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第二十ハ話 夜明けの祈り

礼司の話を聞いた日の翌朝、真貴は早くに目が覚めた

湯多神社に行こう……真貴は身支度を整えた

 礼司の話を聞いた日の夜、真貴の眠りは浅かった。翌朝の土曜日、午前四時半には目が覚めてしまった。不安げな夢を見ていたような気がしたが、内容を思い出せなかった。台所に行って冷蔵庫から麦茶を取り出し、グラスに注いで、一口飲んだ。窓から外を見ると空は明るくなり始めていたが、周囲はまだ暗かった。


 真貴は突然「湯多神社にお参りに行こう」と思い付いた。龍口家の人たちと何度もお参りに行ったり、神楽を見に行ったりしていた。しかし、ひとりで行ったことはなかった。顔を洗い口を漱ぎ髪をまとめた。ジャージに着替え、小銭入れを持ち、結衣と一緒に使っている自転車のカギを持った。台所のメモ用紙を取って「神社にお参りに行きます、すぐ戻ります 真貴」と記しテーブルの上に置いた。


 龍口家から湯多神社へは、緩い坂を下り、田んぼの中を走り、川を渡って、神社の参道に続く坂を上るという行程になる。まだ車の影は無い。真貴は風を切って、かすかに稲の香りがする田んぼの中の道を軽快に進んでいった。空は明るさを増し、山の端から朝日が射してきた。 真貴は参道に続く坂道を上り鳥居の近くに自転車を停め、やや暗い杉木立の中の参道を歩いて登って行く。ウグイスやヒヨドリの鳴き声が聞こえ、森の清々しい香りがしてきた。汗ばんだ肌に森の冷気が気持ちよかった。


 真貴は社殿の前についた。傍らの手水舎で手と口を清めた。周囲にはまったく人の気配はない。空気がやや湿り気を帯び、かすかに苔の匂いがした。

 真貴は財布から小銭を取り出し、賽銭箱に入れようとして手を止めた。自分は何を願うためにここに来たのか、考えがまとまっていなかった。しばらく考えていると、願うべきことがわかってきた。自分が欲しているのは「自分の考えをまとめること」だと思い至った。


 真貴は、賽銭を入れて、鈴緒を振って本坪鈴を鳴らした。姿勢を正し柏手を打ち頭を垂れた。手を合わせ目を閉じたまま、大きく息を吸いゆっくりと吐いていった。いくつもの心象風景が浮かんできた。


 小舟で湖を渡り、弟を思い振り返ったときの薄暗い対岸の景色があった。まばゆい光で照らし出された洞の中の情景があった。病院で目覚めたときの真っ白い天井も見えた。初めて義弘と仁にあった時の自分の肩を抱いてくれた仁の笑顔とその後ろでうなずいていた義弘の優しいまなざしが浮かんだ。龍口家で身の上を語った直後、走り寄って自分を抱きしめてくれた結衣の泣き顔も浮かんだ。初めての本屋で手にした「龍の子太郎」の表紙、龍に乗った少年の絵が見えた。剣道教室で知佳が激しく打ち込んで来る場面が見えた。湯呑を片手に農業の変遷を語る礼司がいた。夢の中、朝の丘に立つ母の姿が浮かんだ。そして、龍神の巫女となって神楽を舞う知佳の姿が見えた。


 ゆっくり目を開けると、社殿のきざはしと麻紐の鈴緒とが目に入った。耳には樹々の葉擦れの音と鳥のさえずりが戻ってきた。

 ここには久遠の時間が閉じ込められていると感じた。


 ふいに「何かをなす、何かになろうとするには、自分はまだあまりにも非力である」との思いが真貴の心に浮かんだ。そして、声が聞こえた。

「急がなくてもいい、日々一歩ずつ、賢くなれ、強くなれ、そして、やがて明らかになるなすべきことに立ち向かえる力を蓄えよ」。

 真貴は社殿に深々とお辞儀をした。顔を上げて振り返ると、青空が広がり、朝日が東の山々の上に昇っていた。

『あの山の向こうは上野の国、そしてここは信濃の国』

 自分は千年の時を越えて大地を踏みしめていると真貴は思った。


 真貴が龍口家に戻ると、義弘が朝の素振りの準備をはじめていた。

「真貴、おはよう。早くから神社にお参りに行っていたんだって?」

「おじい様、おはようございます。はい、行ってまいりました」

「それはいい。清々しい気持ちになったろう」

「はい、とても」

「朝の稽古を始めるかい?」

「今日もご指導、お願いします」

 真貴は自分の木刀を取りに母屋に向かった。 義弘は、その後姿にうなずき、大きく深呼吸した。


託宣は告げた。

「急がなくてもいい、日々一歩ずつ、賢くなれ、強くなれ、

そして、やがて明らかになるなすべきことに立ち向かえる力を蓄えよ」

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