第二十四話 黄金の太刀
龍口家に義弘の旧友井桁が訪ねてきた
彼は戦前から続く老舗の工具や特殊金属の製造会社、富士野株式会社の会長だ
義弘と井桁は湯多神社の黄金の太刀の伝説の話を始めた
結衣と真貴は中学校二年生になった昨年から湯多神社の神楽舞の練習を知佳の指導ではじめた。神社で例祭の時に奉納される神楽は五曲伝わっており、結衣と真貴が教わっているのは、二人の巫女が優雅に舞う乙女の舞と以前に知佳が舞った大蜘蛛を退治する巫女の舞だった。
剣道の稽古の翌日、知佳に連れられて結衣と真貴が神楽の練習から戻ると、龍口家に来客があり、義弘と語らっている声がした。三人は邪魔にならないよう台所へ向かおうとした—その時、義弘が声をかけた。「知佳、井桁のおじさんが来てるよ、顔を出さないか?結衣も真貴も一緒に」
「井桁のおじさん?!ひっさしぶり。行きまーす。あんたたちもおいで」
真貴は結衣と知佳と一緒に座敷に行った。座敷には義弘と同年代の紳士然とした男性客がいた。知佳が真貴と結衣に客人を紹介した。
「おじさん、ご無沙汰してます。富山での大会の時はお世話になりました。結衣、
真貴、井桁のおじさんはおじいちゃんの学生時代からの剣道仲間なの」
「龍口結衣です」
「望月真貴です。龍口家でお世話になっています」
「井桁高久です。知佳ちゃん、あいかわらず元気そうだね。結衣ちゃんはお姉さん似だね。君が、真貴ちゃん?剣道の才能がすごいって聞いてるよ」
真貴に代わって知佳が答えた。
「そうなの、おじさん。真貴はきっと私より強くなる。おじさん、今日はどうしてこちらに?」
「ああ、ちょっと諏訪のほうでライオンズクラブ関係の会合があってね。それと義弘君と直接話しておきたいことがあったのでね」
「じゃあ、私たちはお邪魔しちゃいけないのでこれで……」
知佳が立ち上がろうとすると義弘が声をかけた。
「いや、お前たちも知っておいたほうがいい話かな。湯多神社の黄金の太刀の話だが、興味があるならいい機会だから話したいが、時間はあるかな?」
三人は顔を見合わせた。真貴が小さくうなずき義弘に答えた。
「私は教えていただきたいです」
「では、話そう。湯多神社はもともと黄金の太刀をご神体として祀っていたことは聞いたことがあるかな?」
「昔、おじいちゃんが話してくれたよね。戦争の時に国が持って行っちゃった、て」
知佳が答えた。
義弘が続けた。
「もう少し詳しい話をしよう。神社の縁起によると、その昔、世が大きく乱れ天子様のお力も弱っていた時、この地に巨大な蜘蛛の化け物が現れ、次々に村々を襲って村人を食い散らすようになったそうだ。村人たちが龍神様に贄を捧げ助けを求めたところ、龍神様は一人の巫女をこの地にお遣わしになった。巫女は鎧を着て黄金の太刀を佩き蜘蛛の化け物に立ち向かい、ついには頭を太刀で切り落とし村々を救ったのだそうだ。その黄金の太刀を祀ったのが湯多神社だと伝わっている。結衣と真貴が今練習している神楽は龍神の巫女の戦いを伝えるものなんだ」
「そうか、それで神楽の時は太刀を持って舞うのね」
結衣が知佳を見ながら答えた。義弘がさらに続けた。
「黄金の太刀は何百年にもわたり大切にされてきたそうだ。ところが第二次世界大戦が始まり日本が劣勢となりつつあった時、必死になって神話の力まで借りようとした軍部に黄金の太刀の存在が知られてしまった」
義弘の話が続いた。
軍部の兵工廠技官が神社を訪れ、ご神体の太刀を持ち出し、鞘から抜くと刀身は錆ひとつない黄金色だった。村民に巻藁を用意させて試し切りをすると、こともなげに一刀両断にできた。軍刀で黄金の太刀に切りつけると、軍刀は黄金の太刀に当たった瞬間に折れてしまったが黄金の太刀には刃こぼれひとつなかった。驚いた軍部は神社に預かり証をおいて黄金の太刀を持ち出し、兵工廠本部でその秘密を知るための調査を行ったが解明がままならないまま兵工廠は空爆され黄金の太刀は行方不明になった。
