第二十五話 昌平と知佳
七月初め知佳は兄の昌平と上野で待ち合わせた 相談があった
「真貴はどこから来たの?」
全日本女子学生剣道優勝大会は、七月初めの土曜日に日本武道館で行われる。前年三位だった知佳は順位を一つ上げて二位に入った。知佳はそのまま都内に泊まり、翌日、昌平と上野のカレー屋で会うことにした。
空は曇っていたが午前十一時でもすでに蒸し暑かった。知佳は地図アプリを頼りに住宅街を歩き昌平に指定された店を見つけた。四階建てビルの道路に面した一階にこじんまりした店があった。引き戸をくぐるとスパイスの香りが鼻を突いた。中はカウンターを併せても十五席ほどで飾り気はなかった。昌平はすでにノートパソコンを見ながらテーブルについていた。
知佳が昌平の正面に腰かけると、昌平が顔を上げて知佳に言った。
「おう、準優勝おめでとう」
「ありがとう。でも、私としては、めでたくないのよね。優勝するつもりでいたから」
「とりあえず、何か注文しよう。腹が減ってるんだ。朝、食べてないんでね」
「兄ちゃん、また朝食抜き?お母さんに怒られるよ」
二人は各々好みのカレーを注文した。
「知佳がわざわざ会いに来るなんて、何かあったのか?」
「急に何かがあったわけじゃないんだけど…前々から相談したいと思っていたことがあってね。佐間の家じゃ、ちょっと話しにくかったので、いい機会だから」
「家じゃ話しにくいねぇ……どういう話?恋愛?」
「兄貴に恋愛相談する妹なんていないよ」
知佳は小さく笑ったがすぐに真顔になった。
「真貴のことよ」
「あぁ、あの子。おとなしそうだけど、剣道は上手いんだってね」
「すごく強いよ、将来は私より強くなると思う」
「それは大したものだな。あの子に何か問題でもあるのかい?」
「そういう話じゃないんだよねぇ」
注文していたカレーが来た。昌平が言った。
「とりあえず、食べよう」
二人がカレーを食べ終わるころには店が混んできた。二人は近くのカフェに移動した。カフェはいわゆる昭和レトロ調でやや薄暗かった。エアコンがよく効いていてコーヒーの香りが心地よかった。注文を終えると昌平が知佳に尋ねた。
「さっきの話の続きだけど、相談ってなに?」
知佳はちょっと考えて答えた。
「兄ちゃんは真貴が龍口家に来るようになった経緯を知ってる?」
「『遠縁の子で、事故で両親を亡くしたので預かることにした』と聞いているけど」
「私もそう聞いてる。でも、うちの遠縁って、あの子が来る前に聞いたことがある?」
「……ないかな……じゃあ、真貴って、何者なんだろう?」
「それが、ずっと引っかかってるの。勘違いしてほしくないけど、私は真貴が大好きだよ。謙虚で礼儀正しくて努力家で、そして私の一番弟子なんだから。でも不思議なんだ。あの子はどこから来たのかが」
「そういわれると…そうだな。ただ俺は知佳ほど頻繁に佐間には帰っていないし、帰った時には、たいてい知佳たちは女の子どうしでいるので、俺は真貴との距離は気になるほど近くないんでね」
「それは認める。でも結衣も真貴も、兄ちゃんを嫌がってるわけじゃないから」
コーヒーが運ばれてきた。知佳はコーヒーカップを手に取った。
「それで…私、結衣に聞いたことがあるんだ。『真貴がどこから来たか知ってる?』って」
「へぇー、それで結衣は?」
「『海外らしいよ。あちこち移ってきたって聞いたことがある』って答えたの」
「……」
「『海外であちこち』っていうのが、なんかすっきりしないんだよ。それと、ずっと海外にいたのなら、それなりに外国語の名残があるのが普通でしょ」
昌平がコーヒーを一口飲んで答えた。
「日本人コミュニティにいて日本語だけで過ごしてきた可能性はあるよ」
「それだけじゃない。真貴の所作が海外らしくないんだよ」
