第三十二話 片手突き
真貴は、神社で誓った「強くなる」という思いを胸に、日々の稽古を重ねる
その願いを叶えるため、義弘と知佳は、新たな技を教えることとした
夏の例祭からひと月が過ぎ、佐間の空気は秋の気配を帯びていた。
真貴はあの日、神社で誓った「強くなる」という思いを胸に、日々の稽古を重ねていた。
九月の最後の週の金曜日の夜、帰省した知佳は義弘とともに書斎で、真貴が出場した中学校剣道大会・長野県大会の試合記録動画を見ていた。真貴は個人戦でベストエイトまで勝ち上がったが、準決勝進出をかけた一戦で敗退した。その相手はそのまま県大会を制し、全国大会でも準優勝を果たしている。二人は、その時の試合を録画で確認していた。
真貴を下した相手は大柄で、竹刀を構えた姿も堂々としていた。体格に恵まれた選手は豪快な面打ちを武器にする場合が多いが、この相手はそうではなかった。中段でじりじりと間合いを詰め、鍔迫り合いに持ち込んでは体重を乗せて押し込み、場外を誘って反則を重ね(二回で相手に一本となる)、有効を得ようとする戦術を得意としていた。審判が『分かれ』をかけた瞬間に、崩れた体勢から小手や引き面を狙ってくる。。
細身の真貴は、本来なら竹刀が届くか届かない間合いを保ち、相手の出足を捉えて鋭く打ち込み、すぐに離れる戦い方で勝負したいところだった。しかし、相手の圧力と試合運びの巧みさに押され、自分の距離を保つ時間が短く、打突の機会を奪われていった。試合時間が残りわずかになる中、相手の間合いの作り方と攻めの一貫性に屈した形となった。
ひとしきり動画を見た後、義弘が知佳に尋ねた。
「知佳はどう見た、この試合?」
知佳は腕を組み、少し考えてから答えた。
「この手の相手は、正統的な『攻め合い』よりも押し込みや場外を誘ったり、鍔迫り合い時の『待て』直後の引き技で有効打を狙ったりして、点数稼ぎに寄っている感じがします。手段を選ばず勝ちに行くタイプです」
「そういう見方じゃなくて、真貴がこういう相手を崩すには何が必要かを聞きたいんだ」
「単純に言えば、下半身と体幹を鍛えて押し負けない力をつけること。でもそれだけだと真貴の持ち味が消えます。むしろ、もっと素早い動きで間合いを保ち、相手が出てきた瞬間に抜き技で返すほうが合っていると思います」
「私も同感だ。真貴の剣風は崩さずに伸ばすべきだ。もし竹刀ではなく真剣を前提にした場なら、私は真貴に分があると見るね」
「そうですよね。竹刀だからお互い相手の体に刀身を押し付け合って戦うこともできますが、真剣なら、切先が少しでもかすめれば致命傷ですから」
「それと、高校に上がれば公式戦で“突き”も許される。今から基礎を積んでおけば、真貴にとって強力な武器になるはずだ」
「それは私も考えていました。突きなら遠間から最小限の動きで攻められます」
「そう、しかも真貴は左利きだ。難しいが左片手突きまで習得できる可能性がある」
「わかりました」
二人は静かにうなずき合った。
翌土曜日の午後、真貴の姿は道場にあった。敗因を反省し、以来、足さばきの稽古に力を注いでいる。後方へ直線的に下がる癖が、押し込まれて鍔迫り合いになる原因と分析し、左右への回り込みを滑らかに行う「開き足」の稽古を地道に繰り返していた。
三十分ほど稽古を続けた頃、剣道着姿の知佳と義弘が道場に現れ、黙ってその様子を見ていた。真貴が稽古を終えて壁際に下がったとき、二人に気づき、立ち上がって礼をした。
「真貴、見てたよ。左右の動き、かなり良くなったと思うよ」
「ありがとうございます。せっかくご指導いただいたのに県大会では不甲斐ない成績に終わり、申し訳ありませんでした」
「ここの剣道教室はおじいちゃんの指導方針もあって“一本を取りに行く”やり方だから、ふだん真貴が練習する相手には、ああいうタイプはいないからね。大会前の稽古で私がもっと考えておけばよかったと思ってる」
「いえ、私の鍛錬不足でした。自分の間合いを保てるだけの足さばきができていませんでした」
「じゃあ、地稽古をやろうか?今日は私が県大会の相手のような動きをやってみるから」
「はい、よろしくお願いします」