「井桁さんは私の学生時代からの剣道部の友人でね、今は富士野株式会社の会長さんだ。富士野株式会社は戦前から続く老舗の工具や特殊金属の製造会社だ。井桁さんはその後継ぎとして材料工学で博士を取得した研究者でもあるんだ。彼は学生時代に私が話した湯多神社の黄金の太刀の話がずっと気になっていたそうだが、十年前、黄金の太刀の手掛かりと遭遇したんだそうだ」
「この先は私が話したほうがいいだろう」
井桁が義弘の話を引き取った。
「私の祖父、井桁喜久は、富士野の経営に携わる以前、第二次世界大戦中に兵工廠の技官として勤めていたんだ。驚いたことに祖父は湯多神社の黄金の太刀の調査に係わっていた。なぜわかったかというと、私が社長を退くときに資料の整理をしていたところ古い金庫から軍部の機密研究関係の資料がいくつか出てきてね、その一つに『湯多神社黄金の太刀調査報告のための覚書』という題名がついていた。これは軍部の公式記録を作るための準備資料で、研究者が自ら作成した生資料だったんだ。龍口君の話を思い出して、中を読み進めていくうちに私の驚きはどんどん増していったよ」
井桁の話が続いた。覚書には黄金の太刀の外観、細かな寸法、重さから始まり、その物理的性状と化学的材料構成を明らかにするための調査の詳細が記されていたが、信じられないようなデータが記されていた。
まず大まかな寸法や重さは普通の古い時代の日本刀に近かったが刃のつき方が独特だった。日本刀は手元から切先まで刃がついているのが普通だが、この太刀は手元から三分の一くらいまでは刃先角はほぼ直角でそこから切先に向かい角度は次第に狭くなっていた。切るための刃は切っ先から三分の一ほどしかついていない。
外観は見事な黄金色を呈していた。喜久は表面に金箔が貼られているのであろうと推測して被膜の一部を剥ぎ取ろうとした。ところが、金属ヤスリでは傷をつけることもできず、金剛砂を用いても傷がつかなかった。そこで化学的に溶かすことを試み、金すら溶かす王水を試しても、まったく歯が立たなかった。ついにガスバーナーを持ち出し加熱したところ、赤熱程度では損傷せず、およそ千度でようやく表面被膜が剝離した—と記録にはあった。
剥ぎ取った下地を金属顕微鏡で観察して、さらに驚かされた。日本刀は固いが脆い刃組織を柔らかい軟鉄組織で覆う複層構造が一般的だが、太刀は単一素材であり、その金属組織は緻密で一方向にそろっていた。
覚書の最後に驚くべきことが書かれていた。喜久は、黄金色の被膜をわずかに剥いだ部分から、太刀そのものの金属組織を採取していた。当時きわめて貴重だったダイヤモンド研磨剤を用いて採取したと書かれていた。覚書を発見した金庫の中に小さな木箱があり、その中には脱脂綿の緩衝材に守られた密封された試験管があった。
「この覚書と試料を手にしたとき、私には『この手で黄金の太刀を再現し、湯多神社に奉納したい』という強い思いが湧いてきたんだ。一つには軍の職務とは言え祖父がご神体を損なったことについての贖罪の思いがある。ただそれ以上に、自分が鋼の技術者、研究者として培ってきた力を伝説の宝剣という最高の形にしたいという思いがあるんだ」
結衣が井桁に質問した。
「黄金の太刀が再現できたんですか?私、見てみたいです」
井桁が微笑みながら答えた。
「いや、まだできてないんだよ。いろいろ難しい問題があってね。今日、こちらに来たのは、いままでやってきたことの報告と、これからのやり方の相談なんだよ」
知佳もコメントした。
「叔父様、黄金の太刀が再現できたら、私はぜひ手に取ってみたいです」
井桁が答えた。