「どういう意味?剣道の所作の話?そんなに違うものなのか?」
知佳がコーヒーカップをいったんソーサーに戻し、しばらく考えてから答えた。
「どういったらいいのかな、立ったり座ったり、礼をしたりの所作がほぼ完全なのよ。小学生の時から」
「以前から教わっていたんじゃないの?」
「私も小学校に入ったころから剣道をはじめたんだけど、所作とか礼儀とかがほんとうに身についたのは中学生になったくらいだったと思う。意識せずにできるようになるって、相当に時間がかかるんだよ」
「海外をあちこち移ってきたようでは剣道の所作を身に着けるのは難しいか……」
知佳はコーヒーを一口飲んでから話を続けた。
「そして、今年になって、もう一つ気になる情報を聞いてしまったの」
「どんな話?」
「私、五月に松本で実習があったんだよね。その時、指導についてくれた看護師さんの一人が、三年前まで佐間総合病院に勤めていたんだ」
「それで?」
「古川さんっていう方なんだけど、佐間総合病院の救急にいた五年前の六月の中頃の朝早く、意識不明で身元不明の小学校中学年くらいの女の子が救急搬送されて来たんだって」
「……」
「長い黒髪で白い着物を着て裸足だったそうなの」
「それが真貴?」
「入院中に警察が来ていろいろ聞いていったらしいんだ。その時は記憶をなくしていたようで、言葉もうまく通じなかった……というようなことを言ってた」
「その頃は、知佳も俺も家を離れていた時期だよな?」
「そうなのよ。それで、その子は十日ほど入院していたらしい。その七日目ころ、着物姿の高齢の男女が面会に来たんだって」
「着物で身元不明で記憶のない子に会いに来る……確かに奇妙だな」
「女性の着物が、素敵な浅葱色の小紋だったそうなの」
「それって、仁叔母さんじゃあ……」
「そして、退院の時は七日目に来た二人組が迎えに来たって」
二人はコーヒーを飲み終えた。
「なるほどねぇ……確かに、真貴がほんとうはどういう子なのか気になるな」
「そうそう、古川さんが言ってたけど、女の子が運ばれてきた日、明け方には地震もあって、警察はその関連も調べていたみたい。佐間も揺れたそうよ」
「ちょっと待って」
昌平はバッグを開けてノートパソコンを取り出した。データベースに接続し五年前の六月を探り、六月十一日午前四時十九分のデータを見つけた。地震発光があったことが記録されている。その記録には地上観測衛星のデータへのリンクがあった。震源からの複数の周波数帯の電磁波放出が記録されていた。
『短時間にきわめて狭い領域から強いエネルギー放出……』
昌平はしばらく画面を見つめて考えていた。真貴と初めて会った五年前の帰省時、「湯多神社に調査に行く」と言った際の龍口家の大人たちの複雑な表情を思い出した。
昌平は、ややあって顔を上げた。
「確かに気になってきた。俺は自分のやり方で調べてみようと思う。ただ知佳、けっして無理して聞き込みをやったりするなよ。俺は知佳の行動力が怖くなるときがあるんだ」
「そんなことはしないよ。真貴が秘密にしておきたいんだったらそれでいい。話したいと思えるようになったときの心の準備だと思ってる。今日はずっと感じてたモヤモヤを兄ちゃんに相談して、一緒に考えてほしいと思っていただけだから」
「わかった。今度はいつ佐間に帰る?」
「湯多神社の例祭の時には。今年までは“龍神の巫女”を舞うように頼まれてるんだ」
「じゃあ俺も帰れるよう調整しよう。知佳の最後の舞は見たいから」
カフェを出ると東京の不快な熱気と湿気が二人を包んだ。二人は佐間の朝の清涼な風を思い出していた。
真貴は五年前の地震があった日に救急患者として病院に運ばれた少女なのか?
二人の心に疑念がわいた




