や学識経験者を招き、性急な山林開発がもたらす危険性への理解を広めようとしていた。


 過去にもあったことだが、公式な選挙運動期間にはいると、町議や町の有力者に出所不明の怪文書が送られてきた。その内容は「龍口義人は愛人に産ませた子を娘と一緒に育てている」というもので、文書には遠くから撮った不鮮明な結衣と真貴の写真が添えられていた。謹厳実直で知られていた義人に隠し子がいるという話はすぐに広まった。


 龍口家にも隠し子疑惑の噂はすぐに届いた。義人は家族皆を前にして謝罪した。

「すまない。結衣と真貴を傷つけることになってしまった」

 結衣は激怒していた。

「お父さんはまったく悪くない。謝ったりしないで。こんなこと言い出したやつ、絶対許さない!必ず見つけ出してとっちめてやる」

 真貴は冷静だったが、噂が選挙に与える影響については心配していた。

「結衣ちゃん、無茶なことはしないでね。もし私が表に出て『隠し子ではありません』と言えば噂は消えるのでしょうか?」


 義弘が言った。

「選挙の時には、こういう変な噂が流れることはよくあるんだ。噂を流した側は、こちらが何か反応すると、また余計な噂を流してくる」

 美和子がにこやかに言った。

「結衣も真貴も気にしないでほうっておきなさい」

「それにしても卑劣ですね」

 圭は悔しそうにつぶやいた。


その日の夜遅く、義人には昌平から連絡が入った。

「父さん、とうとう立候補したんだね」

「ああ、町のためを思うとこうせざるを得なかった。家族に迷惑をかけることはわかっていたが、実際そうなると堪えるな」

「じいちゃんの時もそうだったね」

「そうだな……今日はどうしたんだ?こんな時間に」

「早く知らせたいことがあってね。父さんが言っていた別荘地の開発会社だけど、あの会社はまずいよ」

「何かわかったのか?」

「うん。俺はずっとアースサービス社でバイトしてたでしょ。あそこはサービスの一環で土砂災害が起きた現場の原因究明もやってるんだ。その中に、父さんが言ってた会社の名前があったんだ」

「どういう話なんだ?」

「一つは岐阜、もう一つは広島での災害なんだけど、あの会社が基本的造成計画をしていたんだ。裁判では施工会社が矢面に立たされているけど、僕が見る限り、基本計画に問題があったと思う」

「ありがとう。助かったよ」

「父さん、体に気をつけてね」

 電話を終えて、義人は子どもたちのたくましさと健気さに涙がにじんだ。


 選挙戦は終盤に入った。開発推進派はなりふり構わないやり方で攻撃を続けてきた。表向きには経済効果をうたい、水面下では隠し子疑惑で攻勢をつづけた。即効性のある政策を欠く義人たちは押され気味であったが、昌平が見つけてきた情報を、さまざまな伝手を通じて裏付けていた。


 投票日を翌々日に控えた金曜日、地元ローカル局で候補者同士の討論会とパネリストを交えた質疑が生放送される運びになった。パネリストには地域活性化コンサルタント、地方財政の専門家、さらに地域で活動する弁護士が招かれていた。


 義人には弁護士に見覚えがあった。五年前、真貴の就籍を申請した際の判事、宮地だった。放送前、宮地は義人と目が合うと無言で少し微笑み小さく頭を下げた。

 討論会は町議会議長のこの十年の町政に対する批判から始まった。若者の流出、税収の減少、災害の発生をすべて失政だと声高に叫び、今、浮揚策を打たねば大変なことになると主張した。さらには、前町長は疾病を隠していたと言い、義人にも何か隠し事があるのではと人格攻撃にまで及んだ。


 義人はデータを示しながら指摘された町の衰退は日本中の地方の町で起きていることであり佐間はまだ踏みとどまっていること、安易な開発はかえって町の負担になることを説明し、あえて個人攻撃は無視した。


 コンサルタントと財政の専門家の質問は平凡なもので、発展的議論にはならなかった。町議会議長は「今、提案されている別荘地開発計画のどこが安易なのだ?」と踏み込んできた。義人の狙っていた展開だった。義人は別荘地開発を持ち掛けてきた会社が、これまでに災害の原因となった山林開発をしてきた可能性が高いことを具体例を示して説明した。


 町議会議長は「それは疑惑に過ぎない、義人だって疑惑を抱えているじゃないか」と感情的発言をはじめた。そこでパネリストの宮地が立ち上がった。

「さすがに今の発言は容認できるものではありませんよ」

「龍口君がやましくないというのなら、問題の子の素性を明らかにすればいいだけじゃないか?」

 宮地は少し町議会議長を見つめてから静かに話し出した。

「興味本位で他人の素性を憶測したり探ったりして、攻撃の材料にするのは最も卑劣な手段ですよ」

 議長は怒気をはらんで宮地を睨みつけた。


「龍口さんが一切反論しないので黙ってましたが、こんなことが選挙に影響してはいけないのであえて言います」

 宮地は一度義人に目をやりテレビカメラに向き直った。

「私は過去に公的な立場で、龍口さんのご家庭に関わる手続きを扱ったことがあります。もちろん守秘義務がありますから詳しいことは申し上げられません。ただ一つ、断言できるのは、その子が“隠し子”などという根拠のない噂で語られる存在ではない、ということです。龍口さんはあの子を自分の娘と同様に大事にしています。これ以上何も言う必要はありません」


 討論会後、宮地が義人に挨拶に来た。

「先ほどはすみませんでした。出過ぎたまねをしてしまいました」

「いえ、こちらこそありがとうございました。また宮地さんに助けられました」

「真貴ちゃんは元気ですか?」

「はい、とても」

「それはよかった」

 宮地は以前に見せたいたずらっぽい笑顔を見せた。


 日曜日の投票は混乱なく終わった。開発推進派は土建関係者の組織票は獲得できたが、浮動票を積み増すことはできなかった。十分な票差をもって義人が当選した。

 当選の知らせを義人は町の中心部に設けた選挙事務所で受けた。結衣と真貴から花束を受け取り、義人は圭とともに支援者に頭を下げた。支援者の中から自然にバンザイの声が上がった。しかしながら、目前に迫った十二月定例議会のことや自分が抜けた後の町役場の人事と体制をなど、これから先のことを考えると義人は祝う気にはなれなかった。

 

 十一月の半ばになると佐久の夜はコートなしにはいられないほど冷え込む。街路樹は葉を落とし、冷たい風が町を吹き抜けていた。


宮地弁護士の断固とした声明もあって義人は当選した

しかし、これから先のことを考えると義人は祝う気にはなれなかった。

 

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