「知佳ちゃんらしいな。楽しみにしててくれ」
真貴も思いを述べた。
「黄金の太刀のお話、ありがとうございました。私は龍神の巫女様が大蜘蛛を退治したという話は何かのたとえ話だと思っていました。でも今日、黄金の太刀がほんとにあったとお聞きして、びっくりしました」
井桁が答えた。
「私も学生時代に義弘君から黄金の太刀の話をはじめて聞いた時にはいわゆる伝説のたぐいと思っていたんだよ。しかし実体があったんだよね。龍神の巫女が黄金の太刀を手に大蜘蛛に立ち向かっている姿を想像するとわくわくするよ」
真貴は大きくうなずいた。真貴は小学生の時に初めて見た知佳が務めた巫女の舞を思い出した。あれが事実だったかもしれないと思うと、あの時と同様に手に汗がにじむ感じがした。
義弘が三人に言った。
「三人とも長いこと、年寄りの話に付き合ってくれてありがとう。私はもう少し井桁さんとお話ししようと思う。」
知佳が結衣と真貴とに目をやり、代表して答えた。
「井桁のおじさん、おじいちゃん、黄金の太刀のお話、ありがとうございました。出来上がるのを楽しみにしてます」
知佳が結衣と真貴とを連れて台所のほうに向かって行った。三人の楽しそうな話し声が遠ざかっていった。
井桁が、三人が出て行った方を見ながら言った。
「知佳さんも結衣ちゃんも立派なお孫さんですね。そして真貴ちゃんはとても印象深い少女ですね」
義弘が答えた。
「ありがとうございます。孫たちが来たので途中になってしまいましたが、先ほどの話に戻りましょう」
「えぇ、そうしましょう」
井桁の相談は、黄金の太刀の再現方法についてであった。第二次世界大戦時の覚書と試料を手に入れた彼は、黄金の太刀が作られたであろう十二世紀以前の技術と素材とを使っての再現を試みようとした。ところが最新技術による試料分析の結果を見て、途方もない挑戦となることが分かった。黄金の太刀の本体の素材にはタングステン、モリブデン、クロム、バナジウムなどが含まれていた。これまでに知られている日本刀に使われている材料ではない。可能性があるとしたら隕鉄だった。
隕鉄を使った刀剣づくりはいくつかの実例がある。トルコの遺跡の墳墓から出土した鉄製の短剣は紀元前二千三百年頃のものであり大量にニッケルを含んでいた。エジプトのツタンカーメン墓の副葬品のひとつである鉄製の短剣はイタリアの研究チームが素材は隕鉄であると確認した。他にもムガルやロシアの皇帝が作らせた記録がある。日本では五稜郭の戦いで知られる榎本武揚が富山県で発見された隕鉄を入手し、刀工に託して五振を作らせたことが知られている。
井桁はいくつもの隕鉄を集め、太刀の素材を取り出すことを試みたが、隕鉄由来の素材は人工鉄よりもやわらかく、刀剣として優れた特性を得るのは困難だった。加えて金剛砂でも傷つくことがない黄金の装飾は手の付けようがなかった。古来の技術による宝剣の再現に長い年月を費やしたが成果はなかった。
井桁の相談は古来の技術と素材とを使っての再現をあきらめ、現代の技術と素材による再現を試みるというものだった。技術者である井桁にとっては、忸怩たる思いもあるが、井桁も義弘も来年には喜寿を迎える。残された時間は少ない。そこで方針変更の決断を下したいというものであった。
義弘には異存はなかった。もともと井桁が何の見返りも求めず申し出てくれた話であり、ともに生きているうちに達成できれば幸いである。
井桁は「互いにもう少し頑張ろう」と言い残し帰って行った。義弘は井桁が運転する車が夕暮れの田んぼの中を走っていくのを見ていた。梅雨の晴れ間の夕暮れは美しかった。
井桁は義弘に黄金の太刀を再現する約束をして富山に帰った
龍神巫女の武器、黄金の太刀は実存していたのか、再現できるのか……




