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第三十四話 立候補

義人は決断を下した

家族を集め、町長への立候補を告げた

 町長と会談した日の帰宅は遅くなった。取り置きの夕食を口にしていると、圭が前に座った。

「お茶をどうぞ」

「ありがとう……」

 圭は義人をじっと見つめた。

「何か、お悩みですね」

「やっぱりわかる?」

「ええ。あなたは顔に出ますから」


 義人は少し黙り、やがて吐き出した。

「町長が辞めると言い出した。そして、町長になるつもりはないかと打診されたよ」

「もう返事を?」

「いや、迷ってる」

「どんなことで?」

「俺が出なければ議長が町長になる。そうなれば乱暴な開発は止まらないし、財政も乱れるだろう。……でも俺が出れば、町は二つに割れる。勝っても圧力にさらされるし、家族も巻き込む」

 義人はため息をついた。

「父さんが町長だった頃、昌平も知佳も“町長の孫”と好奇の目にさらされた。家族のプライバシーを侵害する怪文書も出回った。あれを今度は結衣や真貴に味わわせるのかと思うと……」

 圭は静かにうなずいた。

「つまり、どちらに転んでも平穏では済まないのですね」

「そうだ。どうすべきか……本当にわからない」


「お父様にご相談されますか?」

「いや、それはすべきでないし、しても父さんは自分で決めろというだけだ」

「そういわれると私も思います」

「圭はどうなんだ?」

「あなたと一緒になった時から、いつかこんな時が来るのではないかと思ってました。結衣や真貴は私が守ります。あなたは禍根が残らない決断をしてください」

「ありがとう。もう少し悩むことにするよ」


 遅い夕食を終えて頭を冷やそうと義人は庭に出た。かなり冷え込んでいる。空には多くの星が煌めき、湯多神社がある西の山々の上には細い三日月がかかっていた。千年変わらない景観を見ながら、義人は悟った。自分にも避けられぬ「時」が迫っているのだ、と。

 

 翌週金曜、町長が辞任を表明した。任期はまだ二年近く残っており、町政全体に衝撃が走った。選管は告示を十一月第一週の金曜、投票を第二週日曜と決めた。


 推進派はすぐに動いた。議長を中心に「町の浮揚策を考える会」を立ち上げ、講演会や開発説明会を開いた。公示前ながら実質的な選挙運動であり、土木建築関係者を多数集めて力を誇示した。


 一方、若手議員らはリゾート開発に失敗した自治体の関係者を招き勉強会を開いた。だが主張はまとまらず、旗頭もいない。自然と彼らの視線は、前町長の息子で副町長の龍口義人に集まった。


 義人はその視線の重みをひしひしと感じていた。町長辞任の報が走ってから一週間、佐間の町はざわついていた。推進派は連日のように集会を開いた。一方、反対派も勉強会を重ねたが、旗頭は現れなかった。役場内でも「次の町長は誰になるのか」で話題は持ちきりだった。義人は沈黙を貫いていた。議員や記者から遠回しに探りを入れられても、「検討中です」と繰り返すだけだった。だが内心では、もはや逃げ道はないと悟っていた。


 ついに、義人は夕食後に家族全員を居間に集めた。全員の顔を見渡して義人は話を切り出した。

「皆、集まってもらってありがとう。とても大事な話をします」

 圭が小さくうなずき、義弘が腕を組み直した。

「私は町長選挙に立候補する決断をしました」

 しばらく沈黙が続いた。ややあって義弘が口を開いた。

「圭さんには、もう相談しているんだな」

「はい」


 美和子が小さく息をついた。

「義人も、父さんと同じ道を行くのね。……圭さん、大変な役目を背負わせるわ」

 圭は静かにうなずいた。

「覚悟はしています」

 結衣が真貴に視線を送り、恐る恐る口を開いた。

「私たちは何をすればいいの?」

「何もしなくていい。未成年は選挙運動できないから」


 少し間があって、真貴が手を上げた。

「ひとつ、いいですか」

「もちろん」

「学校で“公約を掲げて選挙をする”と習いました。お父さまは何を公約にされますか?」

 義人は言葉を失った。立候補すべきかばかり考えていて、公約など一度も思い描いていなかったのだ。

「……まだ公約は定めていない。ただ、この佐間をこれからも“いい町”であり続けさせたい。それだけは揺らがない」

 義弘が低く言った。

「真貴が一番冷静だな。義人、勝ち負けにとらわれて本質を見失うなよ」

「……はい」


 翌日、義人は役場で臨時の記者会見を開いた。テレビカメラと地元紙の記者が並ぶ前に立ち、用意した原稿を手にした。

「私は副町長を辞職し、このたびの町長選に立候補いたします。人には果たすべき使命があり、その時期はおのずから訪れる。今こそが、私に課せられたその時だと考えました。佐間の未来を拙速な開発に委ねることなく、住民と共に築き上げていくことこそ、私の使命です。」

読み上げながら義人は、自らの声が震えていないことを確認した。カメラのシャッター音が響く中、彼はとうとう使命に殉じるときが来たことを実感した。


 龍口家の家族はローカルニュースで義人の立候補表明を見た。真貴は心の中で義人の言葉を反芻した。『人には果たすべき使命があり、その時期はおのずから訪れる』と。


義人は言った『人には果たすべき使命があり、その時期はおのずから訪れる』

真貴には重く響く言葉だった

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