第二十話 地震発光
龍口義人の息子の龍口昌平は地球惑星物理学を学ぶ東京大学理学部の学生である
彼は地震発光に強く興味を持っていた
龍口義人の息子の龍口昌平は、地球惑星物理学を学ぶべく東京大学理学部にこの春入学した。地球惑星物理学とは地球や惑星の上で起きるいろいろな現象を解明しようという学問分野である。その成果は、天気予報や地震速報にも活きる。昌平の地球惑星物理学への興味の原点は、小学生低学年の頃、家族と訪れた軽井沢で目にした「鬼押し出し」の奇岩群である。江戸時代の噴火で浅間山から流れ出た大量の溶岩が固まり、奇岩となって見渡す限り広がっていた。
大地の自然現象に惹かれていた昌平は中学校の時に「地震発光」現象を知った。図書館で目にした科学雑誌で「一九六〇年代半ば、長野の松代群発地震の際に発光現象がカメラにはっきりととらえられ、それまで言い伝えの類とされてきた地震発光が地震活動に関連すると確認された」ことを知った。松代は佐間の家の近くだった。昌平は地震発光に強く興味をそそられた。 松代群発地震を契機に地震発光は地震に絡む現象と認知され、記録が急速に増えていった。一九八〇年代からの監視カメラの普及が映像記録の質と量を向上させた。昌平は図書館に通い、新聞や科学雑誌、さらにはネット記事で地震発光の情報を集めてはノートに記録した。
東大理学部では、まずは駒場キャンパスで理学部生としての基礎を学ぶ。理学部の本拠地である本郷キャンパスに移り、研究室に配属が決まり研究生活が始まるのは二年生の後期からである。しかしながら、昌平は自分の研究開始を二年生の後期まで待つ気はなかった。まず昌平は貯めてきた小遣いをはたいて中古だが計算資源が十分で信頼性の高いワークステーションを入手した。それに記録し続けていた地震発光の記事から抽出したデータを格納した。日本ではほぼ毎日どこかで地震が起きる。気象庁は震度一以上の地震情報をウェブサイトで公開しており誰でも過去にさかのぼって調べることができる。発生した地震とネットで拾い集めた地震発光の情報を結び付け、さらにそれを国土地理院が公開している地理情報システム(GIS)に重ね合わせる前処理を地道に進めた。
あと二つ、昌平が大学入学後に始めた活動がある。
ひとつめはアウトドア系のサークルへの加入である。佐間にいたころ、大叔父の礼司がしばしば昌平を山歩きやフィールドワークに連れて行ってくれた。礼司は信濃大学の農学部教授で信濃の植物に詳しいだけでなく、地形地層の知識も豊富だった。大叔父から昌平は自然科学者は現場に赴き自分の目で観察することの大切さを教わった。昌平は地震発光現象の現場に迫るには登山やケービング(洞窟に入る探検活動)の経験が必要になってくると考えた。
ふたつめは活動資金獲得のためのアルバイトである。大学学生課には様々なアルバイトが掲示されていたが、昌平が目を止めたのは土木系コンサル会社アースサービスが募集していた「インターンシップアルバイト」であった。アースサービス社は集中豪雨や地震による地崩れや山の崩壊、土石流などを数値データのみならず映像としてシミュレーションする業務をしていたが、人手不足らしく、学生に高度なシミュレータを指導しながら実務として使わせるというアルバイトを募集していた。アルバイト代を稼ぎつつ高機能なシミュレーションをマスターできるアルバイトは昌平にはうってつけであった。
六月半ば、昌平は新たな地震発光のデータを自分のデータベースに加えることになった。午前四時十九分に発生した地震の規模はマグニチュード二、震源の深さが一キロメートル未満だった。つまり揺れが震央付近だけに集中した地震だった。震央は佐間の家のすぐ西で湯多神社あたりと推定された。場所が山の中だったのですぐ近くには監視カメラはなかったが、数キロ離れた交通監視カメラには地震発光とみられる現象が映っていた。
東京大学理学部一年生の前期定期試験は七月末に行われる。試験後すぐ、昌平は初めての本格的アウトドアサークル活動として仲間と伊豆大島を訪れた。生きている火山島である伊豆大島は、昌平がぜひ自分の目で見たかった場所の一つだった。ヘルメットをかぶり、軽登山靴を履いて、昌平は活火山である三原山のお鉢をめぐり、裏砂漠と呼ばれる火山灰地帯や島の南西部にある過去の噴火で堆積した地層の露頭を見学した。
母からの連絡もあり、二人の妹や預かったという女の子にも会いたかったので、昌平はお盆休みには帰省するつもりでいた。地震発光が観測されたかもしれない湯多神社にも久しぶりに行ってみたかった。しかしアースサービス社から緊急を要する仕事の手伝いをしてほしいと要請された。某自治体が国に補助を申請しようと作成していた防災工事計画に裏付けが不足していて、お盆に作業しないと間に合わないとのことだった。今後のこともあるので昌平は引き受け、帰省は先伸ばしすることにした。
母に連絡を入れると、かなりがっかりしているのがわかり、昌平はちょっと後ろめたかった。
昌平の帰省はかなわなかった
もうすぐ夏休みが終わり、真貴の初めての学校生活が始まる