面金越しに、知佳は真貴の構えを見た。いつも通り、無駄な力みのない美しい中段、切先も足元も落ち着いている。真貴の得意な間合いは、やや遠間だ。知佳は攻め足を崩さず、じりじりと距離を詰める。県大会の真貴は、ここでまっすぐ下がってしまっていた。しかし、今日の真貴は違う。小手打ちの気配を見せつつ、すっと右へ回り込み、再び自分の間合いを確保する。知佳が正面に戻そうと右足を開いた瞬間、真貴は左へ踏み込み、小手を狙う。知佳が竹刀でそれを跳ね上げると、間髪入れず右に踏み込み、胴を打ちに来た。知佳は素早く体を開いてかわしつつ面を狙おうとしたが、真貴はすでに得意の遠間に下がっていた。
その成長ぶりが嬉しくなった知佳は、攻めの速度と圧力を一段と高めた。真貴の間合いから一気に踏み込み、小手から面、さらに面から胴へと、間を置かず連続で攻めかける。真貴は少し下がりながらも確実に受け、目は次の機会をうかがっている。知佳が再び面に打ち込むと、今度は左へ鋭く踏み込み、逆抜き胴を放った。知佳は半歩さばいてかわしたが、切先が胴をかすめた。
義弘は知佳と真貴との攻防を楽しんでいた。真貴に関しては県大会のときとの違いをはっきりと感じていた。
「そこまでっ」
義弘が声をかける。二人は面を取り、壁際に下がった。
「真貴、足さばきが格段に良くなった」
「ほんとにそう。接近戦でも対応できるようになってる」
「ありがとうございます」
真貴は笑顔を見せた。
義弘が知佳に言った。
「知佳、昨日話した件だが、今日、真貴に教えてみるか?」
「そうしましょう。真貴、高校生になってからに備えて『突き』の練習をはじめるよ」
「はい、よろしくお願いします」
真貴が顔を輝かせて答えた。
真貴を壁際に座らせたまま、義弘と知佳が面をつけずに中段に構えた。まずは突きの型である。義弘が元立ちとなり知佳が攻め手となる。義弘が知佳と真貴に声をかけた。
「ではまず諸手突きから、動きの流れを覚えること」
義弘が竹刀を正中線から軽く外した。知佳は中段から切先をわずかに上げ、滑るように前に出ながら両手を絞り込みながら切先を義弘の喉元に向けて竹刀を押し出し、そのまま引いた。
「次は片手突き」
知佳が諸手突きのときより一歩遠く間合いをとる。義弘が竹刀を正中線からわずかに外すと、左足を大きく踏み出しつつ右手を離し、柄尻を左手で握って左腕をまっすぐ伸ばす。竹刀は喉元の高さでぴたりと止まり、すぐに構えに戻った。
義弘が解説した。
「いいか、真貴。突きは手先だけで押し出してはいけない。足と腰を使って、姿勢を崩さずに前へ出るんだ。腕は絞りながら押し出す。型のときも、実際に当てるつもりで正確な軌道を意識しろ」
知佳が両方の型をゆっくりと繰り返した。真貴は呼吸のタイミング、踏み込みの幅、竹刀の伸び方まで一つひとつを目に焼き付けようと集中していた。
義弘が声をかけた。
「では、型稽古をやってみるか」
「はい」
真貴が立ち上がる。義弘は場所を知佳に譲った。
「知佳、元立ちを頼む」
真貴は一足一刀の間合いで中段に構えた。知佳が小さくうなずき、竹刀をわずかに動かしたのに合わせ、真貴は諸手で竹刀を押し出しながら踏み込む。
「竹刀の軌道が少し右に流れている。喉元から柄尻まで一本の線を意識しろ」
「はい」
何度か繰り返すうちに、切先の軌道が安定してきた。
「よし、次は片手突き」
真貴は遠間に下がり、知佳の合図で左足から踏み込み、左手で竹刀をまっすぐ突き出した。
「切先が少し下がったぞ。突き切った時に、切先、拳、肘、肩までが一直線になるよう意識するんだ」
「はい」
真貴は突きを繰り返すうち、呼吸が浅く乱れていることに気づいた。ふと大きく息を吸い、吐く拍子に合わせて竹刀を押し出すと、動きが驚くほど滑らかになった。その瞬間、脳裏に神楽の舞が浮かんだ。巫女が息を整え、一拍置いてから舞い始める所作――そして黄金の太刀で大蜘蛛の喉を突いた、あのしなやかで美しい一瞬。舞と剣は違えど、呼吸と間合いの取り方は同じだ。
その感覚を胸に、中段から迷いなく竹刀を送り出す。
「よくなってきた。その感じで」
義弘の声に励まされ、真貴は何度も突きを繰り返した。
「よし、今日はここまでにしておこう」
義弘の声に、真貴は竹刀を腰に納め、知佳に礼をし、義弘にも深く頭を下げた。
「おじいさま、お姉さま、ありがとうございました」
知佳が笑みを浮かべて言う。
「初稽古としては上出来だよ。突きのイメージはつかめたはず。あとは繰り返して体に染み込ませるだけ」
「はい、稽古します」
真貴は大きくうなずいた。
「左片手付き」、左利きの真貴に授けられた新たな技
真貴は懸命に習得に励む




