第三十三話 町政
佐間の町にリゾート開発の計画が持ち込まれた
義人は対応に苦慮する
十月に入ると、佐間の朝晩は冷え込み始めた。昼間は涼しく湿度も下がり、快適な季節である。木々はまだ色づいてはいないが、夏の濃い緑は徐々に淡く変わり、夜空には星々がひときわ鮮やかに瞬いた。
しかし、その澄んだ空気とは裏腹に、龍口義人の胸は重かった。
今年度から副町長となった義人は、実質的には総務課長からの繰り上げに過ぎない。旧来の業務を抱えたまま議会対応も増え、慌ただしい日々に追われていた。そこへ追い打ちのように持ち込まれたのが、東京のデベロッパーによる「山間部の別荘地開発計画」である。
若者の流出と高齢化、税収減に悩む佐間にとって、開発は確かに甘い響きを持っていた。土建業は潤い、税収は増え、長期滞在者が増えれば商店や飲食業も息を吹き返すかもしれない。義人の脳裏に、並んだシャッター街の光景が浮かぶ。
だが一方で、森林伐採による環境破壊、水源への影響、景観の劣化、住民との摩擦――課題は山積みだ。維持管理の負担が町にのしかかれば、結局は財政の首を絞めかねない。軽井沢や新潟で見た廃墟同然の別荘地の姿が、鮮やかに思い起こされた。
数日後、町役場で開かれた説明会。企画開発部長と名乗る近藤は、にこやかに「リモートワーク時代の新しいライフスタイル」をうたったが、中身は従来型の開発に過ぎなかった。予定地は西の山裾、湯多神社の参道を削り、裏山を造成する計画まで含まれていた。
義人は議長として会議を仕切り、質疑は後日とだけ告げて説明を打ち切った。幹部が不用意に言質を与えぬようにするためだった。近藤はそのまま町内に泊まり、推進派議員との宴席を整える算段だろう。義人の頭に、その顔ぶれが浮かんだ。
その夜、母屋に古株の議員二人が義弘を訪ねてきた。帰った後、居間で腕を組む父に義人は尋ねた。
「やはり別荘地開発の件ですね?」
「そうだ。今日、役場で説明があったと聞いた」
「はい、内容は昔ながらの別荘地開発で、新味はありません」
「つまり、お前は反対か」
「反対とまでは言いませんが、直感的には危うい気がします。……父さん、彼らはどういう立場の方なんです?」
「村の長老格さ。『湯多神社を穢すべきではない』”と訴えていた。議会で通る理屈にはならんがな」
「だから元町長に相談に来て、ついでに味方になってほしいと頼みに来たわけですね」
「まあ、そんなところだ」
翌日、今度は町議会の議長と議員二人が義人を訪ねてきた。名目は「プレゼンの確認」だったが、実際には役場幹部の考えを探るためだ。
「町に開発を止める権限はあるのか」
「町として承認すべき事項は何か」
質問はすでに開発を前提としていた。義人は慎重にかわし、「議会には報告書を提出します」とだけ答えた。だが議長は、「町の振興のため、役場はもっと積極的に動くべきだ」と迫ってきた。
義人が返答に困っていると、気の利く部下が「副町長、次の打ち合わせのお時間です」と助け舟を出してくれた。推進派の三人は「近いうちに改めて公式の場を設けたい」と言い残し、役場を後にした。
さらに翌日。町長が「二人で話したい」と呼び出してきた。執務室でソファに腰かけた町長は、開口一番こう言った。
「龍口君、別荘地の件だ」
「やはり」
「昨日、議長らが押しかけてきてね。開発を急げと、強く言い残して帰った」
義人は、昨日の議長たちとの面談を思い出した。おそらく彼らはその足で町長室に押しかけたのだろう。町長は深く息を吐きながら、言葉を続けた。
「君も知っている通り、彼らは土木業界の代弁者だ。公共工事が尽きるのを恐れている」
義人はうなずいた。二年前の水害復旧工事が本年度で完了し、町の大口工事は一区切りつく。
町長は視線を落とした。
「私は、自分の器をよく知っている。君の父君のように人をまとめる力はない。せいぜい調整役だ。ここまでやって来られたのは職員のおかげだ」
「そんなことはありません。町長が信頼してくださったからこそ……」
町長は小さくかぶりを振り、かすかに笑ったが、その顔は影を帯びていた。
「体調もよくない。病院通いが増えているのは知っているだろう。正直、議会の圧力に耐える気力も尽きかけている。近いうちに辞任するつもりだ」
義人の背筋に冷たいものが走った。
「今、私が辞めれば、議長が立候補する。そうなれば彼らは開発を押し通し、財政規律も壊れるだろう」
町長は義人を正面から見据えた。
「龍口君。君に考えてほしい。この町を託せるのは君しかいない」
義人は答えられなかった。
「今、返事を求めはしない。ただ、時間はあまりない」
町長の声は静かだったが、言葉は義人の胸に重く沈んだ。執務室を出た義人は、胃の奥に鉛のような重みが沈んだ。
町長が職を辞すると言い出した
義人は決断を迫られる




